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イメージの治癒力 ③

 内的な導き ーーー   一般に信じられていること

 内的な助言者と会話するということは、決して目新しい考えではない。主要な哲学、宗教、及び心理学における伝統的な論理は、様々な形で内的助言者について言及している。原始的な文化においては重要な時期に情報を与えてくれたり導いてくれる幻を呼ぶために音楽、詠唱、舞踊、いけにえ、精神作用のある植物を利用して儀式を行った。アメリカインディアンの勇者は、武器、食料、水といったものを持たないで自然の中へ入っていき、スエットロッジを立て、自分を導いてくれる聖なる霊との接触を祈るのである。このような幻影的な体験を通して、彼らは自らの使命、力、そして人生の方向性を引き出すのである。部族の呪術医は苦しんでいる部族の人間のために、癒しを求めて勇者達と同様な探求の旅をすることがある。
  カトリックの子ども達は、自分達には聖なる天使がついており、この天使が自分達を守ってくれ、必要な時にあらわれるという教義のもとに教育されるのである。同じような考えを持つ宗教は多い。
 どのような宗教的及び文化的な背景を持っていようとも、子ども達はイメージ上の遊び友達を持っていることが多い。この遊び友達は話したり子ども達と遊んだり語りかけたりもするし、子ども達を支え、守るのである。
 驚くほど多くの人が、故人となっている連れ合いや愛する人と「話をする」ということを私に話してくれた。故人と話をすることで、彼らはアドバイスや慰めを得るのである。それは自分の内的助言者と「話す」のと同じようなものである。

 こういった種類の経験は、人間に共通の観念を指し示すものである。つまり、我々が請うた時に、また我々に受け入れる心の準備がある時に、"導き"といったものがあるのである。内的助言者との会うことは、この直感的導きを利用することを容易にする一つの方法である。直感とは「論理に頼らないで知ることのできる力」と定義され、心の中を見、心の声を聴き、そして心深く感ずることによって知覚されるものである。これは右脳に独特の機能と考えればよいと思う。諸感情やその相互のつながりについての微妙な手がかりを感じ取る右脳の能力によって、我々が直感とか、虫の知らせ、カンと呼んでいるものに導かれるのである。平穏な気持ちになって内的な思考に注意を向けることで、無視されがちな自分の心の部分を最も有効に活用できるようになるのである。

P110-111


イメージの治癒力

 人々が最も不安に思うことの一つは、他者に対して自分を正直にあらわすことである。我々は愛や敬意を失うことを恐れ、この恐れのために、自分自身の欲求をいとも簡単に無視してしまうことになる。この時、その欲求が重要なものであれば病気や症状という形であらわれてくる可能性もある。

P129


第7章 内的助言者との出会い

 我々は日常使用している情報より多くのものを自己内部に持っている。内的助言者は、この自己に内在する知恵と経験を象徴的に表現するものである。内的助言者は、こういった重要な無意識の蓄えにあなたを導いてくれる親切な案内人に例えられるべき存在であり、いわば、あなた自身をより深く理解するための手助けをしてくれる心の中の味方のようなものである。
 自分のかかえている問題を何とかしようと悪戦苦闘してきて、最終的には「心の中の静かな声」に耳を傾けることによって何とかなったという体験をあなたはしたことがないだろうか。何か重要な決定を下す際に、自分の腹に感じくることに注意を向けるということはないだろうか。自分にひらめきを与えたり、導いてくれるような夢を見たことがあるのではないだろうか。直感がひらめいたり、カンが的中したりと言う経験はどうだろう。

P106


 内的助言者はどのように助けとなるのか

  先ず第一に、内的助言者はあなたが自分の病気の特徴について理解を深めるのを手助けしてくれるということが挙げられる。その病気についてはあなた自身が何らかの役割を担っているだろうし、また治癒についても何がしかの役割をあなた自身がはたすかもしれないのである。
 第二に、内的助言者が支えやすらぎの源として作用するということである。内的助言者に出会うことによって、平穏さ、平静さ、共感といった感覚が生まれてくることがある。こういった経験自体が治癒に向けた第一歩であることが多い。特に、自分を取り巻いている状況について、抑うつ的になっていたりパニックを起こしている場合にはそうである。

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 第三に、助言者とともに内的な作業を進めることで、症状の軽減および疾患からの回復が可能だということである。症状がはたしている機能がどのようなものであるか理解し、その症状をつくり上げる必要がなくなるように体や心を変化させることで、こういったことが可能となるのである。
 自分の助言者が何を言うのか知りたいと思っているとはいえ、その助言者が勧めることを何でもかんでも実行せねばならないというわけではない。大切なのは、助言者との話し合いによって生まれたことを「明るい日の光」のもとで慎重に検討し、その助言に従って行動することに一体どのような意味があるのかをじっくり考えてみることである。助言に従うことのリスクと利点とを評価し、その助言に従うかどうかを自分自身で決定する。選択と、そしてそれにともなう責任とはあなた自身の手にある。あなた自身の責任を放棄しそれを内的助言者に委ねることなく、助言者があなたに何を言わんとしているかをじっくりと考える必要がある。
 助言者があなたにとって何らかのリスクをともなうようなことを勧めている時には、その助言者を試してみたいという気持ちになるかもしれない。ここで仮りにあなたの助言者が「よりよい気持ちになるためには、仕事を変えねばならない」とあなたに言ったとしよう。仕事を変えることによって自分の健康状態がよくなるに違いないとわかっている時にはこのアドバイスに従おうと思うだろうが、そういった確信が持てない場合には、そのような大きな変化を遂げることには抵抗があるかもしれない。そのような時には、あなたは助言者のアドバイスを真剣に考えてはいるが、そのアドバイスに従っているところをイメージすることは非常に困難であると内的助言者に伝えるとよい。あなたの持っている不安や心配を助言者と徹底的に話し合い、そういった不安や心配をあなた自身がより深く理解てきるよう、そしてできればあなたの心配ごとを考慮にいれた変化の方法を考えられるように助言者に手助けさせるのである。こういった具合に、助言者のアドバイスを徹底的に探求したにもかかわらず、いまだ何らかのリスクを感じるようであれば、そのアドバイスがどのようにあなたの助けとなるのか、その力を示してくれるよう助言者に求めるとよい。

P113-114

 自分の内的助言者と契約を結んだ時には、その契約を遵守するようにしなくてはならない。あなたは自分自身の一部とやり取りしているのであり、自分の一部に敬意を払わない場合には必ず何らかの代償を払わねばならないのだということを覚えておいていただきたい。内的助言者との関係が現実のものであると考え、敬意をもって接していただきたいのである。仕事上の重要な契約を気まぐれで破棄したり、友人とのディナーの席を急に去ったりということをあなたはするだろうか。自分自身に対してどうしてもっと敬意を払わないのだろうか。

P116

 内的助言者は何か特定の姿であらわれるものなのか

  内的助言者は古典的な「賢い老人」や「賢い老女」の姿であらわれることが多いが、様々な姿形をとることもある。友人や親戚など、あなたの現実生活の中で助言者としての機能をはたしたきているような知人の姿をしていることもある。彼らは生きていることもあれば、既に亡くなっているという場合もある。こういった人物に内的世界において出会うことは、あなたにとって感銘深い体験となるであろう。もう既に亡くなっている親戚とコミュニケートするということに奇異な感じがして、もしかしてこれはその人物の霊がここにあらわれていて、自分は霊魂と話し合っているのではなかろうか、と考える人もいる。それがあなたの信ずるところであって、そう思うことであなたが落ち着くのならば、それはそれで、故人とのすばらしい結びつきの再現となるだろう。そういった霊魂などを考えない場合には、あなたの援助の要求に応えてあらわれた心の中の賢い親切な人物として歓迎してあげるだけ十分であろう。
 この内的助言者は動物や鳥、植物、または風や海といったような自然物の形態をとることもある。また、イエス、モーゼ、釈迦といったような宗教的な人物と出会う人もあれば、天使や妖精、妖鬼を見る人もある。「スターウォーズ」の上映中には、助言者としてヨーダやオビ・ワン・ケノビがあらわれることもあった。光や半透明で空気のような霊として助言者を経験する人もいる。また、何らかの視覚的なイメージをともなわず、静かさを与えてくれる力強く賢い何者かの存在を感じ取るだけだという人もある。また人によっては視覚的や情緒的なイメージではなく、内的な声と対話を持つ場合もある。

P118

 何も期待しないであたってみることが大切である。期待することによって、経験から利益を得ることが妨げられる場合もある。超越的な経験を期待したり、そのような状況に飛び込むことを期待している場合には内的助言者としての潜在性を持っているものを認識できないかもしれない。

P120

 この方法や、別のイメジュリー経験を使う上での最善の方法は、どんなものでもいいから出て来るものをそのまま受け入れることである。あらわれてくる助言者を歓迎し、その助言者のあるがままを知る。ある助言者が、別の助言者と比べてよいとか悪いとかいったことはないのである。また、助言者とコミュニケートする方法としてこれが一番よい、というものもない。

P120-121

 どのようにすれば内的助言者と出会えるのか

 内的助言者と出会うのは簡単なことである。先ず、自分自身をリラックスさせて、心の中の特別な場所へと自分を導く。その場所で心地良くなり、心静かになってリラックスしたと感じたら、自分の内的助言者のイメージを出現させる。そのイメージが親しみのあるものであろうと、自分にとって新奇なものであろうと、どのようなイメージでも受け入れなさい。少し時間をとってあらわれてきたイメージを注意深く観察し、そのイメージを現実のも名として扱い、なじんでほしい。結局のところそれはイメージ上の「現実」的存在なのである。助言者に名前を尋ねなさい。そしてあなたの問いかけに答えるための声を持たせなさい。心の中でその名を聞くこともあれば、聞かないでも名前が理解できる場合もある。いかなる名前が心に浮かび上がって来ようとそれを受け入れ、起こっていることに自分を合わせていくようにしなさい。この段階ではイメジュリーに手を加えたり、結論を出さないことが大切である。内的助言者の前で心地良くなれるために時間をとることである。そして助言者になじんだ時点で、その助言者が賢くて優しい存在に見えるかに注意をはらってほしい。つまり助言者の存在がどのように感じられるかに注意をはらってもらいたいのだ。内的助言者があなたにとって快適な存在となったら、その助言者に自分の援助をする意志があるのかどうかを聞き、答えをもらうようにしなさい。その意志があるようなら、助言者にあなたのかかえている問題や病気について話をし、あなたがよくなるために何を知る必要があるのか、もしくは何を行う必要があるのかを教えてくれるかどうか聞くとよい。助言者に答えてもらうようにして、返ってくる答えに心を開いて、それを受けとめるようにしなさい。
 前回のスクリプトと同じようなやり方でつぎのスクリプトを試していただきたい。25分から30分程度の誰にもじゃまされない時間が必要である。

P122-123

⚫︎●⚫️ スクリプト ⚫️●⚫︎
ーーー内的助言者との出会いーーー

P123-126

 自己の体験の評価

 目を開けたら、少し時間をとって自分の経験したことを何でも書きとめたり、記録をとるようにしてほしい。内的助言者に出会ったならば、その助言者について詳しく描写しなさい。視覚的なイメージがあらわれたり、その存在を感じたりしただろうか。または、特定のイメージはあらわれることなく、問いかけに対する答えのみが浮かんできただろうか。
 あなたは内的助言者に何を問い、そして助言者は何と答えたか。その助言者の答えをあなたは理解することができたか。そのアドバイスより明確に理解できるようになるために、次に助言者と対話する時に尋ねたい質問があるか。
 この経験から何か有用なことを学んだか。この心の中での会話の結果、何かあなたがとるべき行動が見つかったか。それとも、その前に起こらなければならないことが何かあるだろうか。
 自分が助言者のアドバイスに従うことを妨げているような障害物に気づいたか。そうだとしたら、その障害物に対処する建設的な方法をイメージできたであろうか。
 あなたが助言者のアドバイスに従った場合、そのことによって影響を受ける特定の人物がいるだろうか。そうだとしたら、どのようにすれば彼らの問題にもうまく対処できるだろうか。
 内的助言者に出会わなかったり、もしくは助言者が自分に批判的であったり、または複数の助言者に出会うといった場合には、つぎのステップに進む前に、あなたの経験についてどのように対応したらよいかを次章に述べているので、それを読んでいただきたい。

P126-127

 識別と内的な導き

 内的助言者はメアリーが自己の内部に封じ込めていた感情や、その感情を封じ込める原因となった恐れを認識できるように助言し、さらにそれらの感情を表現して望ましい反応を得るための実際的で愛情のこもった方法を教えてくれたのである。

P130

【スクリプトをやってみての感想】
内的助言者のイメージがなかなか固まらずむずかしかった。
助言者は中学のときの先生が出てきた。
大人に対する不信感を持っていた時期だったけれど、この人は大丈夫だと感じてたからかな。
名前をイメージしたら下の名前だけ実際とちがう名だった。
内的な心地良い場所をイメージしていたため最初は心地良い状態だったのだが、助言者をイメージし始めたところからあとからあとから涙が溢れてまるでこどもが泣いているみたいになった。
そのあたりからカメラのフラッシュのような眩しさと真っ暗闇が交互にくりかえしくりかえしやってきて、心臓の鼓動が忙しくなっていき呼吸も少し苦しくなっていった。
頭の中が混乱しだして自分の中の何かが抵抗しているように感じた。

しばらくすると落ち着いてきて、助言者に問いかけてみたら「放っておけばいい」という拍子抜けするような答えが返ってきた。
実際にその状況になったときに、放っておいてみると、あっけなく収束していって驚いた。
思い込みによって苦しみ、手を加えることで悪化させていたのだろうか。
身体を信頼して任せておけばよかったのかもね。
自分さえも信頼しきれていない自分が見えてきた。
不安だからどうしても予防線を張ってしまうのかもしれないな。


第8章 内的助言者が出てくるまで、その他様々な問題点

 私はテニスでバックバンドで打てるようになろうと長年かけた人や、ゴルフでスライスにならぬように球を打とうと長年かけたような人達が、よく内的助言者が第一回目に試しただけで得られないのでがっかりして、やめようとするのを見る。リラックスして自分の心に耳を傾けることは、技術を要することである。忍耐強く練習するがよい。あなたは必ず成功する。
 時には待っている間に想像上の儀式をすることが役立つ。私の知っている看護婦は、日本式の茶室がある美しい心の中にある場所を持っている。彼女は内的助言者に会いたい時には、日本の伝統的な茶をたてて助言者の出現を待つのである。彼は茶の準備ができるころには常に出現するのである。私の患者のある会社の重役は想像上のはてしない広がりにある小道をハイキングし、心の中の秘密の場所までゆき、夜を待ちキャンプ・ファイヤーを焚く。彼の内的助言者である年老いたアメリカインディアンは火があかあかと燃えあがるころに出現するのである。他の人たちは内的助言者よ住むところ、たとえばほら穴とか高山の頂上とか、他の惑星とか別の次元の世界など想像して訪ねる。

P132-133


儀式について思いを馳せようとしたとき、年長さんだった息子が参加したりんごろーそくが思い出された。
自分たちで作ったみつろう蝋燭。
それを使ってりんご蝋燭を作る。

暗闇の中一歩一歩あるく姿。
灯される火。
なんとも神秘的で言葉であらわすことができない美しさだった。

子どもたちが守られていること、愛されていることを感じたし、それを感じることでわたし自身もあたたかな気持ちになった。


 認識論の立場にたつセラピスト達は人々に否定的な内的メッセージを、それが来るたびに書き出させて気づかせるようにする。それからこのような習慣的否定暗示一つ一つに代わる新しい考えを選択させる。そして人は、古い否定的な考えを自分が反復していると気づいた時、それを止めて頭の中でその考えを"キャンセル"して意識的に自分を肯定する新しい考えと置きかえるのである。ある程度時間がたつうちに否定的な考えが湧き起こってくる率が下がり肯定的な考えがもっと容易に湧き起こってくるようになる。
 内的批判者に気づき、それに対して立ち向かうことはとても大切なことである。なぜかといえば、批判者が生み出すセルフ・イメージはしばしば自己実現を予言していることになるからである。もしあなたが自分を価値のない者と感じたとする。そうするとあたかも価値のない人間のようにあなたは自分自身を扱うであろう。そしてそのことはあなたが健康に関する選択をする時にあらわれてくるだろう。逆のことも言えるーーーもし内的批判者に意識的に効果的に対応した場合には大きく治癒に貢献することになる。

P138-139




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