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死は晴天の下、驚くほど静寂の中で、ありがとうは言えずに、突然現れる。

昨日の夕方、初めて交通事故に遭った。

移動中、突然に車が視界に現れて危ないで済むとかではなく、これはぶつかると直感で分かった。
ぶつかって最悪死ぬ、と思った。
すごい音がして、身体が車のフロントに突撃。
その勢いのまま一瞬にして倒れて、地面に強打。
ぶつかってから地面を見るまでを
コマ送りのように覚えている。


気づいたら手が血だらけになって、
どこから血が出ているのか、
頭なのか口なのか焦った。

この瞬間、何か判断を誤ったら
一生帰って来れないんじゃないか、
そんな心配が真っ先に浮かんだ。

そしたら
一生、家族に会えないのではないか
一生、あなたに会えないのではないか
悲しむ顔が浮かぶ。

もう二度と触れられない、
思い出すこともできない、
その不安でいっぱいになりながら
どうか、どうにかまた
会えるようにしなければと思った。

冷静になり、血をなるべく出さないようにして最速で救急車を呼ぶこと。気を確かに持って、
死なないようにだけを考えた。


すぐに歩行者が集まり、水やティッシュを持ってきてくれたり、声をかけ続けてもらった。

返事をしたいけど、
目の前の止まらない血を防ぐので精一杯。



その後、水をもらって傷口を拭き出した時、
やっと周辺を見渡すことができた。

十数人に囲まれながら、
パニックではあったが意識はちゃんとあって、
仕事に向かっていた途中の事故だったので、
迷惑はかけられないと血だらけのままの指で、
仕事に行けないことを連絡しながら
救急車を祈るように待った。


時間で言うと5分も経たず、
救急車がやってきた。
いつもはうるさく思うサイレンの音が、
この日は私を心から安心させた。

そして救急隊員に声をかけられ、
私は顎を切っていたことを知った。
どれほどの傷なのか、
重体なのかこの時点ではわからない。

そのまま救急車に運ばれ、名前は?生年月日は?と幾つもの質問を答えた。

答えながら少しずつパニックは軽減したが
少し眩暈がして意識がふらっとし、
その些細な変化すら隊員の人に伝えた。

冷静でいる、大丈夫だと言い聞かせる、
「死ぬかも」なんて思ったら、
本当にあの世に連れてかれてしまいそうで、
一瞬の弱気も命取りだと思い、
死んでも思わないようにした。
初めての事故だが、私は気を強く持っていた。



程なく警察が来た。
対応を済まし、迎える病院が見つかって、
救急車に乗って20分ほどで病院に向かった。

病院に到着し、病院の人らしき人や看護婦さんを見てとても安堵したのを覚えている。
大丈夫、これで死ぬことはない。

ベッドに上で、音は聞こえていますか、
顎は動かせますか、腕の可動域は?
痺れはないですか?と質問された。

どこも異変はなかった。でももしあの瞬間どこかが変であれば、変だと気づいた頃には、その機能は一生失っていたのかと不安に思った。



その後、スムーズに検査を終えた。頭が痛かったり、口が開かないと頭蓋骨のどこかを損傷し、
その場所が悪ければ後遺症が残ったりすると言われた。また顎の傷も縫う必要があると告げられた。

傷になるかもしれないと言われて、顔に傷が残る?とまた不安になった。どの事態も怖かった。
その後は状況を説明してもらいながら検査をし、帰宅までスムーズに進んだ。


翌日無事に再検査も手術も終えて、大阪から神奈川へ新幹線でそのままおばあちゃん家に帰ってきた。お母さんに迎えにきてもらい、顔を見た時に、これは夢なのかと思った。

会えなかったかもしれない。
そんな未来が孕んでいたかと思うと、
これほど怖いことはなかった。



そして現在、みんなが寝静まって、
どうしても今日残しておかなければならないと
これを書いている。


変な感覚なんです、まだ、霊体みたいな。
まるで今生きていること、
この家に戻って来れたことが
奇跡の上にあるような気がして。


事故直後、あちこちを怪我していたけど、
アドレナリンのせいもあって
痛いとかは一切思わなかった。

痛いよりも、家族や大切な人を思い出しては、
その人たちが泣いているシーンが頭をよぎって、
悲しませてはいけない、ちゃんと帰らなければいけない、その思いの方が遥かに強かった。


不幸中の幸いであったが、
そう思えるのは生きていられたからで。

もしあの時、あたりどころが悪かったり、
突撃した車のスピードがもっと早かったら。
車がもう一回り大きかったら。
事故の中で、何かのひとつ「不運」があれば、
私はここに帰って来れていない。

そんな重大なことが
紙一重だったということ。

死という取り返せない事態が、
「もしかしたらあった」こと。

この恐怖が今も心で処理できていない。

そんな思いはありながら、
無事に今おばあちゃん家で、
救急車の中で思ったことが書けること、
それが奇跡だと感じる。



死ぬ直前、死ぬほど言いたい言葉が、
死んでしまったら言えない。

ありがとうもごめんなさいも、
意識が遠のいていくと同時に
どうしても言いたかった人に届けられず、
消えていく。


だから言いたいのは、
「日頃から感謝は伝えておこう」ではない。

誰も明日死ぬ覚悟でなんて生きていないし、
伝えても伝えても十分なことなどない。

ただ、その事態になってしまったら手遅れで、
この世界で「神様、どうか助けて」と
祈りながら消えていった声がある。

その声は水中で溺れていくみたいに、
泡になってもう二度と届かない。

書きながら辛いけれど、
不慮のタイミングで死ぬ時、
世界で一人、
その人は自分の声だけを聞いて死ぬんだと
この体験を持って突きつけられた。

そんな体験をせずとも、
「生きていてよかった」と思えるような、
日常から「毎日を大切に生きよう」と
思える機会はとんでもなく
大事なことだと以前より尚、思う。

だから、今
深呼吸ができる時に、
思いっきり深呼吸をして、
この世界の空気を吸う。


そして私が昨日、不安の渦中に
思い出したシーンは家族や
大切な人に愛されている記憶だけだった。

愛情も生きている時しか感じられないし、
与えられない。

今一番思うことは、
それが最も大切だったということ。

これからはもっと
愛情を伝えられる人になりたいな、と。


書き残して初めて霊体みたいな感覚から、
ちゃんと生きている実感を取り戻しました。

死は晴天の下、驚くほど静寂の中で、
ありがとうは言えずに、突然現れる。

ただ一つ、
そんな日が来なくてよかったということが
今の全てです。

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