さらば子宮よ永遠に。②

 大晦日に全部書き切ってしまうつもりだったが、思ったより長くなってしまった。
 おそらくこの記事をアップする頃には日付が変わり、2024年になっているのだろう。執筆納めと執筆初めが子宮筋腫の話とは何とも言えない気分である。

手術が決まったゾ

 子宮筋腫の手術が決まり、私は内心で勝利のガッツポーズと先生への恨み辛みを吐き散らしていたが、態度は平静を保っていた。
 すると先生は「手術は、筋腫だけを取り除くものと、子宮自体を摘出するものがあるんだけど…」と説明を始めたので、私は急いで「全摘します」と言い切った。
 案の定先生は「本当にいいの?」と聞いてきたので「全然いいです!」ともう一度言い切った。もう今すぐにだって取ってほしい。このクソみてぇな臓器をすぐにでも私の体から切り離してくれ!!とすら思っていた。
 先生は「じゃあ一先ずもう一度紹介状を書くから…手術のことはあっちで相談して決めてね」と言い、私はまたしても総合病院へ行くことになった。

 総合病院での主治医は、私より年上だがこれまでの先生の中で一番若い女性の先生だった。誠実そうで最初からとても印象がよかった。
 紹介状を見た先生は「全摘の手術を希望とのことだけど…」と言い淀み、真剣な顔で私に向き直り「全摘ではない手術もできますよ? 一度取ってしまえば、もう取り返しはつきませんし…」と、遠回しながら全摘を考え直すように言ってきた。
 ので、私は「いや全摘がいいです」とやはりきっぱり言った。先生は「あなたは、私の患者の中で2番目に若い年齢で子宮を全摘することになるんだけど、本当にいいの…?」と尚も確認してきた。
 そこで私はもう一度考えてみた。本当に子宮を取ってしまっていいのか? 臓器を一つ失う、その後に何があるのか?

 思い出すのは生理で起きた様々なこと…のたうち回るような痛み…トイレに駆け込んだ日々…旅行先で突然生理が来てコンビニで間に合わせのサニタリーショーツとナプキンを買ったこと…仕事中に大量出血してデスクチェアに血の滲みを作り慌ててティッシュで拭いたこと…生理と被らないように日程を調整してツーリングにでかけたのに何故か生理周期がバグって道中で生理が始まり、慌ててコンビニでショーツとタンポンを用意したものの異様に出血量が多く、一時間おきにコンビニを探してタンポンを交換する羽目になり、結果として帰宅の時間が大幅に遅れたこと…

 こんな臓器、なくてよくない??

 やはり私の決意は揺らがなかった。もう一度先生に「全摘してください」と伝えると、流石に先生も私の決意を汲んでくれたらしく、全摘手術に向けて話を進めてくれた。
 ちなみに両親には事後報告という形で「そういうわけで子宮全摘するので孫は諦めてください」と伝えた。両親は私の生理の酷さをよく知っていたし、ここ数か月の体調も心配してくれていたので(あと私が一切結婚する気がないので孫は~発言は数年前から言っていた)「まあお前がそう決めたのならそれでいいよ…」と承諾してくれた。
 人生初の手術が決まった。両親も友人もとても心配してくれたが、私自身は全く心配がなかった。
 これが、突然病気が見つかり、手術しなければ命に関わるような重大な状況であれば、私も多少はうろたえただろうし、手術への不安を感じたりもしただろう。だが、現状は命に別条があるわけではないし、むしろ手術してしまえばこの辛い現状が好転するのだ。ならば何を不安がることがあるだろう? 私は手術に希望を託していた。
 手術が決まったのが7月中旬、術前に検査をするのが8月中旬で、実際に手術をするのは9月頭である。手術までの1か月は異様に長く感じたし、その間も当然出血と腹痛は続いていた。術前検査は問題なく、あとは入院まで新型コロナウイルス感染などの感染症にかからないように細心の注意を払いながら日々を過ごしていた。
 2023年の夏は猛暑を通り越しか酷暑であり、連日35℃以上の灼熱地獄の日々だった。私は「手術前に病気をもらいたくないので」と言い訳し、またしても家に引きこもって過ごした。友人とも極力会わず、親が用事に連れ出そうとするのも断り、最低限の買い物をするためだけに外に出ていた。この辺り割愛するが、実は結構メンタルが不安定になっており(手術が怖いとかではなく、体調のせいでままならない日々に嫌気がさしていた)誰にも会いたくなかった。
そんなことをしながら、ついに入院の日を迎えたのである。

見知らぬ、天井。

 入院は予定で1週間。手術日前日に入院し、術後の様子を見て退院日を決めるとのこと。私の手術は開腹手術だったのだが、1週間で退院できるということに驚いた。近頃の病院は、入院はなるべく短く、が主流らしい。現代医療の進歩に感謝しかない。
 日曜午後に入院スタートし、その日は病院着に着替えて夕食を食べ、何事もなく消灯時間になった。びっくりするほど眠れなかった。恐怖や緊張というより、気持ちが高ぶっているというのが正しかったと思う。遠足前の子供か。
 何せ明日は初めての手術だ。一体どんな風になるのだろうか。私は基本的に寝つきがいい方で、普段なら5分もあれば入眠する。ポケスリもいつもぐっすりタイプである。それなのに、この日は何時になっても寝ることができなかった。

 次の日、手術に向けて絶食が始まり、朝から食事は無しになった。11時には水も飲めなくなり、これが地味に辛かった。14時、看護師さんに呼ばれ、手術室まで歩いてむかった。よく考えたら当然なのだが、入院しているのに自力で歩いて手術室に向かう自分の姿がシュールで面白かった。
 手術室で名前を確認され、いよいよ手術台に乗り仰向けに寝かされた。手術未経験の私は、手術台はベッドのような台でその上に真っすぐに寝そべるものだと思っていたが、私の時は両手を広げる姿勢で寝かされ、手術台も腕の部分がせり出している形のものだった。パッと見は磔台みたいだと思ったし、そこに寝かされて腕に様々なものを巻き付けられていくときは(解剖されるのかな…)と思ったりもした。
 背中に硬膜外麻酔の針を刺され、口元に酸素マスクらしきものを当てられ、そこで私の意識は途切れた。麻酔をされたら秒で落ちるという噂は本当だった。
 意識を取り戻したとき、真っ先に私が思ったことは「寒い!!!!」だった。時期は9月、まだ厳しい暑さが続いていた頃だ。
 そのとき、場所は手術室だったのかそれとも病室だったのか、それすらうろ覚えである。ただとにかく、体がガタガタと震えて歯がガチガチと鳴り、傍にいた人影(おそらく看護師さん)に「寒い、寒い…」と訴えたことは覚えている。後から調べて知ったことだが、手術中は麻酔やら点滴やらで体にさんざん液体を流し込んでいるのと、麻酔によって体温調節機能も停止した状態になるため体温がかなり低下するものらしい。
 その後また私の意識は途切れ、次に目を覚ました時はもう病室のベッドだった。痛みはなく、体のあちこちに管が付き、ぼんやりと天井を見たことを覚えている。看護師さんかそれとも主治医の先生か、とにかく誰かに「具合どうですか?」と聞かれて「あ、大丈夫です…」とぼけた声で答えた。室内は薄暗く見えたが、消灯時間でもなかったはずなのでまだ麻酔が完全に抜けていなかったのかもしれない。
 そして次に目が覚めたとき、真っ先に思ったのは「暑い!!!!」だった。忙しいな!
 どうやら布団の上から電気毛布がかけられており、それが布団をほかほかにしてくれていたようだ。寒いと訴えた私のために看護師さんが用意してくれたのだろうか。ありがたいけど、もう充分です…。ナースコールを押して、看護師さんにそれを撤去してもらった。
 その日の夜が、一番辛い夜だった。硬膜外麻酔はまだ繋がっており、小さなボトルからずっと痛み止めが流れ込んでいるし、これでも痛みがまだあるのなら追加で痛み止めを流せるようになっている。私は幸いにも痛みは殆どなく、追加の薬を入れる必要はなかった。ただ、とにかく寝苦しかったのだ。
 あいも変わらず謎の微熱が入院中もあり、とにかく常に体が熱い。鼻には酸素チューブがついており、腕には点滴、背中には硬膜外麻酔、足の間には尿道カテーテル、そして両足には血栓防止のフットポンプがつけられている。枕も使い慣れたものではないため据わりが悪いし、何より開腹した傷が引き攣れる感じがあり、寝返りもろくに打てない。でも同じ位置で寝続けると、シーツに体温が移って非常に寝心地が悪い。
 その日の夜は、一時間ごとにもぞもぞと動いて気を紛らわし、寝たのか寝てないのかもわからないレベルの浅い睡眠を細切れに繰り返しながらひたすら朝を待った。寝返りを打とうとすれば腹筋に力が入り傷が痛むため、ベッド脇の柵を利用して何とか体の位置を変えていた。ギシギシと音が鳴っていたので、同室の患者さんにはうるさく思われていたかもしれない。

 術後の夜はそんな感じで大変だったが、その後は比較的ましになり夜も何とか連続して眠れるようになった。
 一夜明けて尿道カテーテルと鼻の酸素チューブが外され、フットポンプも後で外された。これだけでだいぶ体が解放されたような気がした。
 術後1日目にしてベッドから降りて歩いてみようと言われ(癒着を防ぐためには歩いた方がいいとのこと)看護師さんに支えられながら起き上がり、ベッドから降りてみた。
 体を動かしにくいという感覚はあったが腹の傷が痛むことはなかったため、いけるかも!と思い、点滴の支柱を杖代わりに(看護師さんが傍にいる状態で)トイレに向かってゆっくりと歩いてみた。
 病室を出るまではよかったが、廊下を数歩歩いたところでざーっと血の気が引き、一気に眩暈が起きた。「や、やっぱり無理かも…」と情けないことを呟き、看護師さんに支えられながらベッドに逆戻りする羽目になった。手術の際に結構な出血(それでも輸血するほどではなかったけど)があったそうなので、またしても貧血状態になっていたらしい。
 しかし、眩暈もすぐに治まり、その日のうちにトイレならゆっくり歩いて一人で行けるようになった。腹を開いて臓器を取っても、次の日には歩けているなんてすごい。勿論これは手術をしてくれた先生の腕あってのことだし、ひいては手術の補助をした手術室の看護師さん達、術後のお世話をしてくれた病棟の看護師さん達、更に言えば現代医療の技術のお陰である。そう考えるとあらゆる方向に頭が下がる思いだった。
 術後の入院生活は、快適とは言えないものの決して不便はなく、私の体調以外で不快なものは何一つなかった。看護師さんは皆さんとても親切だったし、私がベッドの傾斜を変えてほしいと頻繁にお願いしても、誰も嫌な顔せずすぐに対応してくれた。弁解するとベッドのリクライニングが全てハンドル式で、私一人では動かせるものではなかったのだ。 
 余談だが私が入院した直後、大部屋の4つあるベッドのうち私のもの以外の3つは全て使用されていたが、気が付けば私以外の全員が退院し、一時病室に私だけになったことがあった。そしてその日のうちにすぐに次の患者が入院し、そして私よりも早く退院していった。
 看護師さんに聞いて見たら、開腹手術は1週間ほど入院になるが、内視鏡手術の場合は早ければ3日で退院することもあるらしい。おそらく私以外の患者さんは内視鏡手術だったのだろう。改めて現代医療の進歩に驚いた。
 その後は特筆することもなく、私も同室の人達に遅れて1週間で退院となった。とは言え2週間は自宅療養期間となるため、また引き籠りの日々である。1週間ぶりに外に出たが、季節は移り秋の気配…は微塵もなく、普通に蒸し暑かった。

 腹の傷は痛むことは殆どなく、処方された痛み止めも殆ど飲まなかった。同じような手術をした人のブログやエッセイなどを見ると傷が痛くて眠れない…などいう場合もあるようだが、私は傷が痛んで困った事は一度もなかった。非常にありがたい話である。
 術後の体調も順調だったが、退院した直後は妙に腹が膨らんでしまい、動きにくくて困ったことがあった。病院に入院費を払いにいかねばならず、両親に頼んでもよかったが久々に車に乗りたいと思い、腹の傷を庇いながらのたのたと歩いて車に乗り込み、シートベルトをつけようとした。
 すると腹が苦しくて、シートベルトを付けることに難儀した。更には普段のハンドルと座席の距離では狭くて耐えられず、座席の位置を後ろに下げた。するとハンドルとペダルが遠くなり運転しにくい。何とか折衷案の距離を見つけ、普段より慎重に運転して用事を済ませた。
 手術前から私は相当に太ってしまっていたが、それにしても腹がやけに膨れている。傷口を庇うためにズボンを履かずにワンピースを部屋着にしていたが、膨れた腹のせいで見た目が妊婦さんのようになってしまった。
 友達がお見舞いにと遊びに来てくれたが、椅子に座る私を見て「なんか腹出てない?」と率直に言ってきた。やはり傍目からも腹が出ているらしい。私は昨日車の運転したときのことを話したら、「そんな状態で運転なんかするな」と正論を返された。ごもっとも。
 このままずっと腹が出たままになったらどうしよう…と不安だったが、数日経つと自然に萎んでいった。一時的に内蔵が腫れていたのか? 真相はわからない。ただ、萎んだとしても脂肪の詰まった本来の腹の厚みは残ったままであり、体調が整い次第ダイエットをしようと決意するしかなかった。

手術のその先へ

 そして今。手術をして大体4か月たった。
 全摘しても後悔はしない! と豪語していたが、実際にするかどうかはそのときにならないと分からない。それは術前に何度も思ったし、もし後悔したとしてもそれも人生だ、と潔く受け入れるつもりでいた。
 手術前に子宮を全摘した人のブログを探してみたりしたが、中にはやはり望まぬ全摘(本人はしたくなかったけど病状的に全摘するしかなかった等)で辛い思いをした人もいたし、あるいは手術を決めた際に医師から全摘を進められるも、当人がそれを望まず筋腫の摘出のみに留めたという話もあった。やはり、安易に子宮全摘はしたくないと思う人が多いのだろう。
 そして今、私の素直な気持ちを書かせていただくと、ぜ~~~~~~んぜん後悔してません。
 本当に全摘してよかった。生理がなくなり、毎月の憂鬱な期間が一切合切なくなって本当に楽。あんなに苦しかった日々が綺麗さっぱり消えて本当に嬉しい。
 私にとって子宮は自分を苦しめる諸悪の根源、悪いこと全ての原因、お前さえいなければという憎悪の対象となっていたので、未練もなければ後悔もない。お前がいなくなってせいせいしてま~すべろべろばーという感じだ。
 本当に手術が出来てよかった。ここに至るまで長い時間がかかったけど、ようやく長年の苦しみから解放されたのだ。
 一つ、何か変わったかと言えば、以前に比べて便秘気味になったような気がする。私はこれまであまり便秘に悩んだことがなく、むしろどちらかと言えばお腹が弱くて下しやすい方だった。さらに生理期間中はもっとお腹が緩くなり、下痢気味になっていた。これは生理中は血の巡りがよくなり、胃腸の動きが活発になっているという理屈らしい。
 その理屈で言えば、おそらく生理が来なくなって血液の循環の状況が変化し、以前より便秘気味になっているのかもしれない。悩む程のことではないが、やはりあまりいいことではないので、なるべく水分を摂るようにして体質を改善していこうと思っている。
 敢えて言えば、困ったことはそのぐらいである。それ以外は全てが快適、ハッピーライフである。

最後に

 子宮筋腫は、こう言ってはよくないが、ありふれた病気だと思う。私の友人知人の中にも、筋腫を持っている人はそこそこいる。
 中には筋腫があるけど特に治療はせず、そのまま結婚して子どもを無事に妊娠、出産したという子もいる。ただ、皆きちんと婦人科を受診し、自分の子宮の状況を把握した上で適切な処置をしている。
 もしこれを読んだ人の中で、自分の子宮のことで気になる点があった、もしくは今まで問題はなかったけど不安になってきた、という人は、一度だけでもいいので婦人科で検査を受けてみてほしい。何もなければそれでOKだし、実は何かがあるかもしれない。病気は早期発見が一番大切である。
 私の場合は何年も投薬治療をしていたが、結局薬では抑えきれない状態まで進んでしまい、手術に至った。私は進んで全摘を選んだが、子宮を温存し害を為している筋腫のみ除去するという手術もある。よほど病状が悪化していなければ、有無を言わさず子宮全摘ということはないと思われる。
 生理のことはなかなか人に話しづらく、特に経血量やら生理痛やら、他人と比較ができない、しにくい要素に関しては、自分の状況が平均的なのか外れているのかが分からないため、要受診レベルの状態でも気付きにくいということがあると思う。受診した方がいいのかどうか分からない、というのであれば、心配なので受診するという考えでいいと私は思う。何もないのに受診に来るな、という医者が居たら、そっちの方がおかしいので病院を変えた方がいい。
 この記事が誰かの背中を押すものになれば幸いです。

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