見出し画像

今日の山田君 〜思うこと〜 63

口笛言語

言葉を使わない口笛言語があることを知って心が躍った。
その美しい音色に自由さを感じたのかもしれない。

海岸線までノコギリの歯のような峡谷が連なる、スペイン領カナリア諸島。ここでは古くから、口笛がコミュニケーションの手段として使われてきた。この口笛言語は島の学校の必須科目になり、いまも子供たちに受け継がれている。
アントニオ・マルケス・ナヴァロは、「豚を解体するから一緒に食べよう」と、崖の上から口笛を吹く。その切り裂くような音とこだまに、遠くで峡谷を歩いていた3人が一瞬すくみ上った。

昔は急勾配の道を行く地元の羊飼いが、すぐさま口笛で応えてくれたものだと71歳のマルケスは言う。残念ながら、マルケスのメッセージは3人のハイカーには伝わらなかったようだ。彼らはすぐに、ここ、大西洋に浮かぶスペイン領カナリア諸島の一つ、ゴメラ島でのトレッキングを再開した。


マルケスはゴメラ島の誇り高き口笛言語を守ってきた。彼は口笛を、「この島の詩」と呼び、詩と同じように、特別で美しくさえあれば、便利である必要はないと語る。

ゴメラ島の先住民族が吹く口笛については、15世紀にこの島をスペイン領へと導いた探検家の記録にも残されている。何世紀にもわたって口笛言語は、スペインの公用語の一つ、カスティーリャ語でのコミュニケーションに適応してきたのだ。

伝承されていると知ってなんだか嬉しくなった。
しかし、生活の中で使われなくなってくるとどうしても変質してしまう。
生活の中で何かの不足を埋めるために生まれてくるもの。
必要性が失われればそれ自体も失われていく。

生活に必須な人の学ぶ口笛
学習の一環としてしぶしぶ学ぶ人の口笛
学習の一環ではあるが興味を持って学ぶ人の口笛
どうしても残していきたいと願う人の口笛

きっとその音色の美しさは立場によってまったく違うものになるんだろうなと思った。


乙武さん

問題があったときどうやったらその問題をクリアできるだろう、と考える。
問題に出会うにも、問題をクリアするにもどちらも行動していくことが必須だ。

乙武さんのケンカのエピソードから、自分は弱腰になっているなと気づいた。

自分にとっての安住の地を見つけはずの乙武さんが「日本へ帰る」と決めた話に考えさせられた。



イルカの耳骨


産廃問題

自治会の臨時総会議案書に目を通していて、産廃処分施設に県からの変更許可がおりて増設工事が進められていることを知った。
そのため反対運動から監視活動へ移行しますとのことだった。

田舎はこんな状況下でも比較的変わらない生活が送れるし自然もあってのんびりしていいていいところだ。
けれど産業廃棄物問題が身近だったりする。
実際、埋設されている場所は外からは目立たないようになっていたりする。

今回議案書に社名がのっていたため調べてみると、ウェブサイトには平成27年度を最後に検査記録の公開が止まってしまっていた。
翌年に何な大きな出来事でもあったのかな?と調べてみると、直接は関係なさそうだけど意外と節目というか変化がある年だった。

数年前、お年寄りたちから山林を買い占めているという話を身近なところからちらほらと耳にしていた。
それからしばらくしてあちこちで木が切られソーラーパネルが設置されている。
その度に、この巨大な産業廃棄物はどこへいくのだろうと考えてしまう。
そのまま放置されるものも多いだろうし、山を切り拓いてまで設置する必要があるのだろうかと…チグハグな景色を目にするたびに思うのだ。
人の欲は尽きることがなくてこわいなと感じる。


誰でもすぐ仲良くなるカミ君の話

ものすごくナチュラルに生きているカミ君のお話。
あちこち動きすぎて遠くの場所でも散歩の感覚でいるらしい笑


苦しみと楽しみの幅があればあるほど感動がめぐるという話が最高だった。

楽しい思い出は癒しをくれる。
けれど、本当につらいとき奮い立たせてくれるのは、苦しい思い出とその当時の自分だったりする。
つらいときにも感動が起こるし、そう思うと無駄な経験なんてないんだなと思った。
そんな振り幅を楽しめるようになりたい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?