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かっこにっぽんじん③(読書記録)備忘録
一度、日本人を( )に入れてみる。
何かを否定しようとするとき、
"わたし" が善で "ヤツ" が悪になる。
しかし、対岸をのぞいてみると、やはり自分たちを善だと思っている。
そして互いに自分たちの権利を侵害されたと怒っている。
......
どんどん世界の境界線があいまいになっていってる。
だからこそ、自分の足がどこにあるのか確認したい。
いま自分の足がどこにあり、これからどこへ踏み入れようとしているのかを。
求められてもいないのに勝手に相手の問題に踏みこんではいないだろうか。
相手の土地をよかれと思って、逆に荒らしてしまう結果になっていないだろうか。
それは、自分たちの問題から目を逸らすことにつながっているのではないか。
外に目が向かいがちになっているときこそ、自分から目を逸らさず向き合う必要があるんだろうな、なんて思った。
空気が社会を動かしている。
ある動画で
「自民党だけが悪いのではない。わたしたちの中にある自民党的なもの(考えや価値観)がいけないのだ。」
と言っていた。
それを聞いたとき、望まないものを許容してしまうわたしたちの方にも問題があるのだと、はっとした。
「あたりまえ」すぎて気にもとめないことこそ、目を向ける必要があるのだと思う。
空気はわたしたち一人ひとりがつくりだしていっている。
わたしたちの欲が実体のない敵をつくりだす。
それによって自ら恐怖してしまう。
自分の恐怖心に負けることで、攻撃者になってしまってはいないだろうか。
たぶん敵は外にはいなくて、本当の敵は自分の中にある欲と恐怖心なんだと思う。
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