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無題

 日々の業務において漸く一つの区切りがついたところである。ただ、これで一安心、というわけではなくて、これから約1年以上、暗澹たる気持ちで結果を待たなければならない。きっとうまく行くのではないかと思う一方で、はたしてどうなるだろうか、という不安は消えがたい。これはちょうど胸骨のあたりの奥の方になんとなくずっしりと重いものがつかえているような感覚だ。
 
 清々してこれから何か新しいことをやろうか、息抜きをしようか、という心境になればよいのだが、そうもいかない。人の倍以上の時間をかけてやっとやりきった、という気持ちなので、博打を打つわけではないが、乾坤一擲の感はある。人には不安の対処法略を得意げに話すくせして、自分のことになるとどうしようもなくなるのは、滑稽である。誰も自分の苦しみや不安、苦痛を理解してくれないという観念が支配的になって、急に宇宙空間に放擲されたようになる。無論、宇宙空間に出されたことはないので、たとえが適切かどうかは怪しいが、Geworfenheitのような心持ちである。

 こうした状況に対していかにあるべきかは、これまで私は自分自身が良い結果に至っていることを確信したいがために、慎ましく生きることや真面目に、勤勉に努めることを是としてきた。仕事や勉学においてはここ数年、再起を図ってからはそのように努力してきたはずである。これは一種のカルヴァンの予定説である。「こんなにめっちゃ頑張ったんだから恩寵があってしかるべし」という気持ちを原動力にしてきた。今もその気持ちで前に進もうと考えてはいる。では慎ましく生きるとはどういうことなのかは定義しがたいし、説明は難しい。しかし、好きなゲームに打ち込もうとか、もっとやり込もうという気持ちがある一方で、ブレーキがかかってしまう。おそらく私の中での慎ましさ基準にゲームは入らないのかもしれない。そんなこと言ったってもう結果を待つだけなんだから馬鹿馬鹿しいという内言は常にあるのだが、いまいちペルソナ3リロードでのペルソナの育成やタルタロスの攻略が進まない。真・女神転生V Vengeanceの購入も躊躇してしまう。メタファー・リファンタジオの予約購入も手が伸びない。既存のゲームをやり直すことがせいぜいである。どうも意欲がわかない。そういう意味で先日のスプラトゥーン3におけるビッグビッグランは良い余興であった。抑うつ的かどうかというと、そっち寄りかもしれないが、気分の問題よりも私は自身に課したカルヴァン主義のせいだと思う。この信条は正直生きづらいと思う。別にこの考えに盲従する必要はないはずなのだ。この前も家人と焼き肉に行ったし、Amazon Prime会員であるし、Apple Musicも定期購入している。定期的に飲み物が家に届く。YouTube Premiumは脱したが、これでは慎ましいとは言い難いだろう。笑止千万。

 こうやってグチグチうだうだしている時点で私はやはり俗物でしかない。俗人なりに今ある居場所で、自分の身の丈にあった生き方で、死ぬまでの間にやることを一生懸命考えるしかないのだ。私は死ぬことについてずっと考えている。これはどのように死ぬかということなので、今すぐに死にたいわけではない。死にたいわけではないが、私はヒゲが生え始めたころから死について想いを馳せている。それは皆も同じだろう。ただ意識しているかいないかの差だ。どうやって、どんなふうに死のうか。それはどうやって生きようか、どう生きていこうか。それと限りなく近接している。それは抽象的な論ではなくて、どこに住もうか、どこに旅行に行こうか、ボーナスは何に使おうか、貯蓄しようか、今日は何をしようかといった卑近な事象について論じていることと同じだ。

 それにしてもどうしようか。これだから私は取るに足らないのだ。ただどうしても言葉にしたくて、久しぶりに私は文章を記した。それだけだ。

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