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今日の山田君 〜思うこと〜 66

世界よ、さわることを忘れるな

世界よ、さわることを忘れるな――

COVID-19(新型コロナウイルス)の出現は、いやおうなく、世界に「さわる」ことの意味を問いかける。

このまま人々は「さわる」ことを忘れるのか、それとも新たな「さわるマナー」を創出できるのか。

「さわる」をテーマに活動してきた全盲のキュレーター・研究者による連載。

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■新たな触れ合いのマナー創出に向けて■

 かつて人間は「距離」を縮めるために、身体を駆使して対象物に肉薄した。中世・近世に各地を遍歴した琵琶法師の芸能を想起するまでもなく、テレビやラジオがない時代、人々の生活は濃厚接触で成り立っていたともいえる。濃厚接触で人・物に触れる際、そこには暗黙のマナー、触れ合いの作法があった。近代化の「可視化=進歩」の過程で、人類は濃厚接触のマナーを忘却してしまった。


■「濃厚接触」のプロとして■

 視覚障害者は「濃厚接触」のプロである。いきなりこんなことを書くと、反発を感じる人もいるだろうか。目の見えない僕が家族・友人といっしょに歩く場合、ごく自然に相手の肘(時に肩)に手を置く。近年、視覚障害者が公共交通機関を利用する際、駅員などによるサポートを気軽に依頼できるようになった。駅員は視覚障害者を誘導する研修を受けており、躊躇なく僕に肘を持たせてくれる。また、点字の触読に代表されるように、視覚障害者は日常生活において、さまざまな物にさわっている。者に触れ、物に触れることを日々繰り返している視覚障害者にとって、「濃厚接触」を拒絶する昨今の風潮は辛い。
 “触”とは、単に手でさわることのみを意味しているのではない。触れる手の先には人がいて、物がある。「触れ合い」(相互接触)という語が示すように、“触”にはコミュニケーション、対話の要素が含まれている。さらに、視覚や聴覚など、他の感覚と異なる触覚の最大の特徴は、全身に分布していることである。足でさわる、背中でさわる、皮膚でさわる……。音を聴く、においを嗅ぐ、食べ物を味わうなども、広義では“触”の一部ということができる。僕は、“触”とは「全身の毛穴から『手』が伸びて、外界の情報を把握すること」と考えている。「身体感覚を総動員して体感する」と言い換えることもできるだろう。


■「人に優しい」から「人が優しい」へ■

 21世紀に入るころから、「人に優しい博物館」の含意で、「ユニバーサル・ミュージアム」という語が用いられていた。ユニバーサル・ミュージアムは和製英語である。バリアフリー、すなわち障害者や高齢者などへの個別の施策ではなく、広い視野で来館者サービスを普遍的・総合的にとらえていくべきだという姿勢に、僕も大いに共鳴した。

 しかし、「人に優しい」という表現には違和感があった。少しひねくれた言い方になるが、「人に優しい」で用いられる「人」とは誰だろうか。そこには、健常者(多数派)が障害者(少数派)に対して優しいという図式が見え隠れする。健常者の「上から目線」というと言い過ぎだろうか。僕は、「してあげる/してもらう」という一方向の人間関係を打破するのが「ユニバーサル」の真意だと考えている。そこで、ユニバーサル・ミュージアムの日本語による説明として、「誰もが楽しめる博物館」を使うことにした。この定義には、障害者も健常者も対等な関係で博物館を楽しもう、楽しむことができるという僕の願望、信念が凝縮されている。


■優しい社会への危機感■

 瞽女や琵琶法師が旅をする場合、外界の情報を効率よく得るために触角(センサー)を伸ばす。手、さらにはその延長である白杖(かつては木の枝などの棒)はセンサーの代表だが、触角は耳や鼻はもちろん、全身に分布している。外界に伸ばされたセンサーは、次の段階では内界(自己の内面)へと向かう。
 視覚障害者にとって、歩くとは全身の触角を鍛える実践である。毛穴から伸びるセンサーを手入れするメンテナンス作業が、盲学校やリハビリ施設での歩行訓練だということもできる。盲人芸能において、歩くことと語ること(演奏すること)は表裏一体だった。誤解を恐れずに言うなら、歩くことをやめた時、琵琶法師や瞽女は消滅したのである。僕はガイドヘルパー(外出支援者)制度の拡充を喜ぶ一方で、視覚障害者たちを一人で「歩かせない」優しい社会に、ある種の危機感を抱いている。さあ、棒(白杖)を持って歩め、されば望(希望)が見えてくる!


■「健常者幻想」を打ち破る■
 ここまで本連載コラムをお読みになった方は、以下のような感想を持っているのではなかろうか。「目の見えない広瀬は頑張って、いろいろなことにトライしているなあ」「日本の歴史の中で、目の見えない宗教者・芸能者が大きな役割を果たしていたことがよくわかった」。ちょっと意地悪な言い方をすれば、目の見える読者にとって、目の見えない人は、あくまでも自分とは別の世界の住人である。僕の体験談や研究に興味を持ってくれたとしても、所詮それは他人事でしかない。この図式は、人類学の「調査する側」「調査される側」の関係に類似している。 近年の拙著では、曖昧な「健常者」に代わって、「見常者」(視覚に依拠して生活する人)という語を使っている。僕が見常者でないのは明らかである。そして、現代社会を構成する大多数の人が見常者であるのも間違いない。では、琵琶法師や瞽女が活躍した中・近世はどうだろう。平曲や瞽女唄に耳を傾けていた民衆は目の見える人々であるが、見常者というわけではない。彼らは見ることに偏らず、さわること、聴くことの楽しさ、奥深さも心得ていた。
 どうすれば視覚障害者の人生経験、盲人史の蓄積を我が事として健常者に受け止めてもらえるのか。いつも、僕はこの問いへの答えを模索しつつ、本を書いている。この問いに対する明確な答えを出せれば、たぶん拙著はベストセラーになるだろう(そんな日はいつやってくるのやら)。

 近年の拙著では、曖昧な「健常者」に代わって、「見常者」(視覚に依拠して生活する人)という語を使っている。僕が見常者でないのは明らかである。そして、現代社会を構成する大多数の人が見常者であるのも間違いない。では、琵琶法師や瞽女が活躍した中・近世はどうだろう。平曲や瞽女唄に耳を傾けていた民衆は目の見える人々であるが、見常者というわけではない。彼らは見ることに偏らず、さわること、聴くことの楽しさ、奥深さも心得ていた。
 人類が過度に視覚に依存するようになるのは近代以降である。現代社会においては、「健常者→見常者」「視覚障害者→触常者」の置き換えは可能だが、時代を遡れば目が見える触常者も多数存在していた。また、「目に見えない世界」が尊重されていた社会では、盲人(視覚を使わない人)は障害者(視覚を使えない人)ではなかったともいえるだろう。目の見える触常者が増えれば、「障害者/健常者」という二分法に基づく近代的な人間観は改変を迫られる。『触常者として生きる』が読者の毛穴に眠る触角をくすぐり、社会の多数派が保持する「健常者幻想」を打ち破ることを期待したい。

自分の毎日の生活をふりかえってみると視覚にだいぶ頼っている。
まずは1日の中で、"目を閉じて 心を開く時間"をととることからはじめてみようと思う。

中学生の頃は夜が大好きで、友達と夜中に抜け出して散歩するのが自分のなかでとっておきの時間だった。
何もない田舎道を目的もなく歩く。
たわいもない会話をしながら耳がいろんな音をひろっていく。
昼間にはない感覚を味わえる暗闇はこわいどころかワクワクする時間だった。

少し成長し、夜中でも明るい街を知った。
すると暗闇がこわいと感じるようになった。
見えないことに恐怖するようになった。

見ることで見えなくなって、見えることで感じられなくなるのは、ほんとそのとおりだなと思った。


想いをすくいあげる人たち

息子が通っている小学校の現校長を見かけるたびに、その行動を知るたびにすごい人だなぁと感心してしまう。

子どもたちが学校生活を楽しめるように工夫してくれているのが伝わってくる。

がまんする期間があった分、少しでも取り戻せるようにと手を尽くしてくれているのがわかる。

校長自ら教室に出向き写真を撮り、保護者にも共有してくれる。

3年生の社会科見学の見送りのときに「楽しんできてね。」といったら、「社会科見学は遊びではありません。」といわれてしまいました。失礼しました(^_^;)

写真と一緒に校長先生のことばも添えられているのだけれど、ほっこりした気持ちになる。

あたりまえだった日常が非日常になって、人の想いが見えやすくなったように思う。
耳触りのよいことばの使い手でも、その人がどんな行動をとっているのかを見ていると人柄がよく分かる。

人に興味がある人なのか、事柄に興味がある人なのか、何に興味がない人なのか観察してるとなんとなく見えてくる。

わたしたちの気づかないところで想いをすくいあげてくれている人がいる。
そういう人たちは大きな声でアピールすることもないから、そのありがたさに気づくことは難しいことなのかもしれない。

これを書いていてふと、息子の卒業式にお世話になった校長先生や先生にお礼のお手紙を書いて渡したらいいのでは?、そんなことが頭に浮かび、そうすることに決めた。


葛藤

ひさびさに、読んでいて苦しくなる文章と出会った。

最大の障壁は、問題があるのではなく、それを問題と思っている私がいると気づきその見方を手に入れることだと思います。当然そこには激しい葛藤がありますが、その葛藤を乗り越えることこそが苦しみを乗り越える一つの鍵だと思います。

これは締めくくりに書かれていた部分だけれど、自分のくせを再確認することができた。
わたしは、「もしも〜たら」のために対策しようとするクセがある。
起こらないならそれにこしたことはなくて、それに対して無駄に感じることはない。
ただ自分の安心のために、いちど苦しい部分をあえて味わうクセがある。

でも、ちょっと苦しすぎることもあるから、やり方を変える必要があるのかもしれない。
潜りすぎて身動きがとれなくなる自覚があるから、潜りすぎていないか確認する違う目を意識する必要がありそうだ。


呼吸をするのも忘れてしまう

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集会所のイチョウの木。
毎年その姿に魅了されてしまう。

この季節は子どもたちもイチョウの葉っぱで雪合戦のように遊んだり、花吹雪みたいにしてみたり、ふかふかベットにしてみたり…みんなはしゃいで楽しそう。

見知らぬ枝に

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庭にどこからか飛ばされてきた枝が落ちていて、片づけるために折っていた。
するといい香りが漂ってきて、折った部分に鼻を近づけてみたらなんともいい香りで、名も知らぬその枝に癒された。
はたから見たら枝をくんくんしてるあやしい人でもある。


共に暮らす

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うちの次男さん。
ユーモラスで奇想天外なことをしてくるので、楽しい人だ。

ただ、一緒に生活していると「共に暮らす」難しさも感じる。
一緒に時間を過ごすのと、一緒に暮らすのとではまた別次元の話になる。

成長につれて摩擦になりやすい部分も見えてきて、それをどう捉えていくのか、親としてどこまで踏みこむのか悩みどころでもある。

一緒に住むことは、すりあわせが必要になる。
自分を曲げる必要がある。
「曲げたくない」という想いが強ければ苦しいものになるし、「ここは自分が曲げとくね」と柔軟にあつかえたなら、楽しいものになるのかもしれない。

誰かと住むのは共同作業。
がまんを我慢ではないものに変える練習の場でもあるのかも。
「ほんの一部分しか分かり合えない、それでも一緒にいられる」を理解していく場でもあるのかも。



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