とあるおじさんの話

※この投稿には自死、自殺の話を取り扱います。苦手な方はブラウザバックをお願い致します。







お父さんの幼馴染みが亡くなった。
12月24日、クリスマスイブの朝だそうだ。
死因は、自殺だった。

その話を聞いたのは叔母からだった。
「(おじさん)が自殺したの聞いた?」と。
勿論地元にいるわけではなかったので知らなかった。誰も教えてはくれなかった。

鑑識によれば死亡時刻は朝7時。その前に母親に「朝早くにこっちの家に来て」と伝えていたらしい。
その日は団地の掃除があるから、と母親は8時半頃に向かったのだという。

もっと早く来ていれば、と思わせるような光景だったと思う。
どんなにショッキングだったんだろうか。自分が腹を痛めて産んだ息子が首を吊っている姿を見るのは。

数日前に再婚して数年の奥さんから離婚を突きつけられていたらしい。奥さんは子供を連れて出ていったと。

私もうつ病患者なのである程度わかる。
孤独な人間は何をしでかすのかわからない。
47歳、誰かに相手をされる歳でもないと思ったのだろうか。
何だか未来の自分のようにも思えた。

何が1番心を痛めたかといえば、その人の最愛の息子は12/26が誕生日だったのだと言う。
カレンダーにある息子の誕生日には、おめでとう。ごめんね。とあったらしい。

おじさんはかなりの酒飲みだったが、自殺を決行した時は酒を飲んでいなかったという。下剤を飲んで全部なくした上で、なるべく汚くならないようにオムツを履いて。

私の町は、普通の町の顔をしてどこか歪んでいる。山奥の町特有の歪みを感じる。
多分「誰かに言えばよかったのに」「そこまでしてなんでそんなことしたんだ」と言い出す。

そうせざるを得なかったのだ。と私は思う。
そこまでして、ではなく。そうせざるを得なかった。その気持ちは多分、あの歪んだ町の住人たちは分からないと思う。
通夜や葬式でそんな心無い言葉をかけないことを願う。

遺された小1の娘は「こんなに早く死ぬとは思ってなかった」とあっけらかんとしているという。
交通事故で死んだ、と伝えられたそうだ。
事実を伝えない優しさもあるけれど、いつか大きくなって真実を知った時、あの子はどんなことを思うのだろう。

そしてもう1人、息子の方だ。
そっちの方がむしろ気がかりである。
というのも、息子の誕生日に父の葬式があり、骨となるわけだから。

まだ何も話していないが、父はどう思ったのだろう。父はおじさんのことが苦手だった。でも、だからといって死ぬことを願うほど嫌いなわけではなかったはずだ。娘には何となくわかる。

今回の件で喪服を買った叔母は言う。
「何となく人が続けて死ぬ気がする」と。
10年ほど前、うちの近所で立て続けに人が亡くなった時期があった。しかも、全員が首吊りだった。
そうならないことを願いつつ、何となく自分が呼ばれている気がしなくもなかった。

叔母との電話が切れた後、冬公演のエンディングだからと泥中に咲くを聴いた。
『酷烈な人生、あなたを遮る迷路の荊棘』
酷烈な人生だったんだろうな。そんなことを思いながら足早に駅に向かった。


夏に会った時、あれが最後になるなんて思っていなかった。
あの場でお酒が飲めなかったから、来年は飲める姿を見せられたら、なんて思ってた。
その来年が一生来ないことが悔しい。
小さい頃から本当によくしてもらった。盆踊りも復活させてくれた。なのに。
まだ、いかないでほしかった。

これは私の自己満足だ。ただただ飲み込めなくて辛いことを書いているだけ。書かないと気がすまなかったから書いている。それだけです。

どうか、あっちでお酒でも飲んで楽しく暮らしていてくれたらいいな。

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