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雑多なメモ帳①

気になったものあれこれ


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「神」の定義を試みてみましょう

宗教を持っている人も、持っていない人も、「神様が、、」とか、「神様はいるの?」とか、「神様なんかいない!」とかも、あたかも既に、神様が誰か知っているのが前提になっています。

それって、とっても変ですね。人間って面白いものです。

信仰の厚い人でさえも、「神様って何???」ってちゃんと真面目に考えている人は、この世に殆どいないように見受けられます。

一般的に定義されている、神様とは、、、
「信仰の対象」― 信じないと存在出来無い神様なんて、頼りになるのでしょうか?

「人知を超えた存在」― 要するに、解からない、知らないってことでしょ?

そんな掴みどころのない神様に、世界の人口の殆どが、すがりついたり、人生を捧げたりしている事自体が、摩訶不思議に他なりません。

今までの手垢のついた「神」の曖昧な定義は横において、今から、一からきちんと定義しなおしてみましょう。
まず大前提として、「神」とは、信じる対象ではなく、理解されるべき対象である。
ということです。

全世界の大多数は、「神」と言ったとたんに、知能がOFFになっています。

大事な事は、知能をONにして、ちゃんと正面に向かって、考えるべきです。

「全知全能」というのが、神様によくついてくる形容詞ですね。

全知 = 全部知ってる。

私が今何を考えているとか、どんな状況に置かれているとか、いちいち報告しないと知らなかったり、報告しても気づいてくれなかったりするのは神様じゃない。

私の考えも、自然環境の在り方も、宇宙の動きも、全て、脳神経学、生物学、物理学、素粒子物理学、、、などの知識の表れです。

その知識の全て = 全知 
が、「全知」という言葉の本当の意味です。

これは、信じる必要性の全くない、理解出来ることです。

そして、理解されるべき事です。

全能 = 全ての能力

先ほど見た、「全ての知識」が、私の考えや体や、飼い猫や、お隣さんや、政治情勢や、環境問題も含む、全ての「宇宙」として現れるために必要な能力のことです。

これも、信じるとか信じないとかいった議論ではないですね。

「全知全能」とは、理解し、認識するべき対象なのです。
全知全能の本当の意味が理解出来たら、
見るもの全ては全知全能の神の表れです。
しかし、そんなことを言われても、「スケールが大きすぎて、把握できない。。」
というのが、人間の頭脳です。

それゆえに、理解につながるための第一段階として、人間の頭脳で把握できる、「形」が伝統の中で提唱されているのです。

それが、ヴィシュヌであり、クリシュナであり、シヴァであり、ドゥルガーであり、、、と人間の好みの数だけ、神様の形も用意されているのです。



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