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あちらこちらにせんせいが

先日、夫から注意を受けたこと。

(※仕事内容にふれるのであえて抽象的に書いています)

「注意の向け方、気にする部分がおかしい」と指摘を受けた。
理解ができなったので説明を求めたら、すぐに変化してしまう部分を目印にしていることがおかしいとのことだった。
探したいときにはすぐには変わらないものを目印とすることや、そもそもまずは小さな部分に囚われず全体を捉えるようにと言われた。
そこで、いつもと違う挙動がある部分を見つけたら注意深く観察するという流れで、ということだった。

今回は自分の感情を優先させずに、ふてくされてそっぽを向かずに、どうにか軌道修正して話を続けられたので、かみくだいて説明してもらうことができた。

身近な人であればあるほど甘えから雑に扱ってしまったりするけれど、身近な人たちも自分にとっての先生でもあるのだと改めて思った。


あるとき、長男が私にいった。
「あの2人はむりだわ〜合わないわ〜」

それは属しているクラブの他の中学2人に対してのこと。

それから数ヶ月経ったころには一緒に笑い合ったりする仲になっていた。
その頃を長男と振り返って、あれは一緒に過ごす時間が少なかったから、相手を知る機会がなかったからだろうね…という結論になった。

子どもたちを見ていると、その一瞬の出来事でそそれ以降のつながり全てを切ってしまうのはもったいないのだと気づかされる。
一緒に過ごす時間が関係性を緩やかにしてくれたりする。
一緒に過ごす時間のなかで怒り、拒絶も起こるのだけれど、何かの共通点がきっかけになり、歩み寄れる関係になることもある。

「絶対」はないのだと気づかされる。



長男にはこんなことも最近言われた。
「お母さんも、クラブの親たちと他の場で会ってもこんなに話したりしないでしょ」
確かに違う場で少し会ったくらいでは、今のような和気あいあいとした状態にはならないだろうなと思った。
同じ時間を過ごして、共通することが増えて、共有することも出てきて、相手の一部が最初より見えてくる。
だから身近な存在になっていくんだろうな。

自分にとっては口だけの人なのか、行動する人なのか見極めは重要視する部分ではあるのだけど、
その上で「わーなんか苦手そう」という最初の頃に浮かびがちなことはいったん横に置いておくことも大切なことだと知った。
それが「一緒に時間を過ごしてみる」ことで笑い合う関係に育つこともあるのだから試してみないのはもったいない。



ある21歳の男の子が言っていた。
厳しい学校だったんですと。
だから男女関係なく仲間として仲がよかったと。

厳しいのは先生が?
それとも学校の縛りが?
と聞いてみたら両方厳しかったと言っていた。

厳しい環境、共通する敵がいると、内側には揉め事は起きにくくなり、一緒に乗り越える仲間(同志)になる。

強制的に自立が求められる環境にいた子たちと出会う機会があるのだけれど、観察していると自ら問題点に気づいて工夫するという流れが自然と起こっていてすごいなぁと感心してしまう。

21歳の子とは焼肉を一緒に食べたのだけれど、長長男に焼いた肉を配りながら、「もう食べれないっていうときは言って」と配慮までしていた。
飄々としていて何事にも動じなそうな落ち着きがあるのに柔らかい。
見ていて見習うところがたくさんあった。


あるとき業者さんの納品の場に出くわした。
1袋20キロの重さがあるものを15袋、トラックから下ろして積み上げていく作業。
一緒に来ていた営業さんは1袋を上に持ち上げながら運んでいた。
重そうだったし、本人も重いと言っていた。
ほんとは半分の重さにしたいけど無理ですからね‥と苦笑いしていた。

日頃から納品作業をしている人は3袋を一度に運んでいた。
その姿が衝撃だった。
両手に引っ掛けているだけで、ひょいひょいっと動いていて、まるで軽いものを運んでいるようだった。
骨をしっかり使えているんだろうなと思った。
今度そういう場に出くわしたらコツを聞いてみようと思った。


また別の業者さんが作業服にたすき掛けをした状態でいるのを見かけた。
距離が遠かったから話すことはできなかったけど、つけているときとつけていないときではどう違うのか聞きたくなった。



五角形に畳まれた腰紐が美しかった



知り合いに「みんなのお母さん」になってしまう人がいる。
人への声かけもうまく、聞き上手で、さりげない世話焼きを呼吸のようにする。
求めなくても絶妙なタイミングで世話を焼いてくれるからついつい甘えてしまう。
私より年下だがその存在は「みんなのお母さん」であり、「母」という存在にはそれは当然でしょと甘えがちであるなと思った。

年の瀬のこの時期、彼女は病気になりたいと言っていた。
病気になれば休めるからと。

彼女の家は昔ながらの風習が色濃く残る地域のようで、24日の今日は朝の8時から夕方4時まで隣の家と一緒に餅づくりだと言っていた。

鏡餅をつくり、のし餅をつくり、鬼おろしをつくり、普通の餅のあとには豆餅、しまいにはヨモギ餅まで作るという。

地域の人が餅を食べにきたりするからその接待もするみたい。
ヨモギの時期じゃないのにヨモギどうしてるの?と聞いたら、春に収穫したのを保存していると言っていた。

その他にもしめ縄づくりをしたり門松づくりをしたりで平日はお勤めしているからほんとに休めるときがないそう。

神様用に縄を撚るときには左向きに撚るんだよと教えてくれた。
門松は針金など使わず自然にあるものだけでつくるそう。
まずは竹を切りにいくところから…といった具合に。

自分が消耗しすぎていることに気づくことや、自分が身を削ってまで動かなくても大丈夫だと知ること、少しずつ手をかけるのをやめていくこと、手のぬきかたを覚えていくなどそれらのことも練習しながらやっていくしかないんだろうなと思った。

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