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映画『サマー・オブ・ソウル』と『ザ・カセットテープ・ミュージック』

『サマー・オブ・ソウル』が成功しているのは、「音楽映画」ではなく「ドキュメンタリー映画」の体裁に固執したからだと思う。言わばNHK『映像の世紀』シリーズのソウル編という感じ。

だから黒人音楽好きだけではなく、1969年前後のアメリカに対して、ある程度の関心を持っている人なら確実に惹き付けられる、間口の広い映画になっていると思った。

個人的には、フィフス・ディメンションのパフォーマンスに最も興奮した。当時「白人的」と批判されたと、映画の中でメンバーが語っていたが、あのソフィスティケートされた音楽が、実に情熱的な歌とダンスで表現されているのを見て驚いた。

と、「ドキュメンタリー映画」という「文系的」なアプローチに満足しつつ、「理系的」=音楽理論的な分解があれば、黒人音楽はもっと分かりやすくなるはずのに、ということも同時に感じたのだ。

逆に言えば、日本において、(とりわけトラディショナルな)黒人音楽は、歴史的側面(白人社会に対する黒人の怒りの発露云々)ばかりメディアで強調され、その結果として、何か特別なもの、神聖・高尚なものとして、敷居が高い奥の院にまつられてしまったのではないか。

「スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンの音楽は、なぜコードが進行しないワンコードでも人々を魅了するのか」

「♪タンタンタトタトというリズムパターンは、なぜ黒人音楽で多用されたのか」

そんな理系的・音楽理論的な側面に加えて、例えば、もう少し文系的なアプローチとしても、

「フィフス・ディメンションはなぜ、スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンよりも、ある意味スティーヴィー・ワンダーよりも、当時の日本の音楽シーンに影響を与えたのか」

なども知りたいし、このあたりが明らかになると、奥の院の扉がゆっくりと開いていくと思うのだ。

さて、『ザ・カセットテープ・ミュージック』が「一時閉店」します。

昨日から、温かいメッセージを山のようにいただいて感謝しかありません。で、『ザ・カセットテープ・ミュージック』で私がやりたかったことは、奥の院の扉を開いて、音楽の魔法を分解して、その設計図を白日の下にさらすことでした。

「ミファミレド」「ドシソ」「ミユキ進行」「後ろ髪進行」など、番組の中で4年間語り尽くしたあれやこれやはすべて、何となく「音楽の魔法」のように思われているものの分解パーツなのです。

『ザ・カセットテープ・ミュージック』という機会をいただいて、音楽業界の中で、自分がやりたいことがハッキリとしました。

つまりはこういうことを語ること――「スライの、例えば映画の中でも歌われた《エブリデイ・ピープル》は、実質ワンコードにもかかわらず、ポイントポイントで”ファ”(sus4)の音を感じさせ、ボーカリストもくるくる代わり、何よりもメロディが、ド・レ・ミ・ソ・ラというペンタトニック(五音音階)に沿って、やたらと広い幅の音域を上がったり下がったりして飽きさせない(この構造は、五木ひろし《千曲川》と同じ)から、ワンコードでも人々を魅了するんです」

55歳を前にして、やりたいことがハッキリするなんて、こんな幸せなことはありません。出演者、スタッフ、何より視聴者の方々に、私の方からお礼を言うべきです。ありがとうございました。

音楽の魔法の9割は、分解して設計図に書けるはず。そして残った1割が、正真正銘、本物の魔法だと思うのです。

Do you believe in magic? ――魔法を信じるかい?


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