母のこと


母は友達作りが上手。


白血病になって
無菌室で閉じ込められても
人には辛さを見せなかった


過酷な移植をしてる時も
看護師さんにも辛い時は
ナースコール鳴らしていいからね
と言われても鳴らさなかった
他に辛い人がいると思うからって

白血病になって体も心もぼろぼろなはずなのに
一度も泣いたところを見てなかった



入院生活では
無菌室という限られた生活を工夫しながら
とてもたのしくしていて
共に頑張ろうねと励ましあう
血液の病気という共通点の移植仲間が
増えていった


母はいつもこういう人がいると
楽しく紹介してくれる



みんな血液の病気の中でも
さまざまで個々で治療方法がちがう。

母はどちらかというと
骨髄移植をしないと余命半年
といわれるくらい重症な方だった。



母が退院をして、
外の世界になれるため
少しずつ仕事をはじめた頃、
私も付き添いで車に乗っていた

母の仕事は着物を作るための仲介屋さん
だから京都市内を車でぐるぐる回っている。


車中、途端に移植仲間の話をしだした。
連絡を取ってみたけど
返事がないからもしかしたら
なんかあったのかも。と話し出した。



ちょうどその方の家の周辺?の時
母がもしかしたら
もう亡くなったのかも

ごめんUターンするわ

といきなり言われ、葬儀場を通ると



その人の名前があった



車を止めて一緒に手を合わせにいった。
突然、正装もせず私服できた
私たちをご家族はとてもびっくりしたと思う。

でも暖かく受け入れてくれて
母は泣きながら一緒に頑張ろうねって
支えあってきたと入院生活の話をしていた。

その方も移植は成功したけれど
その後の合併症で亡くなった。




一番怖いのが合併症。
母はいつも死への恐怖と共に生きている。
移植仲間が何人か亡くなっていて
自分も同じかもしれないという
恐怖と戦っている。


病気関連で初めて母が泣いてるところをみた。
うちの母は自分のことでは涙を流さないが
人のことでは涙を流す人だ。
死と隣り合わせの恐怖を持って生きている
母に対して私は何もできてない。
その気持ちの救い方がわからない。



簡単に命を落としてしまう人が
たくさんいるけど、
死にたくないと戦っている人もいる
その方もおそらくその一人だったと思う。



昔よく聞いた話
誰かが死にたいって思った一日は
誰かが生きたいって心から思った一日。


本当にその通りだと思う


命の重さが個々で違うのは
当然かもしれないけど
自分の命を粗末にする生き方は
誰一人してほしくない。



私も自分が嫌だと思う時は多々あるし
生まれ変わりたいって
なんで私にうまれたんだろって思うことも
何度もあった。
でもこの地球上で
数えきれないくらいの人がいる中で
私という人の代わりは
こんなにたくさんいるのに誰一人いなくて



私の人生で感じる痛みだとか
苦しみとか幸せだとか喜びとか
私の感性を味わえるのも私だけ


一人一人がその人しか歩めない人生なのに
マイナスな方向に世界が傾いている気がする。
人の心に繊細になるのは悪いことじゃないけど
みんな本質的な生きる喜びを忘れている気がする


人生で 幸5:5辛 があったら
辛いに引っ張られてしまう。
どうしてもマイナスエネルギーの方が強いから。
辛いことがあるから幸せは倍増するし
気づかないものも気づくんだよ
人生は学びの場所だなってすごく思う
だからこそ生きて学びを味わいたい

通勤電車の中の人たちとかも
生きるエネルギーを感じない

どうやったら一人でも多くの人たちが
前向きに人生を生きられるかな?
私にできることを考えていく。



母は死との恐怖が隣り合わせでも
今をしっかり感謝して生きていてくれてる。


本当に変わり者で娘の私でも、
え?って思うことが多々ある。
でも母のおかげで気づくことがその倍ある。
分け隔てなく誰とでも接する母をみてるからこそ
私も人に対しての接し方をもっと
大切にしなくちゃって思う。


母の娘でよかった。
母には、もっともっと見せたい景色がある。


必ず見せるから

もう少しだけ待ってて




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