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習慣化した思考と仮想敵
長年お世話になってきた思考と距離をとる練習をしています。
それは事実を脚色せずに受けとる練習でもあります。
目にとまった箇所の連なり。
「なんて憂鬱な日なんだ」
「あいつは、電話を折り返すくらいの礼儀も持ち合わせていないのか」
「彼女には、まったくガッカリさせられるよ」
わたしたちは、自分にも、他人にも、ちょっとした「わたしの物語」を話すものですが、これは往々にして「苦情」の形をとることが多いものです。この習慣は、他人や物事を「悪者」にし、自分を「正しい人」扱いすることによって、日常的に抱いている「わたしは不完全な人間です」という自己認識に、知らず知らずのうちに拍車をかけるしくみになっています。「正しい人」になることによって、自分が優越なポジションにいるような錯覚におちいり、偽の自己であるエゴを増大させているのです。これはある種の敵をつくることになります。天気でさえも、その役目を果たすほどです。
すっかり習慣化した思考によるレッテル貼りと、かたくなな感情とによって、わたしたちは、他人と人生の出来事に対して独自のリアクションをする関係を築いています。これは、無意識で行なっているものの、すべて自分でつくりだした苦しみの一種です。なぜこんなことが起こるのかというと、エゴは苦しみに喜びを覚えるからです。エゴは状況や人にリアクションすることと、そこから生じる軋轢をとおして、肥大化しているのです。
「わたしの物語」がなかったら、人生は、どんなにシンプルになることでしょう。
「今日は雨だ」
「彼は、電話を折り返さなかった」
「彼女は、待ち合わせ場所に現れなかった」
世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え
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