神の化身とのお付き合い(1)

最も愛した彼女こそご本体が著名な神様だった


孤独だった私。蓼食う虫も好き好きというときの"蓼"であった私が
頼られて討ち入りを受けたのが満50歳の誕生日の直前日1999年12月14日、
2通のメールによってでありました。この嫌われ者の吉良は果報者でございます。
しかし、この方も孤独でした。既婚者ながら子を設けられず、旦那の善意で家計が渡されることなく、自分の存在とは何なのか問い続けている人でした。
童話作りで気を紛らし、投稿しての優秀作品も多々あり、当時インターネットもサイトがこれから立ち上がるという時に、私のサイトの創作作品サイトを見に来られて、童話作品に興味されたのです。
私と共に創作同人サイトに加入し、作を競いあい、親交を深めました。
しかし、彼女は私と同じで、自分に自信がなく、出会うことなく推移していた約10か月後、別の女性が私の別の趣味のサイト(超常現象サイト)を見てメール交換となり、カウンセルに応じているうちに特別な依頼を受けて開運手続きをさせてもらったことで、信頼を受けてしまい、先の彼女とは一度も出会うことなく別れることになりました。
その後二番目の彼女とは破綻し、その2年後にようやく先の彼女と初デートとなりました。
私は後に来た人に取られた形の悔しい想いでじっと耐えていたこの人を白蛇伝の青蛇に、後に来た人を白蛇に譬えました。そこから不思議なメルヘンが始まったのかと思われます。

あれは時の移ろいを示すかのような映画作品が見つかったときでした。
香港映画「青蛇転生」が弱者贔屓の支持層からの要望で出来上がり、日ごろ日の当たらない青蛇に主役をという動きが見えたときだったと思われます。
私との初デート後の待ち構えたような熱烈な恋愛となりました。彼女は孤独が、いや私のほうももっと孤独が癒されたのでした。
2004年にそう。2005年2月には私の故郷方面にある元伊勢に行き、そこでG氏とも落ち合い、彼のガイドで丹後の旧蹟に行けば、雪深くて悪路の中も慣れた運転で行ったのは成相山成相寺。そこをお参りしたとき、彼女を撮ったときの降雪に王冠を被った龍が写り、これは何かあると思いました。まだその頃は顕著なことはなかったのです。

彼女との付き合いは、家庭の窓越しといった感じで、当たり障りのない日に逢引きといった感じでした。2006年に我が家に招いて、ベッドに寝かせしっかりと。
彼女はそこに磁場を刻み意識を飛ばして会いに来る目印にしたようです。

さてここからは、過去録を引用し、彼女がどんな特質を表わしていったか、語りたく思います。


夢で雲龍が胸に飛び込む (2007年1月14日)

私は50歳以降、拾う神に拾われたようにして、精神世界的な流れに身を置くこととなりまし た。拾う神は私が満50歳になる直前日・1999年12月14日にメールで討ち入りしてこられて、それ以降のお付き合いになりました。 

その進行役としての神話物語の創作をしているときに、夢においても カナメとなるシーンをいくつも見ています。
その神話(新神話)を補強するのは、現実のシンクロだけでなく、夢見もあるのです。
以下の人名は新神話上での名前です。

このときのことは、新神話の主役、カンナオビを家に招いたことが発端になっています。
私の印章をそのとき彼女に刻みましたから、彼女は私の家の自室に自らの磁場を刻んだのでしょう。以後、彼女が意識を飛ばしてきて密会するときの場のひとつになったのです。

ただ、そのとき私の部屋のドアにはサイババのポスターが貼ってあり、それが進入できない結界になっていたようで、それを外してからは容易にやってこれるよ うになったもようです。(サイババのポスターも、2cmほどのセロテープで四か所止めをしただけなのに、8年以上、一度もはがれることなく、貼り付いてい ました。私が貼りつけて私が外したことになります)

そんなある日(2007年1月14日)の未明の夢に、カンナオビが正体を見せに我が家にやってきたのでした。

彼女は白龍のまま、私の胸のど真ん中に飛び込 んできて、私と合体したのです。 

夢の詳細 (別記事から転載) 

弱小かつ病態なるものでも、夢見の世界においては広大活発な経験をするものである。
それは知られざる世界における栄光であり、いかなる立場にあるかを垣間見せてくれているような気がする。

(僭越やなあ。でも明日をも知れん病人やで許してなー)

本日、2007年1月14日未明、午前四時台の夢である。
私は小さな四角形をした我が家の二階のまん中に居て、北と南の開放された窓だけでなく、屋根や天井すらも透明化していて、うろこ雲漂う昼間の明るい空を眺 望できる状態にあった。
北の空を見ていると、どこからか降りてきた雲が数珠つなぎになり、長くたなびき消えることなく、やがて我が家の上空を反時計回りに旋回し始めた。
見れば、龍のようであった。雲によってできた龍。雲竜とでも言うのか。
一周目のときはまだそうとは気付かなかったが、二周目となって、これは龍だと気付いた。
我が家の北側に回ったとき、それは横顔がありありと馬(サラブレッド)のような面構えをしており、夕日を浴びて心なし赤みがかり、後ろが長く流れて、ところどころうろこ雲 のように切れつつも、尻尾らしく従っているのを見た。
雲が龍の形を形成して飛んでいるのだ。 方向を変え、南側に回ろうとしたとき、私には龍の顔が正対して見えた。

眼光もありなかなかの面構えだ。だが、どこか優しい感じがする。 屋根の上すれすれに南に回ろうとして、尻尾が屋根に触れた瞬間に、じゅぼっと水がかかったような音がした。

どんどん接近してきている。もしかして、私を探しているのか?
龍はまた南から北上を開始。再び北面から南を窺おうとして正対する格好となったとき、もう龍は目標を捉えたらしく、北面の窓めがけて飛んできていた。

そして、閉められた窓をひげでぴょこっと触れると、窓はさっと開いて、そこからもろに部屋に入ってきて、私の胸の真ん中めがけて飛び込 んだのだ。

うわーっ!! 私の中に入っちゃったよ。合体したようだ。

この光景は近所の人も見ていて、家の中に入ってきたマンガのようなおばさんや少年らが、私のほうをすごいといった表情で見つめていた。
そこで私は拳法のように腕をぐるっと回して、英雄ウルトラマンのようなポーズをとった。どんなものだと。
そのとたん、夢から醒めたのだった。何だ。夢だったのか。 久しぶりに見たすごい夢。
腕の痛みや不整脈でさほど眠れたものではなかったときに、ようやく見た正月らしい夢だった。
もしや奇跡が起きているかもしれないと、腕の痛みや心臓の不調が治っているかどうか調べてみた。
だが、そうは問屋が卸さなかった。

雲でできた龍。色からすれば白龍というのか。 ネバーエンディングストーリーに出てくるような龍。 千と千尋の神隠しのハクみたいな龍。

 彼女に夢のあらましを話し、「雲龍としてやってきたのは君か?」と問い合わせると、「それは私よ」と返事があった。

 彼女は、それ以前から私の部屋に意識を飛ばして何度も行ったのだが、何か壁のようなものがあってどうしても入れなかったという。私はそ の原因が、当時、ドアの内側に貼っていたサイババさんのポスターかと思い、彼女の指摘があった日に、セロテープで止めていた四隅を外し、取り去っていたの である。

サイババさんにはとてもお世話になっていて、申し訳なかったのだが、どうも原因がこれらしいと感じたので、取ってしまった。

すると間もなくしたこの日に、夢の中に本体を顕わしてやってきてくれたのだった。

雲龍は龍神の中では最高級のお方の姿とされています。では、どういう龍神さんだったか、それを次第に知ることになる出来事が、これからの一連の話となります。


母の盛大なお見送りでの彼岸入り (2007年9月22日)

私の母は2007年9月6日に亡くなりました。享年82歳です。
母は、近隣とのおつきあいもさほどなく、我が家は裕福でもなかったので、家族葬にいたしました。
といっても、地元の葬儀会場を借りて行ったわけでしたが、親族でどうしてもと出席したのは、母の兄弟だけで、あとは自治会の隣保長夫婦、妹の職場の人の方 が大勢を占めて、あわせて20名ばかりになりました。

私は喪主として、おかしなスピーチをしたように思います。
母は もし男として生まれていれば、位人身を極めると、行者さんに二度にわたって予言され、祖母の夢にも、毘沙門さんの二十日に生まれるとお告げがあったほどの 高徳の魂の人であるにもかかわらず、一生涯を献身とみそぎの暮らしに費やしたことを、会場マイクで話したのです。母の実名も、名は体を顕して「禊」とい う名でした。

⇒ 「鵺 は鳴くなる
むろん、会場の誰がそんな話、わかってくれたかは知れません。叔父でさえもノーコメントでしたから。
しかし、私の心の中の母は最高に偉大な人物だったのです。

しかし、その母に対してしてあげたお見送りの質素なこと。位人身を極めるべきような人が、こんなみすぼらしい結末だったとは。私がいい仕事をしていて友人 でも多くいたら、もう少し盛大にしてあげられたのに。それにしても、間に合うものではありません。とにかく、あまりにふさわしからざるお見送りだったので す。

私は、それが申し訳なくて・・・。せめて普通の葬儀にして、親戚じゅうに来てもらうべきではなかったかと悔やんだ末、九月二十一日の晩に、私自身すでに創 作神話作りを していましたから、そこに出てくる神々や龍神さんたちに祈ったのです。
母をなんとか盛大に、そして確実に彼岸に達せられるようできませんかと。

すると翌朝二十二日の未明の夢に、大きなホテルを借り切ってしまうほど、たくさんのダーク服に身を包んだ人々がいて、「朝になりましたから、皆さま屋上に 上がってください」というアナウンスで、みんなしてエレベーターで屋上に上がってみれば、そこはなんと山の上で、眼下に広がる雲海の上に大きなご来光が出 ていて、こちら側からご来光の下までエスカレーター風のムービングロードが、黄金色を呈して渡されている光景があったのです。
私はお見送りの人々の最後尾に居るものの全体を高い位置から見ていて、人々が何層にも重なるさまを見ていました。

そしてなんと、ムービングロードのいちばんこちら側に立っているのは、いつものご隠居帽をかぶった母と、付き添いの人四人で、母の左に一人、右に三人が縦 向きにいて、そのうちの左にいた人は、今回の葬儀にたずさわってくださった蓬莱道龍和尚(実名)だったのです。母の葬儀に際して、葬儀社の紹介ではじめて 知り合った和尚さんでした。

この和尚さんは葬儀のときに、すでに生前戒名を受けていた母の「智円妙定大姉」という名前の解釈を、前以て調べて講じてくださった方で した。

やがて盛大なお見送りの中、母は付き添いの四人とともに、ご来光の下まで渡りきり、そこから右回りにこちらを振り返ると、シルエットでしたが左手を振って くれたのでした。こちらからもそのとき、 参列者みんなが手を振ったり拍手しておりました。私もみなさんに合わせて何かしらやっておりました。
お見送りが終わって、みんなでエレベーターで下りて、ダークスーツの人たちみなが三々五々、最寄の交通機関で帰るシーンまで夢で見たのでした。私もバス停 でバスを待つといったふうに。

バスを下りてホテルに向かい、終わってホテルから出てバス停で幾人かの参列者の人とともにバスを待つところで夢が覚めるという、滅多に あるものではない、とても長い夢でした。

二十二日はすでに秋のお彼岸に入っています。つまり、なくなった年のお彼岸に見た、ご来光に至る母の夢だったのです。

私は夢から醒めて、昨晩の祈りに諸天善神が総出で応えてくださったと確信し、ただちに神々のみなさんに感謝をささげました。
それは同時に、神話がまさしく活在していることを如実に知ったときでした。
その夢の出来事は、その日のうちにブログ報告しました。すると読者コメンテーターの方たちからたくさんの激励が寄越されました。ありがとうございます。

 さて、この話に は後日譚があるのです。そのお 見送りの場所が、ほんとう に実在したのです。

それはちょうど半年後、翌年2008年3月、春のお彼岸の頃になります。
この当時、ブログへのコメントを盛んにお寄せくださっていたPさんという男性(先に激励を寄せてくださっていた方でもあります)が、春のお彼岸間近に、さ るところで撮られたご来光写真が、あまりにも珍しいものだったということで、写真を投稿くださって、それを見た私が、あの夢の光景にほぼ完璧に等しいこと に驚いたのでした。

違うのはムービングロードが消えてしまいかけている部分だけというすごいものでした。

Pさんのご説明では、実はこの方は滋賀県の野洲町にお住まいで、琵琶湖バレーでスキーをされることが多く、残雪スキーのために出向かれたといいます。

山小屋で一泊されて、翌朝早朝のたぐいまれなご来光と雲海が出ている光景に感動されて写真を撮られたとのことで、ご来光の写真をよくご 覧ください。
ブログ閉鎖に伴い誤って画像のすべてをなくしてしまい、これは額のままデジカメで写し取ったものであるため、鮮明度が落ちます。あしからず願います。 

夢の中では雲海の上に幅広の黄金のムービングロード直線的にがかかっていて
そこに外出時につけるいつもの御隠居帽を着けた母がいて、左側に葬儀を担当してくれた
蓬莱道龍和尚、母の右側に縦に3人の導師が立ち、共にご来光の下まで移動していく
という演出でした。向こう岸に着いてシルエットになった母がこちらを向いて手を振ったので
見送りの多くのみなさんの歓声と拍手が鳴っておりました。

左右のせり出した山々のシルエットは、夢で見たときにはお見送りの人々の頭と背中の重なりだったはずなのです。
ムービングロードらしきものが一部残っていることにつき、Pさんに問えば、雲海の切れ目から見える琵琶湖湖面への太陽の照り返しだとのこと。なんという、 粋なはからいでしょう。

そして、なんと・・・撮影場所は蓬莱山頂で、真東に向いたムービングロードを支えているであろう沖島の山頂は蓬莱嶽、道行の引率をする導師・蓬莱道龍和尚 (道行きの龍というお名前)がされるという、ウルトラC級の超シンクロとなっているのです。  

3つの「蓬莱」の言葉が揃うという、三位一体的超シンクロになっています。
それは、制作中の新神話ともシンクロしたのです。
と言うのは、ちなみに私が2001年から書き始めた新神話は、蓬莱島(蓬莱山)を重要拠点にして、正しい神々が根拠し活躍する物語になっているからです。

 なぜ蓬莱島なのか・・・それは私が50歳以降になってから始まったインディー体験の"とば口"を開いたのが、神戸の舞子公園にある移情 閣での出来事でありまして、当館の三階が拝観禁止の暗闇にあり、真っ暗闇の階段からわずかに垣間見られた三階の天井書画に書かれた文字が右書きで「蓬莱第 一」だったことによります。
詳細は、不思議体験談の「鶴亀すべる移情閣」の項目をご覧ください。
 新神話を賦活した2人の弁才天

この蓬莱島とは・・・この宇宙が閉塞された場と仮定したときに、より外宇宙に出て行くための大使館もしくは西ベルリンのような働きをしている場所という新 神話上の設 定です。
天則に則った神々や人々の住むムー大陸が沈没して、 浮き締まった島嶼部分が蓬莱島、海中部分が竜宮となり、亜空間に常在することになった、正しい神々の根拠地という設定にしています。

つまり、ほんとうに解脱するならここ蓬莱島しかないという 二つとない場所。
母は新神話における最高の自由門を通って解脱したと思います。
(が、その後に、母を引き戻すようなことをしてしまいました。しかし、少なくとも七福神のおわす蓬莱島には、いてくれていると思います)
 
この粋なはからいは、カンナオビの本体様の奥津嶋姫様による
 
さらにたいせつなことがわかりま した。
今はなきカンナオビさん(2010年5月15日にご逝去)が、沖島(奥津島)に祀られる奥津嶋姫(弁才天)の化身だったと判明したのです。
亡くなる前日の彼女を写した写真に、彼女の最後の生霊 オーブが撮られています。それは亀甲に花模様のご神紋を顕しておりました。通常は縦向きの六角なのですが、亡くなることを示されてか、横になられていまし た。


六角オーブ(亀甲紋)に花柄は出雲族・奥津嶋姫様のご神紋
縦が常態であるときに横たわるのは亡くなる予兆と言うべきか
彼女の頭上に六角オーブ
彼女の人生は何かの織に取り篭められたような
監視の中の暮らしではなかったかと推測される
象徴的な背景という気がするのはどうしてか


彼女が六角オーブを撮影したのは、高野山金剛峰寺で持仏間を写した時に、加納元信作の群鶴図の一枚の襖絵上に出ていたことが始まりで す。
このとき彼女は、空海から弥勒誕生のお告げを受けています。2008年9月24日~25日のこと。
⇒ 弥勒下生に関わる話
以後、陸上でも水中でも、彼女の水陸両用カメラには六角オーブ(亀甲紋オーブ)が大量に写り込みました。(当時の写真はPCの故障などで失われましたが、当時のコメントでよすがが偲べると思います)
https://cloudy.xn--kss37ofhp58n.jp/archives/868

陸上でも
https://cloudy.xn--kss37ofhp58n.jp/archives/854

https://cloudy.xn--kss37ofhp58n.jp/archives/874

彼女の異界交信のまたすごいこと
https://cloudy.xn--kss37ofhp58n.jp/archives/973

彼女は元々海が好きで、スキューバダイビングをやっていましたから。
彼女はそれらオーブを、自分の子供と思っていました。海中で撮られた彼女の股間に一番大き目の六角オーブがくっついていましたからね。それら子供たちの父 は? はは、ふしょうそれがしめということになりましょうか。
あの日、ふたりしてちょっと燃えましたもので。
今生で人として子が作れなかった彼女には大きな喜びになったようです。

新神話では、山幸彦と豊玉姫という設定でした。たくさんの玉の子(亀甲紋の国津神)が授かりました。
そして、2010年に彼女は沖縄の海で亡くなりました。
古事記にも想いのすれ違いから子供をみんな率いて海坂を閉じて海原に帰ってしまう豊玉姫が描かれています。
上の写真は、亡くなる前日のちゅらうみ水族館内での撮影です。
六角の内部に花柄が出ていて、奥津嶋姫のものとわかります。
つまり、最後の六角オーブ写真は、彼女自身のもので締め括られたことになります。

高野山詣での後、彼女は思いついたようにして2009年に出雲地方を旅して、ご当地の神社で六角オーブをたくさん撮っています。そのあたりの神社は、そも そも、ご神紋からして六角です。
そして、最近になって、その意味がわかりました。奥津嶋姫様は、出雲大社の大国主命の奥様なのです。(それはホツマツタエでなくては解読できません) 
それが後の、出雲大社の夢見へと繋がってまいります。(後述・すべてがシンクロしているのです)

水の神様ゆえ、龍王の娘、豊玉姫(乙姫)としても顕れます。ご本体は白龍でしょう。そして蓬莱島(竜宮)に憩う亀としても顕れます。
つまり沖島上空を通るムービングロードを支えてくださったのは、私が愛したカンナオビの本体様である奥津嶋姫様だったということになります。

居並ぶお見送りの人々は、きっと姫が参集させてくださったに違いありません。奥津嶋姫様は弁天三姉妹の長女様ですから、ご本体は龍王の娘でもある龍神で す。呼び集っていただいたのは、龍族のみなさん、そして蓬莱山後方の山々におられる天狗様たちや鬼様たちであったと思います。
ほんとうにご協力ありがとうございました。


次の話は、彼女を頼みに空海和尚がメッセージを届けた話です。神様でなければこんな大役はできないでしょう。

彼女の夢に空海が現れ弥勒誕生を告げる (2008.9.24に詣で、その夜の夢でお告げを受ける)

高野山金剛峰寺に詣でた際、彼女によって弥勒らしい六角オーブが撮影されている(弥勒=身六?)

見れば、六角オーブの中には、大黒様の被るような頭巾をつけた顎鬚の濃い顔が出ているように見えます。
出口王仁三郎は弥勒を達磨大師のように描いたといいますが、まさにそのような顔に見えないでしょうか。

襖絵の鶴一羽の上に現れたきれいな六角オーブ
中には濃いい髭面のお顔が見える気がします

これは私が見た夢ではないですが、私が全面的に解読を行いました。(詳細はこちらへ)
https://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/mirokukorinn.htm   (これは当時のコメンテーター諸氏との分析の有様です)
彼女は仏教や民間説話に造詣がさほどなかったので、彼女の見た夢、体験談、撮影された写真などはすべて私が解析していたわけですが、こ のときには若乃花(若貴兄弟のお兄ちゃん) に似たお坊さんが光物を抱えて夢の中に出てきて、「まもなくお生まれになるぞ」とだけ彼女に告げたといいます。しかし、彼女には予備知識がなく、本人だけ で の夢解釈は困難なのでした。
ところが、彼女と私がタイアップしていたことで、空海和尚は、私の支援を頼みとしてお告げをもたらされたと解釈できました。
その私においても、彩明日迦氏の「弥勒降臨」という著書が、拙著書「古代日本にカバラが来ていた」から多く引用しているとの知人の知らせによって、買ってまで調べたために、この ことにつ き予備知識したようなことだったのでして、それなしでは、私も何の予備知識もなかったはずなのです。
縁の連鎖が、このような解読を可能にしていたことを知っていただければと思います。
また、金剛峰寺持仏間の加納元信筆の群鶴図の一枚の襖絵の鶴の上に、亀甲紋六角オーブは写っており、鶴亀統べるの瑞兆が示されておりま した。
彩明日迦氏の著の中にも、鶴と亀がすべることで、何が出てくるのかの謎掛けが施されており、後ろの正面はどうやら弥勒菩薩だったことに なりそうな感があります。ただし、籠の中の鳥とは何ぞやについては、 すでに我々にとっていくつもの兆候のあった「火の鳥」であるに違いありません。それは氏が著書で言われていた「鳳」のことでもあります。

また、空海和尚の持っていた光物とは、これによると、「金るの袈裟」ということになりましょう。彼が釈迦の一番弟子・摩訶迦葉と同体として弥勒下生に合わせ入定し、弥勒が出現したとき彼の肩に架ける袈裟とされています。
まもなくお生まれになるとは、いつのことなのか。それは特定の人物なのかどうか。
彼女はこの日、悠仁親王の高野槇のところで写真を撮っています。もしかすると、というわけですが、このとき親王はすでに満一歳になられてますから、これか ら誕生ということにはならないでしょう。
いや、それでも神霊の下生は別のタイミングで、ということもありますからね。まあ、その辺はよくわかりません。

大人の等身大にまで育った高野槙
悠仁親王が弥勒なのだろうか
それはまったくわからない


出雲大社で起きた夢を見た・・・それも神世の出雲大社? (2013年5月11日)

出雲大社の60年ぶりの式年遷宮の執り行われたのが2013年5月10日。その翌日未明に(3時頃から4時頃にかけて)不思議な夢を見 ました。

私は妹からもらったダウンシュラフ(寝袋)にここのところ寝ていたのですが、これがとても軽くて暖かく快適なのです。午前3時頃に毎度のようにやってくる 猫のウーに起こされ、眠いながらもトイレ起きすることになり、また眠りについてからの夢だったのですが・・・

快適な薄布をとると、そこは灯火がともる板張りの部屋で、10畳ほどの広さがあったでしょうか。私はそこで一人で寝ていたのです。所々開いた間仕切りの向 こうの通路に、歩いて通過していく人の姿がありました。一人だけでしたが、なんと髻(みずら)を結い、このようないでたち(もう少し簡素だったが)をした男の人なのです。(今まで夢で、みずらを結った人を見たこ となどなかった)

そして、横に連なる部屋のほうを見ると、間仕切りで仕切ってあるため広範囲は見ることができないのですが、隙間のようなところから、なんとこちらは平安調 の衣装を着た長髪の女性が向こうのほうを向いた状態で座り、私の起床に気がついたか、こちらに顔だけを向け、にこっと微笑むとお歯黒だったもので、ゾクっ とする私。それでもなんだか、すでに亡きカンナオビの顔に似ています。彼女の部屋のほうには、いくらか人がいるみたいです。

私は夢の中の自分が何者なのかはわかりません。それから外に出て見やれば、そこは昼間で、なんとものすごく太くて古い角柱で造られた神社なのだとわかりま した。無骨な年輪と黒ずみが、いかにも築造の古さを物語るようでした。それも、けっこう大きな一枚岩とも思える岩盤の上に建てられていて、でこぼこした岩 から直接、柱が出ているふうでした。

岩山の下は境内地でフラットで広く、けっこう多くの人たちが、境内と岩山、そして神社にいました。が、そこにはみずらを結った人はおらず、みんな普通の髪 型で黒いスーツ姿をしていました。神主服ではない。

私は、岩山を下りたり上がったりして、何か用事をしていたようなのですが、何をしていたものかわかりません。ただ、たくさんの人が集まっているなという印 象だけなのです。誰とコミュニケーションをとるわけでもありません。
神社の夢を見たことは何度かあるのですが、社殿の中で寝ていたというのは初めてのこと。また、よく夢で見たことのある朱塗の神社のようでもありません。 いったい何なのかなとネットを見てみれば、どうやら昨日、出雲大社の式年遷宮が執り行われたらしいことを知ったのでした。

とすると、私は出雲大社にいたのか? 私は出雲大社にお参りしたことがないので、わからないのです。寝床でまとっていたのは、衾というものだろうか。ダウ ンシュラフさながらに快適だった。(当たり前か。こちらで感じているままに夢の中でも感じているわけなので)

とすると、あのみずらを結った人とは、大国主命(大己貴命)かも知れません。すると平安調の女性は、もしかして奥津嶋姫だったのか。(記紀には別伝が書か れるが、ホツマツタエにはこの二神は夫婦であるとされる) 奥津嶋姫は私と最も縁のある神様で弁財天であり、目下、新神話においていちばん協力してくれて いる神様で、化身がカンナオビなのです。

私は部屋で寝ていたとすると、お客だったのだろうか。ならば新神話はまさしく活きていることになります。私は国津神シンパですから、大国主命とも大いに縁 があるのです。
そうだ、みずらの人は、まさしくこの人だったよ。(Wikiから採録) しかし、お顔がも少し優しかったか。

大国主命さんの彫像だけど
私が見たのは威厳よく髭を生やした白い弥生服でミズラを結った方だった
神世の大国主命さんではあったが、この世にそっくりさんはいて
しかも少し後に知り合う亀の宮司氏の知り合いだったものだから
それはまたびっくりするようなシンクロだったのだ


2007年9月22日に、母が盛大なお見送りをしてもらったとするなら、誰が主催してくれたのだろうか。
それはムービングロードを下から支えてくださった沖島の奥津嶋姫弁財天であるに違いない。
当時はカンナオビも健在で、私とは相思相愛だったことから、彼女の本体であられる奥津嶋姫様が、気を利かせてくれたのだ。
弁財天様は龍族を束ねておられる。ちょっと号令をかけられれば、数千体くらいの龍の皆さんは参集されるのだろう。

2010年5月にカンナオビは逝去し、本体の奥津嶋姫様は、ご主人である大国主命のおられる出雲大社におそらく還られたのだ。
カンナオビの顔にどこか似ていたのも無理はない。私にそうとわかるように、在りし日の面影を残し置いてくださったのだ。
しかし、平安時代の衣装とお歯黒で臨まれるとは、ちょっと驚いた次第。

奥津嶋姫様のおられた緞帳の向うには、何人もの国津神の方々がおられたようだった。
私だけ、緞帳によるものとはいえ、一室が与えられて寝所にしていたというのは、大事な賓客待遇と言えなくもない。
では、私はいったい誰なんだろう。何らかの神?  いや、雛形ということでじゅうぶん満足しているのだが。
ええー、では言っとこう。それは大国主どんのもとに出向しとる アメノホヒ じゃ、なかろうか。

さらに2009年にはブログ読者の中にマメさんという方がいて、その方の中に複在する羽虫型宇宙人の男の子の魂が地球環境の現実になじめず閉じこもってい たのを誘い出し、私・朱雀の霊的な息子として、マメ鳥とかマメビコナという名にして、共に夢見して飛行訓練をしていたのだが、マメビコナは、自らのした 2009年の3月度の異界交信の中 に、鳥との縁について回答のあったことを思い出して掲示板に報告してきた。
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【鳥】のシンクロもあ りました
3月の分Q:私の運命 の道の友は?漢字一文字で。
       ⇒a  鳥
>613ーQ: 私は地球人出身ですか 宇宙銀河星出身で すか
       ⇒a  ひな出荷
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 すごいシンクロになった。アメノホヒの神話上の息子は、幼名が天の雛鳥(アメノヒナド リ)で、後の建比良鳥(タケヒラトリ)となる者とされるのだ。この方面からもいっそうアメノホヒの線は濃厚になった。

さらにである。マメ鳥と共に夢見して飛行訓練をした夢見の丘が実際に存在したのである。
異界交信の相手チームとマメさんの好きなアインシュタイン博士が、共に観覧していた丘が、夢の光景と寸分違わぬ形で、なんとナスカに姿を顕したのだ。(夢 の中の丘は芝生の丘だったのだが)
しかも、2014年になって初めて発見された地上絵だという。この丘で私は助走をつけて飛んだのである。我が息子マメ鳥とともに。

2014年になって初めて発見されたという地上絵
もうひとつ二匹の蛇の描かれた地上絵も同時に見つかっているが
たぶん我々親子鳥をサポートすべく飛行していた白蛇青蛇だろうと思われる。
不思議なことにその後、これらの写真はどこにも載っていないことがわかった。
何もかも痕跡がなくなりつつあるようで、頑張らなければと思う。

異界交信チームは、我々の飛行シーンを「芸術的」と評してくれていたから、我々親子のために、タンデム飛行している光景を描き遺しておいてくれたに違いな いのである。
ありがとう、異界チームとアインシュタイン博士。いつまでも健勝であってください。
いつの日か会いましょう。

 
すでに亡き彼女が別のタイムラインで生きている夢 (2013年10月3日)

当時のブログ記事から転載します。

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つい先ほどのこと。午前4時台の夢で、すでになき彼女(2010.5.15没)が別のタイムラインで生きている夢を見ました。
いくらかシーンがあったのですが、最後のシーンしか覚えてなくて残念なのですが。

テレビ番組なんでしょう。彼女が黒っぽいワンピースで壇上の貴賓席に現われたとき、司会者の紹介があり、
「歌手であり、女優である○○○さんでーす」と言うと壇上に彼女が上がってきました。

すると下の観客席から花束の贈呈があり、彼女がそれをもらい受けると同時に、檀上に向かって両サイドから放水されるという(きっとバラ エティー番組だろう)びっくりさせられるようなシーンがそこにありました。

水になじんだ人だったから。でも、気をつけてほしいな。

そのときの彼女は、右目が良くないのか小さな眼帯を右にだけしていて(きっと番組で水をかけられることがわかっていたのか)、水を浴びながら花束を抱え、 笑顔でお辞儀をしていました。

彼女は女優になりたかったのです。私と知り合うタイムラインでは、それはほんのささやかな実現にしかすぎなかったけど(劇団塾に入って主役を演じたことは あった)、きっと彼女も、人生をプレイバックして、未実現時空を体験しているに違いないと思いました。

私もプレイバック型の人生経験をしているのですが、そういう人はけっこうたくさんいるのかも知れません。

結局、スケジュールを統括しているお方がハイラーキーだから、みんな上手に図っているのだろうとしか言いようがありません。彼女のハイラーキーは、奥津嶋 姫であり、弁天さんなのですから。

人生している最中に、性格がおとなしいものから豪胆なものに変化していくことってありますね。私は子供のときは清潔観念症で神経質で引っ込み思案でおとな しかったのですが、今はその正反対の性格になりました。その原因は、すでに別のタイムライン(森野のものだけですが)をいっぱい経験してきて、その記憶は まったくないですが、精髄は魂に叡智として蓄積しているからだろうと思います。

別のタイムラインでは社長もやっただろうし、人生とはこういうものと悟った今は、もう何も実利的なことはやろうとは思いません。ただ、私に定められた時空 をこなすだけと思っています。

ふと、おかしく思えるのは、彼女をイメージで女優にいざなったことがあって、彼女はそれを本番さながらに演じたことです。新神話のイメージ世界に遊んでも らったことばかりだったけど。それらが、次の本命のタイムラインで生かされているとすれば(芸に深みが出ていると思えば)、よかったなあと思うのです。

イメージングの大事さ。私もイメージ訓練だけで、一ヶ月半のうちに大型、牽引、大型二種の3つをそれぞれ実技2回ずつで取得していますからね。昭和58年 のことです。イメージングが決め手なんです。無料のイメージトレーニングで、実技コースを何十回も回ったのです。

きっと、その実質版が別のタイムラインでの実演といった感じでしょうか。

みんなプレイバック式で、人生を自己実現していればいいと思います。だって、人生は線香花火のようなものだから。(次の線香花火の光跡が本人の実現可能タ イムラインのすべてだと仮定してみてください。一本がたった20cmほどでも、総延長なら数十mにもなるはずです)

人生の選択岐はいくつもあったはず
そのたびに別の可能性を排除してきている
しかしもし、人生全部を総なめしてやろうとすれば
分岐点まで戻って別のレールに乗り換え
エンドまで実演するのではなかろうか
よほどの宝がその人生に隠されていると見込めたなら
総舐めしてみようかという気にもなるのではなかろうか
いや、しかししんどいなあ

 出雲大社の式年遷宮の翌朝も、不思議な夢を見ましたが、伊勢の式年遷宮の翌朝も、不思議な夢を見たものです。(そう、この日は伊勢神宮の遷宮があった翌日なのである)

カンナオビ(彼女の新神話名)さん、そちらでしっかり女優歌手を実現してください。

ちょっと待った。彼女が女優歌手となったタイムラインにむろん私も生きていると思います。そのとき私はやはり恋人であり続けているはずですよね。彼女を見ている会場の後ろのほうにいる私の視座はきっと向こうのタイムラインで生きている私だと思うのです。どうだろう、幸せだろうかな、私は。

 

最愛の彼女がくれた14年が満了する直前に、千の風になる体験をする (2013年12月11日)

2013年12月11日の午前2時のこと。空を飛んでいる夢に続いて、自分の体に意識が戻ると、呼気がすべて抜けていき死を実感、頭頂 から魂が抜けて、前の空飛ぶ夢の続きを見ているという具合の夢でした。
空を飛ぶと言っても、自らの身体は見えないし、背後に幾人かの女性の声がしていて、ひとりは母のようでしたが、身体が見えているわけではないのです。透明 の意識だけの存在になって、ハングライダーの如く滑空しておりました。

 透明の私が、高いマンション風の建物の上を通過し、いきなり高度感が増しますと、後ろから複数の「うわー」という女人の声が聞こえまし た。私は、「大丈夫だよ、任しとき」と答えました。

眼下には、ビーチサイドがあり、左手が海のようで、右手の内陸部には観覧車や円筒形のクッキー缶のような建物があり、ちょうどいいかと 思い、「あの辺に下りようか」と声をかけて、ゆっくり下りて行くところで目が覚めたのでした。

おりしも、新神話も節目という感があり、14年という数で満了するのではないかという懸念もありましたから、その結末を迎えるのではないかとも想定してお りました。世の中も次第に黄泉の度合いを強めている感がありましたから、イザナギノミコトに自らをなぞらえて、想いの中で黄泉国からの脱出のシミュレー ションをしていたのです。その結果として、そのような夢になったようでした。
おそらくこの世を去る間際の精神状態としては、有効に違いないと、わかった次第です。

そして、至ったその世界とは、とても明るく、何の苦もない黄金郷であるようでした。

こんなにいきなり空を軽やかに飛んだ夢は、後にも先にも初めて。魂の軽さを味わうことができました。

そうなるには、イザナギノミコトの心構えが必要になるように思いました。

古事記の神話は、虎の巻にもなっているようです。



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