高校の卒業式の話

私の家庭環境は他よりも少しだけ恵まれていなかった、と思う。

そもそも「一般家庭」のスタートラインにすら立てていなかったのだ。ここでの一般家庭は両親揃って同じ家に住み、虐待も無く健康に育てる環境と思って欲しい。
まぁ私はとんでもなく健康優良児だったので健康ではあった。それが祖母の美味ぇ飯のお陰だということは一人暮らしを始めてから気づいた。
両親が揃っていないし、父親は遠くの会社に毎日出勤して夜は夜の店に繰り出していたと言うのだからもう終わりである。それで父親は借金を借金で返す生活をしていた。
そんな中私は祖父母と叔母に育てられた。

そんな長々と前提を話したが、今回高校の卒業式の話をしたいと思う。
というのも、母校で教育実習してきたらしい友達から高校時代3年間担任だった先生が辞めていたとの話を聞いたからである。

高校の卒業式。私立中高一貫だったので6年間通った学校と離れる日である。なんだかんだ6年間特待生として通わせてくれて、6年間授業料と施設費を免除してくれた学校には感謝している。めっちゃ特待落とされかけたけど。

卒業式の式自体の記憶はほぼ無い。コロナ禍だったからものすごい早く終わったことはなんとなく覚えている。

最後のHRの時間。担任の話の最終盤だった。
「皆さん、保護者の方と手を繋いでください」
ちなみにこの時保護者の参加は各生徒1人だけ認められていた。コロナ禍なので。
思春期も終わりが近いが高校生の娘が父親と手を繋ぐのは少々渋った。まぁとりあえず言われた通りにしてみた。

「保護者の方に感謝しているなら、手を強く握ってください」

なんとグロテスクな発言なんだろうか。と思った。
その時気づいたのだが、担任の目の前の席の生徒は親が来ていなかった。今思うとそれもかなり酷い状況のように感じるが、その時の私は自分で手一杯だった。許して欲しい。

私は思い返した。

「失望した」
中3の秋。合唱コンクールの練習で帰りが遅くなった日だった。私たちは本気で優勝を狙っていた。何事も全力だった。
ただ、私は成績が中3になってからガタ落ちしていた。特に数学、高校数学が始まったのもあるし、優しく丁寧に教えて先生が変わって教えるのも特に上手くない適当に授業する先生になったのもあって、まったく数学が分からなくなっていたのだった。
そういう理由で私はその日教頭と中学主任からお呼び出しを受けていたのだった。これが私の特待落ちの恐怖との戦いだった。
そんな中父親は冒頭の発言を娘に吐いた。

思春期真っ只中、父親と浅くしか関わってこなかった中学3年生がこの言葉を吐かれた時の気持ちを誰が理解出来ようか。
今打ち込んでいても涙が出てくる。

私は中学のお偉い方に呼び出されたことを父親に言わなかった。ただそれだけだった。
呼び出されたことを担任が勝手に父親に連絡して伝わっていたらしい。
それを言わなかっただけだった。たったそれだけのことで、唯一片方残った親から失望された。こんなの多感な時期に受けた言葉の暴力だ。

今思えば、父親だってお金が無い中私を私立に通わせてくれたのだから感謝すべきだと思う。借金を借金で返していたような人間が一人娘を私立に通わせるのは相当な苦労が伴うと思う。
悪いことをして黙っていたことに許せない気持ちになるのも理解はできる。そりゃあ万引きしたとか、キセル乗車したとかを黙っていたのなら怒られて当然だし、失望されたって仕方ない。
でも私は犯罪を犯したわけではないのだ。
呼び出しをくらったとはいえ「今回の結果やばかったから次頑張ってね」の話なのだ。
犯罪と比べれば全然マシだと思うし、私が話さなかったのは心配をかけたくなかったからだ。転んで擦り傷ができたことをいちいち親に言う必要も無いだろう、くらい軽い気持ちだったのもある。

それから高校生になっても三者懇談の度に父親と私は呼び出されていた。私1人だったのは初回だけで、それから高校2年生の終わりまでずっと私は特待を落とされるかもしれないと言われ続けた。
結果として落とさず6年間特待生にさせてくれていたのは本当に学校には感謝している。

呼び出されると父親は大きなため息をつき、帰りの車の中でぐちぐちと文句を言い続ける。
それ故に、今も父親と2人で車に乗るのは苦手だ。なのに明日2人で福岡から鳥取に行く。地獄か?

特待生継続となる度に父親から「俺が校長と仲良いお陰だぞ」的な事を言われる。えぇ……となるのは毎回だった。

そして時は流れて高校3年生。
コロナ禍で全然勉強に集中出来ず成績はさらに落ち、大学進学は出来ると思うけど……みたいな状況だった。

高校3年生の12月。共通テストまであと1ヶ月。
三者懇談の帰り道、学校の近くの大きな交差点に差し掛かる直前、父は言った。

「お前、本当に法学部行くんか?」
「このままやと大学行けんぞ」

頑張れ、でもなく。心配でもなく。
父は私に「大学に行けない」と言った。

今でも思う。これ、共通テスト1ヶ月前の子供にかけるべき言葉ワースト2じゃね?ちなみに追い打ちかのようにこの数日後、祖母から「お金を出すのは父なんだから、進路は親が決めるもの」と言われている。たぶんこれがワースト1である。当時全然令和だぞ。

この後父親の希望していた国公立にしっかり入ってちゃんと法学部に行ったあの頃の私、自分の意思ひん曲げてでも大学受かってて偉すぎる。成績落ちすぎて通ってる大学の志望校判定Dだった記憶あるし本当は行きたかった私立大学の志望校判定Eだったけどこれも受かったし、本当に偉かったと思う。

さて時は流れ卒業式に話は戻る。
「親に感謝しているなら手を強く握れ」という無理難題を出された。

これをここまで読んだ人に聞きたい。あなたならどうしただろうか。

私は、父親の手を握ったまま力を入れなかった。体裁は守ったけど、父親にだけわかるように。
この時、父親の方から強く手を握られた。

ささやかな復讐だった。
あの頃の私がどれだけ傷ついたかこの人はきっと知らないし、この人の態度がどれだけ私を苦しめたかも知らないのだから。

その時私は周りを見ていた。父親の顔なんて見られなかった。でも、自分が育て上げたと勝手に思ってる娘に裏切られた哀れな父親のことよりも何よりも周りの親子たちが感謝で号泣している姿を見て、「そうなれなかった自分たち」を見て苦しくなってしまった。
そこで卒業式の日に初めて泣いた。

どうしてこうなったんだろうね。
あんな親子になりたかったな。
でもどうやったって、あの頃の私がきっと貴方を一生許せない。

どうにか私と父親の関係もやり直せないかな、なんて微塵も思わなかった。許せないから。

大学に入ってから父親は優しくなった。
金の心配がほぼ無くなったのが大きな原因とは思うけど、卒業式の1件が効いていたら嬉しい。


最後に、辞めてしまった担任に次の学校でもう二度とあんな最後のHRをしないで欲しいなと願っている。

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