今日は先頭車両
朝は起きられないし、ご飯も一回でまとめて食べようとして偏食だし、上手くいかないことはたくさんある。
昨日は、地下鉄の乗り換えのタイミングがよくて、ちょうど来た電車の近くの扉から乗った。次の乗り換えがしやすいように、進行方向とは真逆に車内を移動した。
まっすぐまっすぐ進んで、7両目くらいで座るつもりが、視線の先には車掌室が見える。
あ、行きすぎた。
3両戻るのも変だから、今日はここでいいや。
眠気覚ましのnoteは、両手がふさがるからほかのことができない。一応、左手には暗記用のルーズリーフを持っている。赤シートを挟んで。
でもそれは気持ちでしかなくて、覚えるところをオレンジのボールペンで書いた時間は、自己満足となっただけだった。
今は何ものからも逃げたいし、何にも囚われたくない。
やらなくてはいけないことで溢れているのは、これまでの報いだけど、だとしたらもっと自分に向いたことを見つけたい。
そういう欲求ばかり湧いてくると、社会不適合者な気もしてくる。「こうでなきゃいけない」という謎の使命感で自縛していて、ずっと苦しい。
だから、仕事や勉強くらいは楽にやりたい。普段なら、仕事や勉強が優先されている間は、そんな葛藤には気づかないし、気にも留めない。
でもそれはコロナのせい(これは事実)で大きく変化してしまって、自分の内側を見る機会が増えた。内側は、本当に見たくない部分が多くて、あれもこれも嫌になってしまう。
以前、精神障害に関して気になったことを調べていた時に、衝動や極端な思考(双極性と言ったかな)、アルコール依存・中毒、物欲や性欲などの症状が現れるものがあった。
その時の自分には、図星と言えるくらい当てはまることが多くて、「あぁ、この生きづらさに名前がついたらな」、なんて思った。
そんなふうに思うのは、障害や病気で苦しんでいる人に対して失礼だ。そうわかっていても、大学に行けなかったり気だるさが付き纏う理由が欲しかった。
ただ、逃げ場はある。趣味だ。それもひとつじゃないから、気分に合わせて選べばいい。
今まさにそれに当たるのが、お笑いだ。
“笑う”という行為が、こんなにも心を晴らすものなのだと実感した。
笑っていれば万事解決、とはいかないこともあるが、ネガティブな思考の根源に近いところまで浄化してくれる気がする(“ふたり”にはありがとうがたくさんです)。
朝ごはんを食べる時間がなくーーむしろ食べないつもりでメイクや身支度をしているが、この昨日の下書きを進めていたら空っぽのお腹が鳴りそうだ。
“よしのよしの、コンビニ行くけど行く?”
“ ”
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