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カザニ(カザン)、ハザール帝国の二重王権、テングリ、テングリズム

気になったものあれこれ。
パンくずを辿ってみたら…

テングリズムにたどり着き、なんともおもしろい流れになりました。

地球儀で調べてみたら、どうやら「カザニ」または「カザン」という場所あたりだったみたい。

タタールスタン共和国

ロシア連邦は1992年3月末に、国内の共和国や州などと権限分割条約(連邦条約)を結んだが、この直前にタタルスタンは国民投票を行い、ロシアと対等な関係であると決め、条約への参加を拒否した。この後もロシアとの紆余曲折があったが、1994年2月、権限分割条約が結ばれた。


大ブルガリア

クブラト

クブラト(クルト Kurt あるいはフヴラト Houvrat とも)は有力氏族であったドゥロ家(en)の出身[2]ブルガール人の指導者としての正当な継承権をもっていた。クブラトのおじのオルガナ(Organa)がブルガール族の摂政を務めていた間、クブラトは東ローマ帝国で若い時代を過ごし、教育と洗礼を受けた[3]

628年ごろ、クブラトは故郷に戻り、おそらくアヴァール人カガンの承認の元、ブルガール人の指導者となった。やがてクブラトはアヴァールによる支配からの脱却を図り、西突厥からも脱却した。

ドゥロ家(en)

en  トルコ語で「多くの」という意味

コーカサスのブルガール - バルカル

クブラトの長男バトバヤンに率いられた一派は黒ブルガールと呼ばれ、その後も故郷に留まり続け、まもなくハザールの支配下に入った。現在のバルカル人(Balkars) がこの黒ブルガールの子孫ではないかとする見方もある。バルカル人は、自身をマルカ川の名前からマルカル(Malkars)と称し、キプチャク系のテュルク語を話す。テュルク語において、「b」が「m」に変化することはよくあることである。




ハザール

テングル・カガン(天王)が最も重要視
ハザールの内乱はカガンとベクのそれぞれの関係者間の戦闘


ハザール帝国

この状況のなかでハザール帝国は、ユダヤ教に改宗するという前代未聞の選択をした。
世界史のなかで、アニミスティック、シャーマニスティックな原始宗教から一神教としてユダヤ教を 国教に選択した国家は、あとにもさきにもハザール帝国だけである。

プリェートニエヴァはヨセフ書簡のなかのこのエピソードを、『コンスタンティノス伝』 のエピソードと同じであると比定している。(12) やがてスラヴ人の使徒となるコンスタンテ ィノス=キュリロスもハザールを訪れ、ラビ(ユダヤ教の律法学者)、カーディー(イスラ ーム教の神学者)と論争し、彼らを論破した。

しかしながら、コンスタンティノスの論争における勝利にもかかわらず、ハザールはなぜかキリスト教には改宗しなかった。
これらのエピソードは、ルーシのキリスト教改宗時のエピソードに似ている。
キエフ大公 ウラジーミルも、イスラーム教、ローマ・カトリック、ユダヤ教、ギリシア正教から改宗の 誘いを受け、それぞれに調査団を派遣して、受けいれる一神教をギリシア正教とさだめた。

8 世紀から10世紀にかけて、ヴォルガ流域を含む広大な地域では一神教の受容がモードとな っていたのである

2.3 二重王権と王殺し
ユダヤ教を受容していたことのほかに、ハザールについて特筆すべきは、ハザールが大ハ ーカーン(大可汗)という宗教的な権威と、ハーカーン・バフという世俗的な権力とによっ て権力を分有していたことである

日本の天皇と将軍の関係を思わせる、このハザールの二重権力構造について伝えるのは、おもにイスラーム史料である
たとえば、イブン・ファド ラーンはハザールの二重権力についてつぎのように述べている。

ハーカーンなるハザール王についていえば、王はつねに臣民からは隔離された聖なる状態にあって、4ヵ月ごとにしか人前に姿を現さないのがならわしである
一般には、かれは「大ハーカーン」と呼ばれて、彼の代理人(副王)は「ハーカーン・バフ(ベフ)」と呼ばれる。そして、ハーカーン・バフこそは、軍隊を指揮・統率することや、国王の事柄(国事)を取り 決めてそれを実行すること、また軍事的征服や攻撃を実際におこなう人物であり、したがっ て、隣接している王たちが服属しているのはハーカーン・バフにたいしてである。(13)
翻訳者である家島彦一は大ハーカーンを一種のシャーマン王であったと考えて、「隔離された聖なる状態」とは、「神聖な状態にある、神霊が人身に乗り移っている、聖なる状態に ある、憑かれている、神の力が宿る」と考えている。(14) イブン・ハウカルも大ハーカーンの政治上の象徴的位置づけについて、「ハーカーンは、ハザールにおいて、一切の国家行政上の指揮権をもたないが、実務上のハザール王と同じように、すべての人々は彼を崇める

【二重王権】

ハザール王=大ハーカーン=シャーマン王
臣民から隔離された聖なる状態
「神聖な状態にある、神霊が人身に乗り移っている、聖なる状態に ある、憑かれている、神の力が宿る」
⇒政治上の象徴的位置づけ

・王の代理人(副王)=ハーカーン・バフ
軍隊を指揮・統率
国王の事柄(国事)を取り決めと実行
軍事的征服や攻撃を実際におこなう
⇒隣接している王たちが服属しているのはハーカーン・バフにたいしてである

天皇と総理大臣?

そして、ハーカーン・バフは毎日、自らを卑下し、一身を捧げる態度を示しつつ、控えめに 大ハーカーンのもとへ入っていく。そのさいにかならず、ハーカーン・バフは自分の片手に一本の薪をもちながら、大ハーカーンのいる室内にはだしのまま入る。そこで、大ハーカーンに挨拶すると、彼はその面前でもってきた薪に火をともし、それが燃えつきると、そこで王(大ハーカーン)の王座の右側に一緒にすわる。〈省略〉大王の慣行のひとつは、以下のとおりである。大王は、臣下一般の人々のために謁見することはなく、また彼らと直接会話を交わすこともなく、われわれが上述した 3 人(ハーカーン・バフ、クンダル・カーン、ジャーウシーギル)を除いて、ほかに誰一人として大王のいる部屋に入ることはできない

一方、 王国の高位・高官たちの罷免権と任命権、懲罰権や王国の支配・管理などのすべては、大ハー カーンの代理人であるハーカーン・バフに委ねられている

〈省略〉

この大王が馬に乗って外出するとき、すべての軍隊は王が外出するのに随行して馬に乗る。そのとき、王と騎馬隊とのあいだには、1 アラビア・マイル( 2 キロ弱)の距離が置かれる。王の臣民の誰一人として、 王の姿を見ることはなく、たとえあったとしてもその者は平伏して自分の顔を伏せ、王が通り過ぎるまで、けっしてその頭を上げない。(16)

大ハーカーンはまさに神聖にして犯すべからざる存在だったわけだが、ハウカルはこの点について興味深い事柄を述べている。「もしもある者が彼のもとに入る場合には、その人は彼(大ハーカーン)のために泥のなかを転げまわり、跪拝をしたのち立ち上がって、かれに 着座することの許しを願うのである。」さらに、ハウカルは大ハーカーンの墓所が神聖な場所とされ、「人はその墓を通るときにはかならずや素足になり、拝礼し、そして彼の墓が見 えなくなるまで騎乗することはない」と述べている。

ファドラーンからの引用をさらに進めよう。
王殺しについてである。

「さらに、彼らの大王の在位期間は40年であり、王がその年数を一日たりともすぎれば、臣 民と王の重臣たちはその王を殺して、『この御方様はすでに王としての理性を失われており、 その認識力も混乱された』と説明する」。(17)

同様のことを、10世紀前半の地理学者イスタフリも次のように述べている。
可汗は、王より上位にある。しかし、可汗を位につけるのは、王である。位につけるのにあたって絹の小ぎれで首を絞めはじめる。まさに気を失わんとするや「君臨するは何年なりや」 と問う。その者答えていわく、「...年」。もし、答えた年数よりまえに死去すれば、それはよし。もし、生きながらえるなら、定めたる年にいたるや、可汗は弑逆される。

可汗は指揮権 もなければ拒否権もない。
しかし、崇められ、おでましになれば跪拝される。王と同等の家柄でなければ、可汗に拝謁することは許されない。可汗位につく者は権力も財産もないが、 高貴の家柄のものである


いったん可汗たらなければならなくなると、どんな事情があろう と可汗たらねばならない。(18)
さらにイブン・ハウカルも王殺しについてまったく同様の証言を残している。(19)

神聖にして犯さざるべき王は、その霊的な力が衰えると、殺されなければならなかったのである。

シャーマン的性格をもつ神聖王としての大ハーカーンとユダヤ教とがどのように同居して いたのかという問題にかんしては、謎というほかない。

とはいえ、民と神を結ぶ結節点としてのモーセに似た役割を、大ハーカーンが果たしていたと想定することはできるかもしれな い。モーセは預言者であり、たとえば、シナイ山でひとり神に対面し、律法を受け取って民 にあたえている。同じように神と民とを結ぶ機能を、私たちは大ハーカーンに見ることがで きるかもしれない。

このように、およそ300年間、ユダヤ教を信奉し、二重王権という独特の国政をたもってヴォルガ下流域で隆盛したハザール帝国も、965年、キエフ大公スヴャトスラフの攻撃を受けて滅びる。

ハザール帝国が滅びたヴォルガ下流域は、ペチェネーグ(バジャナーク)人、 ポーロヴェツ(クマン、キプチャク)人の活動の舞台となる。ヴォルガ中流域でも、ハザー ルが斜陽に向かう10世紀初頭、あらたな動きが生まれる。

長らくその隷属化にあったヴォル ガ・ブルガール族が、ハザールの宿敵であるイスラーム勢力と手を結ぼうとするのである。


テングリ

定義と特徴

テングリ」は中国史における「天」概念と非常に類似しており、天上世界を指すとともに運命神であることも共通している

ただし中国史において天の人格神である天帝北極星と同一視されているのに対し、テングリは澄みきった青空のことであると考えられており、その点で相違する。「テングリ」崇拝は匈奴の時代から確認されている。

また、人格神としての「テングリ」はモンゴルの宇宙創造神話において「テングリ・ハイラハン」という地上を作った創造神として現れ、これも中国には見られない。ブリヤート族の神話では「西の善きテングリ」「東の悪しきテングリ」という表現が見られ、この二元性は祆教の影響によるものとも考えられている。また、このことからテングリは必ずしも唯一的な存在ではないことも看取され、これも天とは相違する。テングリは男性神であり、女性神である大地に対応する

今日においては、カムチャツカ半島からマルマラ海に至るまで遊牧民の間で、シャーマニズムに基づいてテングリへの祭祀(テングリズム、テングリ信仰、テングリ崇拝)が行われている。


テングリズム

トルコ人の忘れられた神、テングリ

TENGRI、テングリ、テンリ

▪️8世紀ごろのトルコ民族
・アナトリアトルコ人
・カザフ人
・タルタル人
・ウィグル人

▪️テングリ
永遠の青空を支配する全能の存在(擬人化されていない存在でもある)

▪️バランスオブパワー…テングリズムの中心的な要素
自然と調和し生きること
必要以上に食べたり飲んだりしないこと
他の人々に破壊をもたらしてはいけない

▪️シンクレティズム…他の信念体系の統合
自分たちの利益のために人々や自然を利用してはいけない
他の宗教を受け入れること

勇気・謙虚さ・正義
といった価値観はモンゴル人やフン族と同様にトルコ人にも高葛評価された。

テングリスト国家の支配者の多くは男性であったかもしれないが、女性は外交官としてだけでなく、将軍や知事としての役割も担っていた。彼女たちの役割はほとんどの場合、社会秩序を維持し人々の結束を強めることだった。

テングリ信仰

生命の樹
シャーマンドラム
トゥルク神話

シャーマンドラム


トゥルクというリング

ケルト人が身につけた首に巻くリングという
古代の王権と大地の力[蛇の力]を象徴するという両端に一つづつ頭の付いた蛇が互いにかみ合っているような形の輪…太陽のシンボル

噛みつきあって輪になった蛇⇒ウロボロス(宇宙蛇)

シシ神様が頭に浮かんだ


ティンギル


カルムイク人幸せの秘訣


ポットホイッスル

すごい!


世界の民族音楽

耳が虜になり魅了されてしまった。

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