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今日の山田君 〜思うこと〜 49

糸電話

会話も糸電話のイメージが持てると、一方的なおしゃべりではなく、つながりを感じられる会話になるのではないだろうか。
聞いてくれる人がいるから、気持ちよく話せるのだと気づけるのではないだろうか。


真面目とは?

学生時代、真面目そうに見えるだけでサボっていてもバレずに得することが多かった。
(書いていて思ったが、どうやらわたしは怒られないことが得だと思っているようだ。)

実際は、サボっているのだからテストの点数はもちろん悪い。
先生が採点後のテスト用紙をわたしに配るときには、「しっかりやってるのになぁ…」と不思議そうに首をかしげていた。
テストをすると中身がないのがバレてしまうのだ 笑
(そりゃそうだよね)



あるとき「あぁ、同じだな」と思った。
大人になってもちゃんとやってそうに見えることは、わりと必要なことなのだ。
本業にはまったく意味をなしていない建前上の書類。
ほんとに無意味だなと感じてしまうけれど、それをやることでマイナスがつきにくくなる。
マイナスがあるならプラスもしてくれたらいいのに…とは思うのだけれど、残念ながら減点されるだけ。
「加点の可能性もあるよ」なんて言ってもらえたら、最初はおもしろがって挑んだりできそうなものだけど。

減点だけなんてつまらなすぎる。
評価されるだけってつまらない。

ただ…学生時代のようにまじめに見えているだけではテスト(チェック)されるとやはりボロがでてしまう。
いいかげんではあるけれど、いい歳の大人になったので、さすがに今は言われた書類がすぐに出せるようにしておくことや、相手が必要としていそうなものを言われる前に出すように努めるようになった。

どうしても細かなミスをしてしまうので、得意な部分でプラスを稼いで、苦手な部分の減点をカバーするようにしている。
(この「稼ぐ」は金銭ではなく人がもつ印象のこと)
プラマイゼロになれば御の字。


不思議なのは「ちゃんとしている」と判断されると、なぜか大目にみてもらえたりとおまけがつくこと。
外部の人がそれらを見て、ちゃんとしていると判断する。

かっちりとした環境の中で働いている人と話す機会があると、「大変そうですね」とか「毎日おつかれさまです」と声をかけたりするのだけれど、それは共感でも相手を労っての言葉でもなく、「枠のなかで働いててすげー!」みたいな意味合いの言葉だったりする。
わたしには出来ないことだから、リスペクトに近い「大変そうですね」「毎日お疲れ様です」なのかもしれない。


鶏の心臓

体操教室の帰りに子どもたちと焼き鳥屋さんに寄った。
居酒屋のようなメニューもあって、そこで飲み食いすることもできるし持ち帰りもできる、そんなお店だった。

「かしらって何ですか?」
おじちゃんに聞いたら
「豚のここら辺のことだよ。頭って書くんだよ。」
と、ほおあたりを指しながら教えてくれた。
「なるほど!じゃあ、それを3本と…わぁ!あれも美味しそう!(子どもたちに向かって)なんこつ串食べる人〜?」
といった具合にわいわいしながら注文していたら気づいたときには23本になってた笑

店員さんが注文したものを復唱してくれて「合ってますか?」と聞かれたけれど、「覚えてないのでそれで大丈夫です。」と苦笑いしながら答えた。

おじちゃんがやきとりを焼いている姿を見ているのが楽しくて、子どもたちとあれこれ話しながら前のめりの姿勢で見ていると、おじちゃんが「あまり見られると、おじちゃん鶏の心臓だから…」と恥ずかしそうに笑いながら言った。

ときどき夫が出かけて不在のときがある。
そんなときは子どもたちに「あそこ行っちゃおうか!」とか「あれにしちゃおうか?」とか提案を投げる。
すると子どもたちがあれこれ言ってくる。
そうやって盛り上がりのなかで何かを決めて行動するのが楽しいし、子どもたちものびのびしていていて、そんな姿を見ているのも楽しかったりする。


夫が好きそうなやきとりも念のため何本か買っておいた。
帰宅してわたしたちがやきとりを食べ始めると、出かける前の夫が匂いにつられてやってきて、白ごはんまでがっつりと食べて「うまい、うまい。」と喜んで食べていった。
ゴルフの打ちっぱなしに行ってそのあと飲みに行くと言っていたけど、やきとりの誘惑に勝てなかったらしい 笑



微妙なうざさ

長男と話していると、唐突にこんなことを言われた。
「お母さんって微妙にうざくて、微妙にうざくないんだよね。」
どうやら、うざすぎないくらいのうざい絡み具合らしい 笑

母でありながらいまだに中身は子どもなので、ついついいたずら心がむくむくと出てきて、調子に乗りすぎてしまうことがある。
一応相手を選んでやってるし、ムカつかれない程度にしているつもりだ。
(面白がってくれる人や笑い話にしてくれる人とかね)

わたしの微妙なうざさ加減は
「プラマイゼロかな?いや、少しマイナスだわ。」
とのこと。

大人になるとフットワークが重くなるし、めんどくさがりになりやすい気がする。
たぶん大人になると日常に疲れてしまうのかもしれない。

でも、人の愚痴や失敗談などの過去のことではなく、そのときその瞬間に楽しさを作っていくほうが新鮮さがあってわたしは好きだ。

その感覚は大人より子どものほうが持ち合わせているから、だから子どもと過ごすのは楽しい。


お星さま

セロハンテープで作ったお星さまがぽろっと置いてあった。

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トイレのドアに爪で名前が刻まれていた。

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名前を刻んだ犯人は、「自分じゃないよ」としらをきる。
アホすぎて笑ってしまった。


子どもは意外性があるからおもしろい♪



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