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青春を回収する

 ロックバンドのフロントマンが初恋の相手であるということを認めるのに、約7年がかかった。
「20歳になった今年、やっと認めることが出来ました。」
と友人に伝えると、
「青春が終わるんやね」
と言われた。大変腑に落ちた。

 高校生の妹に、なにか気の利いた誕生日プレゼントを渡したいと思った。「ふーん、わかってんじゃん」的なリアクションが欲しかったので、どんなものが「ふーん、わかってんじゃんプレゼント」になるのか三日三晩考えたが、全然分からなかった。私は高校生のとき、いくつかの好きなバンドのことしか考えていなかったからだ。誕生日プレゼントに求めたものと言えば、CD、ライブDVD、公式グッズ、タブ譜、音楽雑誌、エトセトラ。女子高生を経験したはずなのに、自分の経験が驚くほど役に立たなくて、笑ってしまう。


 高校2年の冬に、某冬フェスに参戦して、それをもってライブ禁とした。受験のためだった。受験、浪人、コロナで、それから次のライブに行くまで3年半かかった。2022年の夏だった。
 2階席のかなり上の方から、ステージを見つめた。カラーコンタクトは乾きやすいので、視界がぼやけることを危惧していたが、杞憂だった。ライブの間は、まるで視力が上がったかのようだった。
(ちなみに、視界がぼやける可能性があるのになぜカラーコンタクトを装着していたかというと、シンプルに些か可愛くなれるからだ。誰にも見られなくていい。ステージ上の彼らは私を認識しないだろう。分かっている。それでも、ほんの少しだけでも、可愛くなって会いにいきたいのである。)

 ギターを掻き鳴らして、手拍子を促して、スタンドマイクを抱きしめて、ステージの端から端まで踊り狂う。その様子が、電子機器を介さずとも直接自分の目に映ることの、なんと幸せなことか。
 中学生の頃、高校生の頃、私はライブのDVDを擦り切れそうなほど見た。DVDが届いた日は勿論、テストが終わって嬉しい日、部活が上手くいかなくて嫌になった日、振替休日の水曜日、夜更かしがしたい金曜日……。ことある事に、実家の古いDVDプレイヤーに大事なDVDをそっと入れて、食い入るように見た。会場を飛び交う光の矢を、ドラムとベースが響かせる、唸るような重低音を、ギターが奏でる、空間を切り裂くような無数の音を。そして、マイクを片手に会場を駆け回る姿を。見て、聞いて、目を輝かせた。あの時、私はどんな顔をしていたんだろう。

 ライブ禁〜浪人の期間は、情報を得てもライブに行けないことがもどかしくて、距離を置いていた。時間とお金に少し余裕が出来たタイミングでツアーが始まったため、チケットを買った。でも、開演直前まで「大好きなバンドのライブを見る」という実感は湧かなかった。
(なんなら、直前まで私の頭の中でなっていたのは全く別のミュージシャンのハッピーな夏の曲であった。ふらりと入った駅の近くのコンビニで流れていて、それが頭に染み付いていたのだ。)

 会場にて、キラーチューンを聴きながら、
「ああ、あれは恋だったな。」
と、ふと思った。その曲の魅力である鋭利な音が会場を飛び交い、オーディエンスは暴れる。会場ごと揺れてしまいそうな盛り上がり様であったが、私はあたたかいお湯に浮かんでいるような、ふわふわした感覚に包まれていた。もちろん身体は客席の波の中にあって、自然に跳ねるし腕は高く上がる。しかし、気持ちは不思議と穏やかだった。

 「私、顔ファンじゃないんで(笑)音楽が好きなんで、マジ。」
と、中学生の私。
「バンドマンにガチ恋とか(笑)」
と、高校生の私。
えっ、待って待って、「音楽が好き」と「好き(恋)」は両立するんでない!?めちゃめちゃ好きな人がめちゃめちゃ好きな音楽やってましたって事だろ、おい待て贅沢だな。

「いくら斜に構えたとて、理性をフル活用したとて、仕方ないのだ。恋は落ちるものだからな。」
と、大学生の私。

 かつての自分に脳内で語りかけ、マスクの下で1人ほくそ笑み、そして音楽に身を委ねた。不思議な達成感と、満足感と、少しの寂しさと、ちょっと人生が前に進みそうな期待が一度に迫ってきた。感情が多くて処理しきれない。かと思いきやありがたいことに全て受け止められた。だって、ありとあらゆる感情に寄り添ってくれた音楽が、目の前で奏でられているのだから。


 さて、まとまりなくツラツラ書いてしまったが、この駄文の公開をもって私の初恋は完全に終幕である。どうせなら書いてしまえ、インターネットの波に、小っ恥ずかしい思い出を投げ入れてしまえ。これも例のキラーチューンを聴きながらの、深夜テンションとちょっとした出来心。

ひぇ〜、恥ずかしーっ

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