地平線の先の故郷

スドウは激怒した。


というのも1月16日早朝、唐突に友人が「江ノ島の海を見に行こう」と提案をしてきたのだが、なんたることか、紛れも無いその友人自身の、二度寝という極めて邪悪な所業により、僕は新江ノ島水族館を背にたったひとりで海を眺める羽目になったからだ。

朝早く叩き起こされた挙句、寝バックレをかまされた僕の頭の中はしばらくの間、他の感情や思考が入る余地もないほどの怒りの業火によって埋め尽くされていたが、それを忘れさせる程に今日はとても寒い。
冷たい潮風によって、僕の中の怒りの炎は次第に小さくなっていったように感じた。

タイミングを見計らったかのようにこの日最大の潮風が僕を包む。

元々の寒さも加わってか、やや刺すような冬の寒さを感じた僕は、ふと故郷である北海道を思い出した。

そういえば幼い頃、毎日のように海で友達と遊んだな…。

この懐かしさからか、僕は眼前に広がる果てなき海のその先に、実際には見えはしないが確実にそこにある故郷を想い浮かべ、「そうか…僕はこの海の向こうで生まれたのか…。思えば遠くへ来たもんだ。」と朝っぱらからひとり感傷に浸っていた。

そうこうしているうちに時間は過ぎ、空腹が顔を覗かせる。先程までに感じていた怒りがまるで嘘のようだ。

「今日は帰ろう。」

友人への怒りは消え、むしろこんな素敵な1日をくれた友人に対し、一縷の感謝が芽生えていた。

今日は穏やかな気持ちで一日を過ごせる…。そう確信した。















今、この記事を書いているこの瞬間までは。




今まさに僕は怒りに震えている。

それも自分に対しての、とてつもない怒りだ。

以前から自身ののバカさ加減や詰めの甘さには苛立ちを感じていたが、他愛もない今日のこの過ちがぼくの怒りの火山を今まさに噴火させた。

話をこの記事の前半に戻そう。

僕はなんと書いていたか。



この懐かしさからか、僕は眼前に広がる果てなき海のその先に、実際には見えはしないが確実にそこにある故郷を想い浮かべ、「そうか…僕はこの海の向こうで生まれたのか…。思えば遠くへ来たもんだ。」と朝っぱらからひとり感傷に浸っていた。



お分かりいただけただろうか?

皆様はもう既にお気づきのことと思うが、念のためもう一度だけ、今度は大事な部分を太字にして掲載する。



この懐かしさからか、僕は眼前に広がる果てなき海のその先に、実際には見えはしないが確実にそこにある故郷を想い浮かべ、「そうか…僕はこの海の向こうで生まれたのか…。思えば遠くへ来たもんだ。」と朝っぱらからひとり感傷に浸っていた。


もうわかったであろう。

江ノ島の海岸を思い浮かべて今一度考えて欲しい。

新江ノ島水族館を背にして海を眺めた場合、

その先に北海道はない。



見ていた方向を考えるに、そこにあるのはパプア・ニューギニアだ。

測らずも故郷に背を向け、新たな自分のルーツをパプア・ニューギニアに見出す構図を作り上げてしまったマヌケは帰宅し、文章化するまでそのことに気づきもしなかった。

現に今朝、海を眺めていた時は本気で故郷北海道で過ごした幼き日々を思い出していたし、心の底から感傷に浸っていた。地平線の向こうのパプア・ニューギニアを見つめながら。

北海道を去った僕に脱北者とかいうあだ名つけた友達の感性は正しかったのだろう。当たり前の常識に今の今まで気づかなかった自分が恥ずかしい。

本当ならば今日は年始からコツコツと書き溜めてきた大好きな音楽についての記事をあげ、この記事は次回以降にとっておくつもりだったがやめだ。

あまりに滑稽な自分への戒めとしてこの記事をここに残す。



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