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足裏は働き者 〜声なき者の声を聴く〜

はじめに

週一で整骨院に通っている。
そこでさするようにゆらゆらとさせ背骨を整える施術をしてもらっている。
調子がいいときは先生がゆらゆらさせる動きに身体が同調してゆられていく。
不調な部分があるときは、そこに頑なさが出る。
まるで揺られるのを拒否するかのように、揺れが伝わっていかない。
自分の身体なのにふだんは気づかない。
施術してもらっているときに、自分の身体の反応を知って、鈍さに気づくととともにその奥に鈍痛があることを知る。

不調の原因は表面的なものではなく芯の部分、指圧ではなかなか探れない部分にあるような気がしている。


目立たないけどすごいやつ

足の裏って目立たないけどすごいやつだなと思う。
毎日文句も言わず黙々と働いて、膝や腰や肩や背中のように泣き言も言わない。

そんな働き者の足の裏をいたわってたまには無言の声に耳をかたむけてみようと思う。


身体は繋がっている

身体のどこかに不調が出たときにその部分をケアして改善させようとするけれど、実は根本原因はそこから離れた場所にあることが多い。
肩に不具合を感じでいたある日、そのとき実は腰の周りの筋肉がかたくなってしまっていたように。


足の裏の経年変化

時々テニスボールを使って身体のどの部分がかたくなっていて痛みを感じるのか確認している。
きのうはなんとなく足の裏に体重をかけてゴロゴロとテニスボールを転がしてみた。
すると予想以上に足の裏の筋肉がかたくなっていることに気づいた。
中にある筋肉がかたくなっていて、子供の頃はあったであろう柔らかさが完全に失われていた。

さぼることなく毎日働いている足をいままで労ってこなかったことに気づいた。
チャチャっとケアしたりはしていたけれど、それは何かついでのながら作業であり、それだけに向き合うことをしてこなかった。

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手で触れると実感することができる。
とくに「日常ではなかなかすることのできない動き」を意識してケアしていきたい。
自分の手で行うことで確認しながら働き者の足の裏を「労う」をやっていこうと思う。


おわりに

あるとき要らなくなったすりこぎ棒でおもむろに腕の上をコロコロさせてみたときがあった。
餃子の皮を伸ばすような要領で腕の上をコロコロさせて伸ばしていく。
すると腕にも疲れが溜まっていたことに気づいて、いままでそれを見逃していたことに驚いた。

そのまま手のひらや足の甲の上にもコロコロとさせながらのばしていくと、次第に柔らかさが出てきて動かしやすくなり軽くなったように感じた。

足の裏のかたさ以外にも自分のなかの当たり前にすることで感覚をOFFにし、気づかないことでこなせていることがあるなと思った。
声をあげないだけでその間も疲労は溜まっていて限界を迎えてやっと悲鳴をあげるのだろう。
限界を超えてからでは回復していくのは大変だ。

だからその日の終わりには足を止めて自分のなかの声なき声に耳をかたむけるのもいいかもしれない。



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