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仏の笑顔でCQを叫ぶ鬼 #202303111

■合同移動運用をするのこと

遡ることおよそ2ヶ月前。僕は懇意にしていただいているOMさんであるJE1BQF局さんと栃木県栃木市にある太平山・謙信平で初の合同移動運用、そして初めての6m(50MHz)運用を体験させていただいた。そして、本日、土曜の朝から2回目の移動運用「HAM SAFARI #2」を僕の地元にある優良ロケーション山「太田市金山」で開催することになったのであります。

コメット・CA-52HB4とPockeTech・ANT078のダブル運用スタイル

■50MHz(6m)

・JF1IGK←13回目の交信!TNK!
・7N3XIJ
・JP1GRY/1
・JJ1FIC
・7K2LPA
・7K4NXK
・JN1FRL
・JG1UDE/1←2回目の交信!TNK!
・JG1DVW
・JI1QIM
・JK1GAA
・7N4EKM
・JH1PMJ
・JA1NNA
・7K1BAE/1
・JJ1CCE
・JA1CCX
・JK1EJK
・JO1FRI/1←2回目の交信!TNK!
・JL1GHM/1
・JJ1OVJ
・JA1WSE/1←2回目の交信!TNK!
・7K3WNX
・JA8FAS/2
・JG1FQK
・JI1MNE/1←6回目の交信!TNK!

以上、26QSOとなりました。ありがとうございました。

■430MHz(70cm)

・JA1YBQ/1
・JQ3GRQ/1
・JG1BFZ
・JF7GIK/1
・JI1IFQ/1
・JK1NOU ←7回目の交信でした!TNK!
・JI1ADG/1←2回目の交信でした!TNK!
・JR1KNC
・JJ1HHJ←3回目の交信でした!TNK!
・JF1IGK←14回目の交信でした!TNK!
・7N4QVZ
・JP1OJU
・JI1AVM/1

以上13QSO、ありがとうございました!

6m430合計39QSOBQF局も60QSOぐらいしてた筈のなので合計で100QSOは超えていると思うので、ホームマウンテン「金の山、金山」はなかなかのロケーションなのでした。

低山とはいえこの見晴らしよ!

■本日の反省など

実は2週間ぶりのアマチュア無線運用でした。ほぼ毎週の土日には波を出していた僕からすると本当に久しぶりのアマチュア無線遊び。非常に緊張しました!6mと430には流儀の違いがあることは前回の「HAM SAFARI」で学んだことだけれども、今回はその教訓が活かせなかったなあというのが反省点。もっとコンパクトに交信しないと声掛けしてくれた局長さんのパイル待ちを捌けないなー。「言い回し」を明確に切り替える必要がありますねー。BQF局さんと夕食を食べながら「開局半年でそれができたらおばけ」みたいなことを言われたけれども、次回では改善していきたいな!とライスのおかわりをしながら思ったのでした!

■3.11にアマチュア無線運用することの意味

あの震災から12年。被災された方々はあの時から少しでも幸せになれているだろうか、少しでも楽しい日常を過ごしていらっしゃるだろうかと考える。
僕はあの日、大阪で生活していたので、タバコに困るぐらいでほとんど震災の影響を受けなかった。とはいえ、あの震災からの経済的影響、僕が生業としていた釣り雑誌の編集にはやはり影響はあって、あの日までとあの日以降では色々と変化があったとは思う。
あれから12年、僕はアマチュア無線を趣味として楽しんでいる。アマチュア無線の可能性として非常時での連絡手段が挙げられることが多い。多分、個人での非常事態時にはとても有効だと思うけれども、町、都市、国規模での場合ではその有効性に疑問を持ったりしている。
今回、この日にたくさんのQSOをして震災の話に触れる人は皆無だったし、その話題に触れることにどれだけの意味があるのかはわからない。国家規模での災害時においてアマチュア無線は個人間であったり小さいコミュニティにおいては有効ではあるけれども、基本的には「あまり役に立たないツール」ぐらいの立ち位置でいいのだと思う。
大事なのは、あれから12年経った今でも、こうして生活していられて、アマチュア無線を楽しんでいられるという「今」を甘受していられることだと思う。いくら僕なんかが想像してみても、あの時の大変さというのは、又聞きであるし、TVから流れてくる映像でしかない。通勤電車の帰路で人身事故で電車が止まった時に迷惑そうに舌打ちをする人たちとこの日に黙祷を捧げ痛みを想う人たちが共存する世界。その世界でアマチュア無線で遠くの人と交信することを楽しむ日常。生きているだけで幸せかもしれないな、それぐらいを思えれば上等なのではないだろうかと、この日に思う。車を止め黙祷を捧げる人たちに最大限の敬意を持ち続けることが、あの日、被災をしなかった僕が唯一感じることのできる「僕なりの3.11」。あの日々を生き抜いた人たちの食卓に温かいスープがあらんことを祈って。

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