拗ねる20歳児

拗ね

僕は子どもの頃から怒られると拗ねる。20歳児になった今でもそう。

20歳児とはピクシブ百科事典によれば言動や見た目が子どもっぽく見える人のことらしい。僕は言動や態度に当てはまる。

なぜ怒られているのか原因理由は分かっているはずなのに受け入れられず表面上は反省するが、本当のところでは自分はあくまでも正しいのだと言って譲らない。

またそれ以外にも自分の希望と違う結果になった場合に拗ねる。要するに扱いにくい自己中として生きてきた。

親から怒られて拗ねたときに兄弟から「僕の名前はまた拗ねてるよ」とよく言われた。友達と喧嘩した時もそう。泣きもするが拗ねることが多い幼少期だった。

幼稚園での拗ね

一番古い記憶は幼稚園でのことだ。モモ組という20人くらいのクラスにいた5歳の僕はクラスごとに発表する劇で拗ねてしまう。その劇とはモモ組らしく桃太郎で、もちろん主役の桃太郎がしたかった。主役なので人気が高く希望者が何十人かいたのでジャンケンで決めることになり残念なことに負けてしまった。

この時点ではまだ拗ねていない。まだ犬・猿・雉がいるじゃないかと思っていたからだ。だがどれもことごとくジャンケンになり全て負けた。そして他の端役ですらなれなかったはず。

どんな役をしたか全く覚えていないが、全員の役が決まった後、僕は教室の後ろにあるお道具箱などをいれる個人個人に割り当てられた簡易ロッカー的な場所にいた。身体が小さかったので自分のロッカーに突っ込むようにさながら自動車の前向き駐車のようにして拗ねていた。

先生に何度か促されてやっと前向き駐車をやめたところで記憶は途切れている。その時の先生には面倒ばかりかけた記憶しかない。申し訳ございません。

小学生の拗ね

小学生の時には元日親戚で集まってwii スポーツの卓球をした。人数がわりと多いのでトーナメントをしようということになった。その当時僕はそのゲームで他のスポーツには目もくれず卓球ばかりをしていたので相当な自信があった。といっても対人戦ではなくコンピューターと対戦していただけだが。周りの親戚は高校生以上の当時の僕にとっては大人ばかりだったので1回戦であっけなく負けた。

悔しかったのか部屋を飛び出して玄関前に置いてあったマッサージチェアに座り毛布をかぶり隠れていた。おそらくばれていただろうが隠れているとその時は思っていた。

部屋からは歓声が漏れてきて毛布はうすい黄土色だったので玄関の明かりも漏れていた。毛布をさらに深くかぶると明かりは遮断されたが歓声だけは僕の頭の中を鼓動しつづけいた。

今から行ってもいいのかなとうじうじしている間にトーナメントが終わったらしいことが分かった。親戚の誰かがこちらに近づいてきているのが音で分かった。その後どうなったのか覚えていないが、翌年以降トーナメントはしなかったし親戚の集まりもあれ以降仲がギスギスして無くなっていった。

20歳児の拗ね

最近も拗ねたことがある。ミーティングで作成した企画書についてアドバイスをいただいた時のことだ。実施背景など詰めが甘いのが露見しており、先方の要望とこちらがしたいことがぶつかって生まれた矛盾を突かれた。その通りだが両者の目標達成にはその矛盾を矛盾のままでしておきたいという謎の根拠を前提に反論したがもちろん上手くいくわけもなく。全然納得いっていない。指摘するならあんたが企画書書けばいいじゃないと思う。

そう今まだ拗ねている最中だ。絶賛スネスネタイム中で今その矛先をnoteに変えて発散している。

オトナになれない

結論僕はどうしても自分の正しさを信じたいらしい。いつも他人の意見を大切にしようと言っているのにもかかわらず。なんて矛盾。それが培われたきた分岐点はどこだったのだろう。

精神的に成熟している人の場合、アドバイスを受けたらまず拗ねることはないだろう。そこができていない自分は成熟のせの字にすら達していない。

でも僕は企画者なので反論したことに関しては何も思わない。でもアドバイスを聞く態度は正直できたものじゃなかったし、話す態度も最低だったと思う。眠さを盾にしたけどみんな僕がただ拗ねていたことに気づいている。

(自分は馬鹿で間抜けですと自己紹介するようなものなので一見自分を客観視している風なコメントはしない)

もう20歳を超えているのにアドバイスを受けて拗ねる自分を許せない。それでもいつまで経っても自分を客観視できず世界は自分中心で回っていると勘違いしている顔面吐しゃ物 頭お花畑野郎を抱きしめたい。アドバイスからもっと良い企画書を作れるじゃないと励ましたい。

このnoteはフィクションです

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