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人生は身体を張ったエンターテイメントなので。


こんにちは、わたしです。

4月から北海道は十勝郡浦幌町に引っ越してきた須藤迪花(すとう みちか)と申します。
出身は宮城県にある栗原市という県北の田舎町。

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(栗原市観光ポータルサイト「ぎゅぎゅっとくりはら」より)

とっても魅力的なまちですが、栗原市についてはまたいずれ。
この記事は、なんでわたしが浦幌町に住むことになったのかを、自己紹介も兼ねてざっくりお話ししたいなって感じのやつです。
長くなるとは思いますが読んでいただけたら幸いです。

道に迷った大学生時代

こう見えて(?)わたしは重度の楽観主義者で好奇心の塊です。
よっしゃやってみよ、って思ったことで割とデカめの失敗をしてしまった時も確かにめちゃめちゃ落ち込むけれど「まぁやってしまったものはうだうだ考えても戻らないからな」と立ち直るのも早いタイプ。

誰かに迷惑さえかけなければそういう生き方をしていること自体は悪いことだと思っていないし、いつも好奇心の向かうままに生きておりました。案外後悔するほどの選択でもなかったし。

それでも迷ってしまう進路がありました。
上記の通り、わたしは好奇心が旺盛で興味の幅が広い人間なので、いろんなところに顔を出したりしていました。大学ではまちづくりについて学び、音楽をやったり介護福祉系のイベントに参加したり、キャリア教育系ボランティアで活動したり、3週間イギリスに行ってみたり、インターンでお祭りに参加したり、防災についてまとめたり……。

周りの同級生が「卒業後はこういう仕事をしたいから今はこういう勉強をしてるんだ」と行動している中、わたしはふわふわと根無し草状態。

あぁ〜、これやばいよな〜とようやく思い始めたのは大学4年の就活時期。
遅い。気付くのが引くほど遅い
そもそも2年後期に休学までしてんのにようやくですか??って今は自分でも思う。

それでもなんとか就活を終えることができました。やったね。
内定をいただいたのは都市部に会社を置くまちづくりコンサル企業。
地元は大好きだけれど、新卒くらいは外に出てみたかった。

なんとかなったな〜。と思っていたのも束の間、あれ、わたし卒業できなくない?
詳細は省きますが、休学した理由の1つにもなったレベルで会いたくない教員の単位落としてるじゃないですか。ここまでくると本当にバカ
でもな〜、この単位取るためだけに半期大学通うのもな…。ってなってゼミの担当教員に相談して言われたこと。

「別にこの時代、大卒か高卒かで変わることなんて給料くらいやで」

「そうっすよね〜!辞めます!」

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(弊ゼミのみんな、らぶい。左上が担当教員。)


親になんて説明しようかな、とは悩んだけど、病院通うレベルで病んだから休学したって親も知ってくれてるし、と思いつつ恐る恐る伝えると

「人の迷惑にならない仕事をして、死なずにいてくれたら何しててもいいよ」

「わかった〜!」

わたしの楽観主義は確実に親からの遺伝である。

わたしのやりたいことってなんだっけ?

退学は決定したけれど、2月頭にある卒業研究の展示会までは在籍することにしました。
展示準備中、悶々としていたこと。それは就職についてでした。
ありがたいことに先方は「退学してもうちにおいでよ」と言って下さりました。頭が上がらない。

でも、本当にそれでいいのかな?
焦りまくった就活でやっと掴んだ内定だけど、都市部からのまちづくりって、それがやりたいことだったっけ?
それよりわたしはもっと中にいる方が好きだった。

そんな折、ゼミの教員からこんなお話が。

「北海道の更別村で新しく事業始めようと思ってて、それで管理人を村に置かなあかんのやけどみっちー行かん?」

「何それ面白そう〜行きたいっす〜!」

思い出せば本当にやばい。圧倒的二つ返事

そこから始まる教員による更別村及び十勝・道東プレゼン。
四季の移ろい、まちの中の営み、北海道には一度しか行ったことがない(それも関ジャニ∞のライブによる一泊二日の札幌遠征)わたしにすればどれも新鮮で、わくわくしました。
これだ〜〜!この、何も知らない初めての場所にいること、それこそわたしが一番ドキドキすることだ!!!

あれ、移住できない?


移住するぞ思ったのも束の間。結局事業を開くことが難しくなってしまったらしい。
ウェ〜〜ン、でも住みたいよ〜〜〜!
ってなったわたしは、3年前にボランティアで一度だけお会いした先輩にTwitterでDMを送りました。

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(掲載許可ありがとうえいふうさん)
やさしい。わたしだったら3年も会ってない人間からいきなりこんなDMきたら一晩は寝かせる

お忙しい中時間を作ってくれて、zoomで移住相談。浦幌町含む道東地域についてほぼ網羅するレベルで詳しく教えていただきました。

そのご縁で現在浦幌町でオープン予定のゲストハウスのオーナーでもある小松さんをご紹介してもらい、3人で何度かお話しました。

「住むかどうかは置いといて、一回こっち遊びにおいでよ」

お話をしている中で、こう言われたのが確か2月の19日くらい。
善は急げ、次の週の水曜日から3日間浦幌町に遊びに行くことが決定しました。
いやぁ、案外直前でも行けるもんですね

そのうち1日と半日ほど、小松さんがバイトをしている町内の牧場に業務体験をさせてもらいました。

体験最終日に社長に言われた言葉が今でも忘れられません。

「大学に内定通知書とか送付した方がいい?」

採用が鬼のように早い。
牧場で働きたさはあったし仕事もめちゃめちゃ探していたとはいえ飛び込みで体験させてもらった直後に仕事が決まりました。すごい。

流れるように移住が決まり、あれよあれよと引越しの準備をし、3日間ほど帰省してすぐに浦幌町に向かうことに。

移動手段は陸路。地元の駅から12時間くらい。めちゃめちゃ面白かった。

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(ラーメンズが好きです)

今のわたしについて

現在は、牧場でのお仕事が始まったので毎朝4時すぎくらいに起きて準備してます。
寝坊も何度かしました。そんな時は峠を攻めて間に合わせることを学びました。冬はちゃんと安全運転で行きます。

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牛さんはみんな可愛いです。意思疎通は全然できないけれど。
(よければわたしの固定ツイートにあるモーメント「弊社の牛さんへ」をみてね)

お休みの日は小松さんのところでとんてんかんしたり

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フラッとどこか遊びに行ったり 

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(浦幌町にある焼き鳥屋さん。唐揚げも全部美味しかった)

こちらの食材で料理をしたり。

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そんなゆるい浦幌ライフを楽しんでいます。

浦幌に住んでいて「宮城県から引っ越してきました」というとかなりの確率で

「新しい協力隊の人?」と聞かれます。

こんな人間が協力隊にいたら一大事だよ、とちょっと思う。

わたしが浦幌町に移住を決めた理由。
たまに聞かれることがあるのですが、そんなたいそうな理由はございません
「面白そうだな〜!」と思ったから移住しました。語弊を生みそう。

タイトルにも書いたように、人生は身体を張ったエンターテイメントだと思っています。(とはいえ落単はしなくていい)
最後に自分で振り返ったときに「やべー人生送ってきたな」と思えるような人生にしたい。
わたしの人生を誰かに話した時に「そんな感じでも生きられるんだ」と思ってくれても「そうはならんやろ」と思ってくれてもいい。

ネタのひとつとして人生を送りたい。なんて思います。

だからこそ、ここでの楽しそうなことには全力で顔を突っ込んでいきたいし、いずれは自分でも何か興せるような力をつけるべく、頑張りすぎずにここで暮らすつもりです。

長々とここまで読んでいただきありがとうございました。
移住してまだ2ヶ月、これからどんどんできることが増えるのが楽しみな今です。
仕事にも少しずつ慣れて、300kmくらい運転できるようになりたいなぁ。

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