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さまざまな人たちのなかで

わたしの通っていた小学校はマンモス校で、1学年で約150人ほどいた。
同じ学年というだけで、同じ箱の中にいる人たち。
けれど、今でも関係が続いているのはたった数人だ。

ある同級生の男の子は薬指の第2関節から先がなかった。
「お兄ちゃんにナタで切られちゃった。」
と、教えてくれた。
触らせてもらうとぷにっとしてやわらかかった。
いつもにこにこしていて、まるで太陽のように温かだった。

また別の男の子は骨折を毎年のように繰り返している子だった。
幼稚園の時には女の子に押されて転んで骨折していた。
皮から骨が飛び出してしまったこともあると言っていたが、度重なる骨折で痛みに鈍くなってしまったそうだ。
ひょうきんな性格で、いつもふざけているのだけれど、時折見せる寂しいそうな表情を見ると少し切ない気分になった。
そんな彼は骨粗鬆症で、「年の数だけ骨折っているんだ」おどけて笑いを誘う子だった。

同級生に女神のような存在の女の子がいた。
活発なのに清楚な雰囲気もあって、
だだ居るだけで周りを明るくする子だった。
医者を目指していて、中学は私立に行ってしまったけれど、今でも強く印象に残っている。

また、切れると危険な男の子も数人いて、泣きながら怒りカッターを出して威嚇していたり、ブチ切れて素手でガラスを割ってしまう子もいた。
あの当時は危険な子だと思っていたけれど、
思春期ならではの謎のイライラや
抱えきれない何か、昇華できない思いでもあったのだろうか。

6年生のとき、何かがきっかけで学校にこれなくなってしまった子がいた。
ある日、担任だったスポーツマンの先生がその子をお姫様抱っこしてあらわれた。
わぁぁぁ、、、声にならないような女子からの憧れの眼差しが向けられていた。

学校には支援学級があって(当時は特殊学級という名前だった)、大きな学校のわりに、3人の生徒しかいなかった。
どの子も「あーあー」「うーぅ」ということばを発するだけで、
会話をすることはできなかった。
泡をふいて校庭で倒れてしまったり、ある子はどうしても便器の中にうんちをすることができなくて、いつも和式便器のとなりにうんちがされてそのままになっていた。
「〇〇ちゃんのうんちまたあったね」
気づいたら片づけるが当たり前になっていた。
慣れるまでは、個性あふれるその存在感にとても驚いてしまうのだけれど、不思議と慣れていくものだ。そして、通じないと分かっていても、自然と声かけするようになる。


6年生のとき、1クラスだけ早熟なクラスがあって、朝にエロビデオ上映会をしていたり、拾ったエロ雑誌鑑賞会が行われていた。
そのときわたしは保険委員になっていて、その早熟なクラスの「衛生検査」をやらなくてはいけなかった。
エロに盛り上がる中での爪の長さチェック。
今考えても異様な光景だ。

知ることで生まれる安心感がある。
相手を知り慣れること。
無理に仲良くする必要も
必要以上に近づく必要もない。

でも、排除だけはしたくない。
それは理解できない恐怖から逃げること。
恐怖から逃げても恐怖はなくならない。
むしろ逃げれば逃げるほど
形を変えてまたやってきて
恐怖を感じるだろう。
その事実を受け入れること。

分かり合えなくてもいいから
良いも悪いもただ認め合えたらいいのになと思う。


今日もあなたに心の安らぎと幸福感が訪れますように♪



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