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ヴェーダとは何か?/カラリパヤット

気になったことあれこれ。

ヴェーダってなぁに?


ヴェーダ聖典とバラモン教



カラリパヤット

▪️身体トレーニングとしてのカラリパヤット
▪️医学としてのカラリパヤット
▪️信仰としてのカラリパヤット
▪️カラリパヤットのホリスティック性

https://www.ritsumei.ac.jp/ss/sansharonshu/assets/file/2006/42-2_02-06.pdf


カラリパヤットは,第一に 1全身運動,2自己防衛,3攻撃,を目的とする身体トレーニングである。第二にアーユルヴェーダ を基盤に1疾病予防のための健康なからだ作り,2治療,3独自の信仰に根ざして人間を全体的に扱う医学,である。第三に背景には,ケーララ社会における厳格な慣習を反映しながらも,宗教,カー ストや男女の枠を超えた特異な信仰が見られる。そして結果としてカラリパヤットは身体トレーニン グ,医学,信仰の3つの要素を満たしつつ,それらを包含して,人間が人間らしく生きるために不可欠な,肉体と精神のバランスを重んじたホリスティックなマーシャルアーツなのである。


カラリパヤットの両手を挙げて足を上に蹴り上げる動きをまねてみたのだけれど、これをやると不思議と肩が楽になった。

Twitterで目に止まったツイート。

どうやらカラリパヤットのこの動きは股関節を入れる動作であり、上半身の脱力につながる動きだったみたい。

でもこれは武術であり、攻撃につなげるための動きのようだから、健康体操では本来の意味から逸れてしまい不完全なんだろうな。

技を練る
気を練る

"まわる"と"とおす"

感覚と練度

身体は装置
身体を使って
エネルギーをどのように練り
どうに引き出すのか

これまでの流れと新たな流れ

カラリパヤット「8つの型」

足が素晴らしすぎて見惚れてしまう。


図解 ヨーガ大全

タイミングよくこんな本を買っていた。
パラパラと気になったところを読んでいたら「カラリパヤット」という言葉が目に入った。

第5章 ヨーガの生理学 
ーープラーナでできた身体

ハタ・ヨーガは、身体というハードをもちいた技術(アート)だ。
しかし、インドにヨーガを学んだとしても、そこで語られるのは哲学であるとか、ポーズや呼吸法のやり方であるとか、ほとんどソフトのみである。

幸い、武術のカラリパヤットはハタと同一の身体観を有している。
武術(ダヌルヴェーダ)は戦場の生命のやりとりを前提としている。
それに勝利するには、おのれの全エネルギーを支配下におく必要がある。であれば、曖昧性は命取りになる。
ハタも武術も、けっきょくは、ーー身体という装置にいかに息(プラーナ)を通すかのアートということに尽きる。

52 マルマ・ヴィディヤー
ーー「急所の科学」

 わたしは、カラリパヤットの本場、ケーララ州に武術家を訪ねた。
 この地の武術師範の多くは、医師として生計を立てていた。もちろんケーララにもチャカ系のアーユルヴェーダはあるが、かれらの医術は"カラリ・アーユルヴェーダ"と呼ばれ、それとは区別されていた。マルマ・ヴィディヤー、マルマ療法とも称されている。

P287

「マルマ、かね?」とある医師はいった。
「わしにつかえて、10年ほども武術を学べば、教えてやらんでもない。それが伝統だ」
 そうしたい気もないではないが、時間と金がない。
 しかし、師範たちは、わたしがイラストやスシュルタの原文を書きこんだ「マルマ研究ノート」を見せると、その熱意(オタクぶり?)にほだされたのか、マルマ・ヴィディヤーにかんするヒントのようなものは与えてくれた。

「マルマの武術と医術はセットである。どちらが欠けてもいけない。武術を学ばずしては、マルマ療法チキツアーを学ぶこともできない」
 と、トリヴァンドラムのゴーヴィンダンクッティ・ナイル師。

 しかし、マルマ・ヴィディヤーを修めるにあたっての根本は、最初の体術にある。
 ハタ・ヨーガのアーサナをダイナミックにしたような基本の身体操作、ないしは型を練ることことによって、ナービムーラ(「臍の根」の意だが、日本でいう丹田に近い)に、プラーナが充填される。
 頭だけの知識ではない真のマルマ・ヴィディヤーの獲得は、こうしておのれの身体を練り、プラーナを集約することから始められる。

「とくに膝を曲げ腰を落とす象の体位ガジャ・ヴァデイヴ(基本の型のひとつ)をなすことによって、いちじるしくプラーナをあつめることができる」

 マルマ・ヴィディヤーの習得が難しいのはそのためだ。単にマルマの位置を知り、マッサージのやりかたをおぼえたからといって、マルマ・マッサージにはならぬ。それは、武術を練り、風をあやつるすべを会得することから始まる。
 手や足を通し、適切な量の風を相手(患者)のマルマに送りこむ(図3)。そうして、相手のプラーナの流れを調整してやるのだ。


竹と暮らし

2022.06.29
人間国宝を訪ねて⑪ 勝城 蒼鳳 木竹工/竹工芸

https://www.mistore.jp/shopping/feature/living_art_f2/art147_l.html

勝城の創作意欲はとどまるところを知らず、昭和43年、第15回日本伝統工芸展に出品。以来、今日まで50年近く出品し続けている。しかも、毎回、表現技法をがらりと変えているという。

「作品は発表した時点から『古作』と思っています。だから、毎日が、新しい表現方法を生み出すための自分との戦い。一日一日が短く感じます」

出展することで、いろんなアドバイスや批判を受ける。それがありがたいと勝城はいう。いってもらえなくなったら、おしまいだ、と。

現在も月に2回、公民館で開かれる市民学校で、一般の人たちにかごづくりを指導しているが、その生徒さんたちからも、いろんなことを指摘してもらう。「感覚だけでいってくれるのは、ありがたいです。なるほどと思うことばかり」。どんなに偉くなっても、この姿勢が変わることはない。

また、「理論より実践を」という、修業先の親方の言葉も忘れたことがない。教わった厳しい指導を守り、自分なりに咀嚼して創作の心とし、活動の原点としてきた。そして、今がある。




アラハバキ


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