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GoogleMap離島巡回の旅 "佐賀編"

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GoogleMap離島巡回の旅の佐賀編を纏めました
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#佐賀県

【GoogleMap離島巡回の旅】#8 佐賀編 高島(たかしま)

前回訪れし小呂島より十里ほど船に揺られ、姪浜の港へ。その後、陸路にて十一里ほど歩みたる先は、城下町唐津。そこより一里ほど船に揺られれば、目的地の高島へ到着いたす。 高島(たかしま)について 高島(たかしま)は佐賀県唐津市にあり、玄界灘の波間に浮かぶ小さき島なり。唐津の港より船に乗りて十程にて至ることが叶う。 この島には「宝当神社」ありて、全国に名高き神社なり。何ゆえに名高きかと言えば、宝の当たるを祈る神社として、数多の者どもが訪れ参るためなり。神社においては、多くの者ど

【GoogleMap離島巡回の旅】#9 佐賀編 神集島(かしわじま)

前回訪れし高島より一里ほど船に揺られ、唐津の港へ。その後、陸路にて三里ほど歩みたる先は、湊町。そこより一里ほど船に揺られれば、目的地の神集島へ到着いたす。 神集島(かしわじま)について 「神集島(かしわじま)」と申すこの島は、佐賀の唐津湊町の沖、およそ一里ばかりの距離に浮かびおる場所でござる。場所は東松浦半島の北西部、玄界灘に漂う形にござり、面積は凡そ一町四反ほど。元禄の頃にして、ここに住まう者は二百八十九人ばかりなり。 さて、この島の名の由来は、昔、神功皇后が新羅へ兵

【GoogleMap離島巡回の旅】#10 佐賀編 小川島(おがわしま)

前回訪れし神集島より一里ほど船に揺られ、湊町の港へ。その後、陸路にて二里ほど歩みたる先は、呼子の港。ここより一里と二十四町ほど船に揺られれば、目的地の小川島へ到着いたす。 小川島(おがわしま)について 玄界灘の荒波に浮かぶ小川島(おがわしま)は、佐賀県唐津市呼子町より約六里(約6.5km)の距離に位置する漁業の島にてござる。古より朝鮮半島との交易の要所として名高く、豊かな自然と歴史の遺産を有し候。 ■ 捕鯨の歴史 文禄年間(1592~96)にて捕鯨が始まり、江戸末期に

【GoogleMap離島巡回の旅】#11 佐賀編 加唐島(かからしま)

船に揺られながら、小川島より約六里余りの道を経て、呼子の港に戻り申す。その後、わずか百間ばかりの道を歩み、再び加唐島行きの船乗り場に至る。その船にて、七里四町ほどの道を進み、加唐島へと渡り候。 ■ 加唐島(かからしま)について 加唐島(かからしま)と申すは、肥前国唐津の沖合に浮かぶ小さな島にてござりまする。 この島、「日本書紀」にも「各羅島」として記されし古き名所にて、かの神功皇后が新羅征討の折り、オビヤ浦にて御懐妊を祝い、着帯の儀を執り行いしと伝わり、誠に由緒正しき地

【GoogleMap離島巡回の旅】#12 佐賀編 松島(まつしま)

 加唐島より辰の刻過ぎに「かから丸」(四十八石積み)の船に乗り込み、十七分ばかり波に揺られつつ、呼子の港へ帰着仕り候。  少憩をいたした後、巳の刻下がりに呼子の港を発つ「新栄」(四石五斗積み)の小船に乗り込み、十五分にて松島の港へと到着仕り候。 ■ 松島(まつしま)について  松島(まつしま)は、東松浦半島最北端に位置する波戸岬より北に四里(約四キロ)にござる玄界灘に浮かぶ島でござる。松島は佐賀県唐津領に属し、大字を唐津市鎮西町松島と申す。  往古、松島は無人の地にて

【GoogleMap離島巡回の旅】#13 佐賀編 馬渡島(まだらしま)

松島より辰の刻七ツ四十分、「かから丸」の朝の船に乗り、十七分ほどで呼子の港へと至りぬ。 しばし休息を取り、辰の刻八ツ二十分に「ゆうしょう」の朝の船に乗り込む。名護屋港を経由し、巳の刻九ツに馬渡島の港へと到着せり。 ■ 馬渡島(まだらしま)について  馬渡島(まだらしま)は、肥前国唐津の西北端に所在し、玄界灘に浮かぶ諸島の中でも一際大なる島なり。  その周囲十四里(約14km)にして、四方は厳しき自然に囲まれ、古の時代より人々の息づかいが今も残る地にて候。  この島、

【GoogleMap離島巡回の旅】#14 佐賀編 向島(むくしま)

 馬渡島より辰ノ刻(7:20)に「ゆうしょう」と申す船に乗り、四十刻(40分)にて呼子港へ到着候。此処より徒歩二十三里(23km)を五刻三十分(5時間30分)かけて星賀の港へ向かう。  お昼の膳を済ませ、未ノ刻(14時)ちょうどに船に乗り、十刻(10分)の船旅の後、向島の桟橋に到着仕る。時は既に未ノ下刻十五分(14:15)となり候。 ■ 向島(むくしま)について 向島は、佐賀国の離島にて最も面積小さき島なり。 その小ささゆえに、訪れし者は自然の音を直に感じ取ることが叶