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昭和歌謡は声量で聴く~松田聖子『青い珊瑚礁』(シリーズ「昭和歌謡の聴き方」-1)

音楽には「聴き方」があるんじゃないか、と考えます。

「そんなもんねーよ、聴いて気持ちよければいいんだよ」という、いきなりの野次も聞こえてきそうですが、いや、実は私もそう思うのです。

ただ、「何が」「どう」気持ちいいかということを言語化しておけば、次の気持ちよさを、体系的に探り当てることが出来るとも思います。だとすると、音楽生活はもっと豊かになる。

歌詞の文学的な分析や、(私がここしばらく力を入れてきた)音楽理論のキャッチーな解説に加えて、「音楽的快感」の分解にもチャレンジしたいと考えました。

まずは昭和歌謡から――というのは、昭和歌謡が追求したものの核心には「音楽的快感」があると考えたからです。それもめっぽう豊潤な。

不定期に書いていきますが、最初のテーマとしてまず「声量」に着目します。ネタにするのは「声量怪獣」としての初期・松田聖子。

「ライブじゃなく、録音音源で声量の大小など分かるのか?」という野次も聞こえてきそうですが、分かると思います。ただ聴くときに、物理的な音量ではなく、歌い手の声帯の震えを感じ取ろうとする姿勢が必要になりますが。

例えば、初期の松田聖子に加えて、最近では木村カエラや中川翔子。「星稜高校のゴジラ松井選手」ではなく「声量高校のゴジラ松田・木村・中川選手」――。

もちろん演歌系も。島津亜矢、石川さゆり(特に若い頃)、そして何といっても美空ひばり。

松田聖子に話を戻せば、とりわけ『夏の扉』(81年)までの松田聖子の声量はすごかった。特に初期の初期、今回の『青い珊瑚礁』(80年)や、その前のデビューシングル『裸足の季節』(同80年)、及び、それらが収録されたファーストアルバム『SQUALL』における松田聖子の吠えっぷりは凄まじい。

『青い珊瑚礁』の注目ポイントは、出だしから30秒。たった30秒以内に決着が付きます。というくらい、この歌い出しは劇的です。

まずは(0:14)からの「♪あー」。ここ、実は音程が非常に高い。オクターブ上の「A」の音。つまり「♪あー」は「A(あー)」なのですが。

音程が高いにもかかわらず、抜群の声量で歌いきっていて(声帯ががんがん震えている感じがする)、かつ声質も、金属的にキンキンした感じがなく、むしろ艶(つや)っぽく、そして野太い。おそらく下の倍音の成分が多いのではないでしょうか。

抜群の声量に艶っぽく野太い声質、まさに、まだ10代(18歳)の松田聖子が天から授かった宝物。

抜群の声量については、この曲の作詞を担当した三浦徳子も、こう述べています。

――とにかく声量がありましたね。スタジオで彼女の歌を初めて聴いたとき、いくらでも声が出るんで驚きました。マイクなんかいらないくらいで、今現在の声とは全く違っていたんじゃないでしょうか(1995年『月刊カドカワ』七月号)

次に着目するのは(0:17)、「わたし"のー"こいはー」の「のー」です。ここで松田聖子は、声をくるっとひっくり返す唱法(一種の「ヒーカップ唱法」)を聴かせます。この「のー」で当時、私含む何万人ものティーンエイジャーがキュン!としたはず。

抜群の声量、天性の声質に加え、驚くべきことに、この後の松田聖子をボーカリストとして君臨させていく、変幻自在な歌い回しテクニックの萌芽を、すでに身に付け始めていたのです。

しかし、皮肉なもので、歌い回しテクニックの習得と相反して、抜群の声量を手放していきます。抜群の声量を失ったから、テクニックを持ち得たという側面もありましょう。この後、松田聖子のプロデューサー的立ち位置となる作詞家・松本隆のコメント。

――『白いパラソル』の頃、聖子さんの喉の調子が悪く、ハイトーンの張る感じが出にくくなっていたこともあり、若松(註:CBS・ソニーのプロデューサー)さんと相談して、テンポをミディアムに落とすことに決めて、繊細な歌を作ろうと心がけた(CD『風街図鑑』リーフレット)

言わば「第2期:松田聖子」の始まり。

世間的な松田聖子の語られ方は、この「第2期」=『白いパラソル』から80年代前半に集中している気がします。

それでも私は「第1期」=初期・松田聖子の爆発的な声を偏愛する者です。そしてその声は、デビューからたった1年半だけ輝いた奇跡でした。またその奇跡は、『青い珊瑚礁』冒頭のたった30秒に凝縮されていたのです。

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