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ホピ族…くりかえしと断ち切る意志。kitarou

インディアンの迫害の歴史とホピ族が継承していることについて。

ネブラスカのインディアン:その征圧の過去と現在



ホピ族


水木しげるのホピ体験

引き続き水木しげるさんの「三途の川の渡り方」の紹介を続けます。
今度は、海外での思い出話です。
以下、同書より抜粋し、引用します。


       *****

              (引用ここから)

アメリカインディアンのナバホ族・ヨロク族・ホピ族の3部族の聖地を回ったことがある。

その旅の中でとくにすごかったのが、ホピ族の踊り。
とにかく圧倒された。

同行してくれたジャーナリストの足立倫行さんから聞いたのだが、
ホピには興味深い伝説があって、伝説では世界はもう2度も絶滅しているという。

その度にホピ族はグランドキャニオンの地下1000メートルの地底に隠れた。

1回目は世界を浄化する火で人間は滅んだ。
2回目は大洪水で滅び、その名残がノアの方舟だという。

ホピ族は農耕の民なので、夏至のころ、精霊を送ると同時に雨乞いのためのダンスを踊る。

ニーマンダンスというのだが、大地との一体化を願ったものだ。

まず穴に入って8日間、絶食をする。
そして当日、おかしな大きい仮面をかぶって、 右と左のふくらはぎに亀の甲羅と鈴をつけて、「ファー」と4,50人が声を出して踊る。

断食をしていたから、声も小さいし、動きも少ない。

じつはこの祭りは神聖なので、写真撮影はおろかスケッチもいけない。
もちろん録音なんかしたら殺されても仕方ない。

でもぼくはこっそり小型のテープレコーダーで録音してきてしまった。

ふつうの人が聞くと5分も聞いたら眠くなってしまうというのだが、ぼくはこの「フファー」という4,50人の声が一つになるのが気になって、一週間、ずっと聞いていたら、楽譜にない音が聞こえてきた。

そうしたらすごく自由になった。
木や石とも会話できるような気持ちになってきたのだ。

キリスト教以前のメソポタミア地方には、大母神信仰というのがあって、これは自然信仰だった。

古代エジプトでも太陽が神としてあがめられていたように、自然信仰だった。

文明というものが生まれた当時は、人間は生きている時間を死後の世界のために費やしている。
あの世とこの世が混在しているような世界だった。

以前ぼくは、鬼太郎は“第一期人間界”の末裔だ、と書いたことがある。
“第一期の人類”とは、霊的な存在だった。


鬼太郎はその末裔だから、地獄だろうと天国だろうと好きな所に出入りできると考えていた。
霊的な力が上がれば、石にでも入りこめる。

脇役のねずみ男は妖怪。
いつも鬼太郎の邪魔をしようとするが、ちょっと抜けたところがあって失敗する。
愛すべき霊的な存在だ。

人を怖がらせるのが妖怪ではない。
霊の世界を教えるために、ぼくらの世界に現れるのが妖怪だと、僕はとらえてきた。

お化けや妖怪の話を、いい歳をした人でさえ熱心に話してくれるような所では、人間もゆったりした心をもっている。
心に余裕がある。

実利的なことばかり考えていると、お化けも逃げてしまう。

でも僕にはむしろ実利に追われた生身の人間の方がずっと怖いものに見えるのだが、どうだろう。


天体と人間と時計と暦・・「ホピの太陽」

引き続き北沢方邦氏の「ホピの太陽」のご紹介をいたします。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


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          (引用ここから)


ホピ族の友人シドニーといて驚いたことは、シドニーの時間についての感覚の鋭さだった。

デイスクールの用務員という職業にも関わらず、彼は腕時計を持っていなかった。


彼に限らず、私たちはアメリカインディアンが時計を持っているのをほとんど見たことがない。

つまり彼らは時計を必要としないほど、時間の感覚を正確に所有しているのだ。

シドニーと一緒に外に出て、家に帰り着く時はたいてい正確に食事の時間だった。


一つの原因はホピの天文学からきている。

たとえば「布告役首長」の役目の一つは、村の最も高い建物の屋上から毎朝太陽の運行を観察することである。

それぞれの村によって異なる目標から、太陽が「冬の家」に入ったとか「夏の家」の北限に達した、とかが観測され、それが祭りの日を起算する資料となる。



キバの梯子穴はまた、天体観測の天文台でもあり、儀礼の開始や終了は、たとえばソヤル(冬至)の儀式がその方形の穴の中央にスバルが煌めく時刻に始まり、

また儀式の頂点であるカチーナの入来がオリオン座の三ツ星がそこにかかる時刻に行われる、というように、星座の位置によって決められている。



おそらく天文学に対する深い関心と正確な観測は、マヤ以来の伝統であろう。

チチェン・イツァの遺跡の有名な天文台が象徴するように、マヤの暦法や天体観測は、かつてないほど精密であった。

例えばマヤの太陽暦は現代の天文学の観測による計算にわずか0・0002日の誤差しかなく、西洋の太陽暦の基本となってきたグレゴリオ暦より正確である。

また太陽系諸惑星の観測から、彼らは天文学的時間を算定し、月の一年周期である360日を1単位とし、6億年にいたる計算法を考えだした。



今でもホピの暦は冬至から冬至に至る太陽暦であるが、夜の儀礼は必ずこの月の運行の暦に従っている。

ホピの暦は一日の単位で見れば、日の出と日没によって区切られる昼と夜の世界に分けられ、「父なる天」の諸聖性、とりわけ太陽の支配する昼=生と、地下の諸聖性、とりわけ夜の太陽である火と、死を司るマサウの支配する夜=死との二元論的循環によって完全な円となっている。


それをまた一年の単位でみれば、冬至から夏至に至る「夏の季節と、夏至から冬至にいたる「冬の季節」との循環によって成り立っている。

夏は神々の諸精霊の使者であるカチーナがホピの村々に滞在する季節であり、カチーナによる儀礼と祭りが中心となる季節である。

冬はカチーナ達が去ったあと、すでに述べたスネークダンスのように、人間たちが仮面をつけずに顔に色彩を塗って儀礼を行い、祭りを催す季節である。

なぜならトウモロコシが蒔かれ、生育する夏は精霊たちの助力が必要なのであり、それによって収穫がもたらされる冬は人間たちが神々や精霊に感謝する時だからである。


したがって、この2つの季節の循環の接点となる冬至と夏至を中心とした月に、最も重要な儀礼が集中することとなる。

すべての生命の死と再生、そして生のたわむれである性的結合と生誕を示す4大儀礼が、月の暦にしたがって配置され、夏=生の世界への誕生と、冬=死の世界への誕生をそれぞれ表わしている。



この宗教的意味論の中で回転する正確な暦のなかで育ってきたホピの人々が時間についての、正確で独特の反応を示すのは当然であろう。

シドニーはふと何気なく太陽をふりあおいで、そろそろ帰ろうとつぶやいたが、その時彼は太陽の位置で正確な時間を無意識に測定したのだ。

あたかも我々が、必要があるとき、無意識に腕時計に目をやるように。

いや、時には彼は太陽さえも必要ないのかもしれない。

自然のさなかに生きる人々は、人間に固有の天文学的な時間の測定法とともに、動物にも共通の、正確な体内時計をもっているのが普通なのであるから。


             (引用ここまで)


ホピ・インディアンの、二番目の世界の出現と終末-始まり

三十人のホピ長老たちからの聞き書きをまとめた「ホピ・宇宙からの聖書」(フランク・ウォーターズ著)より、抜粋します。


ホピ族の言い伝えによると、この世界は今までに3回の崩壊を経験してきており、今の世界は4番目の世界だと言われています。これはそのうち2番目の世界の始まりと終わりについての言い伝えです。


      *****


第一の世界が焼き尽くされている間、人々は蟻人間とともに地底で平和にくらしていた。
彼らの家は、地上にいたときの状況とよく似ていた。
生活するための部屋があり、食物を蓄える部屋があった
また、まわりを見るための光もあった、
蟻塚の砂の中にある微小な結晶が太陽の光を吸収していた
人々は両目の後ろにある中枢の内的な視覚を使ってその光の反映を見ることができたのである。

ただ一つのことが悩みの種だった。
食糧が底をつき始めたのである。
ソッツナングが第二の世界を創造するには長くはかからなかったのだが、第一の世界が滅びた後、冷えるまでに時間がかかった。
食糧が不足してきたのはこのためである・
「苦労して集めた食物をそんなにくださらなくて結構です」と人々は言った。
‘「あなた方はお客様です。わたしたちのものはまた、あなた方のものです。」と蟻人間は答えた。

こうして蟻人間は自分たちの食糧を人々に与え続けた。
彼らは毎日、自分たちの帯をきつく締めた。
今の蟻が腰のところで細くなっているのはこのためである。

ついに、第一の世界(の火山の熱による焼き尽くし)は冷えた。
ソッツナングはそれを清め、第二の世界を創造し始めた。
海のあったところは陸に、陸のあったところは海に変えて、ソッツナングは地上の様相を一変させた。
このため、第二の世界に生まれた人々はかつての悪しき世界について、なにも思い出すことがなかった。

すべてが完了したところで、ソッツナングは蟻塚の屋根をたたき、呼びかけた。
「わたしの造ったこの第二の世界に入りなさい。
前ほどは美しくないが、それでも美しい世界である。
増え、幸せに過ごしなさい。
しかし創造主とその掟を心にとどめなさい。
創造主に対する讃美の歌が聞かれるうちは、あなたがたはわたしの子であり、わたしに近い。」


こうして、人々は第二の世界に現れた。

そこは広大な陸地で、人々は急速に増えて地の四隅に広がり、地球の裏側にまで広がった。
人々は霊において一致していて、頭頂の中枢から互いを見ては話すことができた。

この扉がまだ開いていたので、かれらはソッツナングを身近に感じ、また創造主に讃美の歌を捧げていた。
しかし、獣といっしょに生活することは許されなかった。
獣は野生化し、人々から離れていたのである。

動物から離れたため、人は自分の仕事に励んだ。
家を建て、村ができ、その間を結ぶ道路ができた。
手でものをつくり、蟻人間のように食料をあつめた。
次に、交易を始め、互いにものを売買しはじめた。

問題がおきたのはこの頃である。
必要なものはすべて、第二の世界にあった。
しかし、人々はそれ以上のものを求め始めた。


人々は、不要なもののためにますます交易を進め、得れば得るほどますますものをほしがった。

状態は深刻化した。
それは、与えられた良き生活から自分が一歩一歩離れていることに、人々が気付かなかったからである。
人々は、創造主へ讃美の歌を捧げることを忘れ、売り買いし、蓄えたものを讃美しはじめた。


起こるべきことがやがて起こる。
人々は争いはじめ、村同士の戦いが起こった。


それでもどの村にも創造主の歌をうたい続けるわずかな人々がいた。
悪しき人々はこの人たちを笑い者にしたので、彼らは心の中で歌うようになった。

それでもソッツナングは、人々の波動センターと地球のそれとを通してこの歌声を聴いていた。
ある日、不意にソッツナングは彼らの前に現れた。

「あなた方の糸が、この世界の上で切れかかっているとクモ女が訴えてきた。
実に悪しきことである。
クモ女はあなた方の指導者だった。
そして、あなた方はこの情勢が始まるまで、よくぞ向上してきた。
このようになった今、わたしとおじのタイオワは、なんらかの策を講ずることに決めた。
わたしたちは、あなたがたを安全な場所に移してすぐに、第二の世界を滅ぼすことにする。」


こうして再び、第一の世界のときと同じく、ソッツナングは蟻人間に命じて人々を地下に避難させた。

人々が安全に避難すると、ソッツナングは南極と北極をそれぞれ守っている双子に持ち場を離れるように命じた。

双子が持ち場をはなれると、世界はバランスを失い、回転が狂って二度もひっくりかえった。

山々は大音響とともに海になだれ込み、海と湖は陸におおいかぶさった。
そして、それらが冷たい生命なき空間を巡るあいだに、世界は厚い氷に閉ざされた。
第二の世界はこうして終わりを告げた。

第二の世界は長いこと生命のない氷の中に閉ざされたままであった。
しかし地底では、人々が蟻人間と共に幸せに暮らしていた。

ついにソッツナングは双子に、両極に戻るよう命令した。

大きく身を震わせながら、惑星はふたたび回転しはじめた。
地軸の周囲をなめらかに回転し、宇宙の軌道に乗ると、氷はまた溶け始めて、世界は温暖になった。

ソッツナングは、第三の世界の創造を開始した。
大地と海を整え、山山と平原に樹木を追い茂らせ、あらゆる形の生命を生んだ。

こうして地球に人間が住めるころになるとソッツナングは前のように正しい仕方でキバにやってきて、こう言った。

「扉をあけよ、あなたがたの出てくる時が来た。」
ふたたびキバの屋根がはずされると、彼は人々に助言をあたえた。

「わたしはあなたがたがこの新しい第三の世界にまた生きるよう、あなたがたを救った。
だがあなたがたはこれから言う二つのことをいつも覚えておかなくてはならない。

まず、わたしを尊び、お互いを尊ぶこと。
そして第二に山々の上から調和に満ちた歌をうたうこと。
創造主に対する讃歌が聞こえなくなったときには、あなたがたが再び悪に陥ったときである。」


こうして人々は梯子を伝って蟻人間のキバから抜け出し、第三の世界に出現した。


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あわ歌



ゴキブリ健康論

適度な運動、こだわりの天然食材、規則正しい生活・・・ありとあらゆる健康法を実践した人が急に重い病気にかかってしまうなんて話、よくあります。
以前、ハリウッド俳優のキアヌ・リーブスがSNSに投稿したこんなコトバが話題になった。

「僕の友人の母親は、生涯ずっと健康的な食事に気を使って生きてきた。酒はもちろん、いわゆる『身体に悪い』とされる食べ物は全く食べなかったし、毎日運動だってしていた。よく動いて活発な生活を送っていたよ。医師から勧められたサプリメントは絶対に欠かさなかったし、外出する時も日焼け止めを塗って、日光の下にいるのは最小限にしていた。

とにかく、彼女が他の誰よりも健康に気を使ってこれまで生きてきたことは間違いない。だけど、今年76歳になった彼女は、いま皮膚がんと骨髄がん、そして骨粗しょう症に侵されているんだ。

ちなみにその友人の父親はというと、ベーコンやバターが大好きで、もう油ギトギトの食事ばかりだった。運動しているところなんて見たことが無いし、毎年夏になればこんがりと日焼けしていたよ。彼は周りからの忠告よりも、今この瞬間を全力で楽しむ、といったタイプの人間なんだ。そんな彼は今年81歳、医師からはまるで若者のような体力だと驚かれていた。

実際、今の世の中には過剰に健康に気を使う風潮があるように感じる。自分の行為が身体に悪いかどうかばかりを気にする人はたくさんいるよね。でもそんな人たちには、ぜひその友人の母親の言葉を届けてあげたい。まだ存命ではあるけれど病に侵されつつある彼女は、こう言っていたよ。『もし自分の人生がこのような結末を迎えるのだと若い時に知っていたら、周りの意見なんか耳を貸さずに自分のやりたいことをやりたいだけやっていたはずだわ!』ってね。

みんないつか死ぬんだ。だから、未来の自分を想像して焦るようなことはやめたほうがいい。美味しいものをたくさん食べよう。太陽の光の下を歩こう。海にだって飛び込めばいい。自分の気持ちに正直に生きるんだ。バカになろう。そして人に優しく。変人と思われるような生き方を生きよう。だって僕たちに残された時間は無限じゃないんだから」

(引用:INDIA TODAY © 2021 Living Media India Limited. For reprint rights: Syndications Today


この時空(宇宙)は、自分が吐いた想念と同じ周波数(回転数)の空間現象。
それは、よく巷で聞く脳科学で説明がつくようなレベルの引き寄せ法則にとどまるものではない。
      
       『他者』を通して
       『社会』を通して
       『自然』を通して
       『人体』を通して

同期並行計算された運命(自因自果)として咲いた花(結果)を、鏡のように体験し、自分の撒いた種(原因)からくる縁起、その基となった想念を調和させる大切さを学ぶ仕組みとして働く回転原理。

わたしたちは、他人はダマせても、自分の想いはダマせない。
暴力で、肉体は破壊できても、想いまでは壊せない。

たった一人のぬくもりや許しの想いが
たった一人の見下しやけなしの念が
一人一人の『調和』か『分離』いずれかの方向への運命をつくり
時代や社会、惑星までも超えて運んでいく。

あなたは『今ここ』を
どんな想いで見ていますか?


参照:Facebook  

もっともらしく聞こえるが、まずこの1つ目の問い「人のカラダは口から入ったもので作られる」は半分正解で、半分間違いである。 確かに、カラダは食事によって作られるという部分も含むが、摂取したもので100%決まるわけじゃない。

もし仮に私とあなたが、全く同じ食事を、全く同じ量、同じ期間続けたとしても、さらに同じ運動をしたとしても、同じカラダにはならないというのが不思議な人体の真実だ。

二重スリットなど量子力学の実験を見てもわかる通り、あらゆる物理現象は、目に見える情報だけを計算して説明がつくものではない。「口から入ってくるもの」以上に「口から出るもの」=他者に対する言動、その奥で放たれる本人の観測者効果こそが、時空形成の要因として大きく影響している。

そもそも人間にとって、人生にとって「健康的」とは何なのだろう?
はっきり言って、現代の健康観というのは「(自分だけは)一秒でも長く生きたい。老いたくない。」そんな利己的な自己保存欲求からくる恐怖心から作られる。延命第一の思想。自分よがりの命乞い。そもそもこのゴール設定がズレてることに気付こう。健康産業では、この心理を巧みに利用して企業が商品を販売している。
もちろん、病気をせずに長生きしたいという気持ちは誰しもあるものだが「長く生きること」が真の目的ではなかったはずだ。

しかし、最先端のバイオテクノロジーは、死からの逃避を続けている。情報技術との融合によって永遠の命までも手に入れたいという、人間の愚かな欲望があらわになってきた。



ドルメン


対話ととるか、尋問ととるか




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