占いは鑑であり鏡でもある
占いは鑑であり鏡でもある
昨年、西洋占星術鑑定をオンラインである方に依頼した。
具体を捨て抽象を扱うことで一生使える鑑定文を目指しているそうで、個人的には「占星術は叡智であり哲学であり謎でありエンタメだ」という言葉にワクワクしすっかり魅了されてしまった。
鑑定文は8000字を超える読み応えがあるものだったので、一度読んだだけではすべてを理解できない。
逆にそれが少しずつ紐解いていく楽しみにもなる。
自分の状況も変わっていくだろうし、それに合わせて読み返したときに目に止まる言葉も変化し、新しい発見が起こりそうだ。
妙に鑑定文の「鑑」という字が気になってしまったので調べてみた。
鑑定を受けるということは、手本を授かることでありいましめでもあるのかもしれない。
占いにハマって気づいたこと
ひたすらいろんな占いに目を通してい気づいたことがいくつかあった。
それぞれの星座の特徴から、自分と他者の違いが見えてきた。
物事の捉え方や重視すること、囚われやすいことなどほんとにさまざまだった。
わたしは相手のなかに同じ部分を見つけると嬉しくなる。
逆にあまりにも大きな違いを感じると衝撃を受ける。
同じ日本人であれど、異国の人だと思いながら相手を知っていくと、違いに驚きつい拒絶しそうになるのを、和らげることができるように思う。
きっと人と会話をするときには、同じ感覚で話すのではなく、どういったところが共有できて、またできないのか、どれくらい踏み込むのか、踏み込まないのかなど意識できるとよさそうだ。
星座を通して人の持つ重さや軽さ、濃度や粘度(さらっとしているのか、べったりしているのか)など内面的な性質や特徴を知っていくと小さな感動が起こったりする。
実にさまざまな特徴を持つ人たちがいる中で社会が動いていたり、人と人とが関わりあっているのかと思うと正直すごいなと思う。
また、占いには占い師さんの価値観も反映されていたりして、何を重視しているかが見えてきて相手を少し知れた気がして楽しくなる。
鑑定文を読んでいると、太陽をはじめ月、火星、金星、木星、土星、冥王星、天王星とが影響し合っていて、相反する働きに対して、サポートする働きが起こりうまくバランスがとれることもあるのだと知った。
「ひとつのことに囚われてしまうのではなく、全体的にバランスがとれればそれでいい」そんなことを教えられた気がした。
養生鑑
さまざまな星たちの影響を受けていると思ったとき、以前みた錦絵の養生鑑を思い出した。
自分が生きていられるのは小人のようにからだの中で常にサポートを受けて支えてもらっているからだ。
占星術も同じでサポートや影響を受けたり与えたりしながら今の自分が形づくられている。
そう思うとからだの中に「宇宙的なもの」を感じるし、さまざまなものに助けられているのだと気づかされる。
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