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イメージの曖昧さ

ついにnote発進した。
写真は高円寺に行った時に気になったお店である。

さて、私について少し考えようと思う。
私はどんな人間に見られているのだろう。

よく言われることがある。
「Twitter荒れてない?大丈夫?」
「初対面と印象変わった」

この2つだ。

私は元来重度の人見知りで、初めて会う人には緊張して話しかけに行かれないし頭が縛られるような感覚さえある。
人とのコミュニケーションを学ぶ学科にいるのにもかかわらず、だ。

そんな私だが、慣れたら懐く。
当たり前のように感じるかもしれないが、懐く。
割と人の好き嫌いはしないほうで、よっぽどの事がない限り好きな人にカテゴライズするのだ。
懐いた人には徹底的に甘える。
甘ったれである。末っ子だからと許してほしい限りだ。
素っ気ない態度を取ったりもするがそれはあなたを信用しているからだとわかってほしい。

要は面倒な性格をしているのだ。

そんな私に付き合ってくれているあなた達がいてくれて私は本当に幸せ者である。


ここでタイトルを確認しよう。

「イメージの曖昧さ」

つまり何を言いたいのかというと、私のイメージの話である。
私が人見知りなことも知られているだろうし、Twitterを見ているあなた達であれば極度のメンヘラであることも気づいているだろう。

bioにも書いているとおり、私のツイートは延髄から出てくる。
脳まで至っていない、ほぼ反射だ。

シンプルに頭が悪いと言われればそれまでなのだが、あまりひどい時はちゃんとツイ消しをしている。それくらいの理性はあるのだ。

Twitterほど私の中身がこぼれているものはないもので、引く人はいて然るべきだとも感じている。

それこそ先日のタバコの話題もそうだ。

私はそれなりにクズ大学生をしている。
それだけは心に留めておいてほしい。

私は私の顔が好きだ、可愛いと褒めてくれる人も多い。自己肯定感を得るための自撮りにいいねをしてくれてありがとうと言いたい。

それを武器に自分をブランディングすることが出来ていたら尚強くなれたかもしれない。

しかしするつもりはない。
面倒で疲れてしまいそうだからだ。
私はアイドルではない。それを生業としていない。
顔も良くて性格も良くて酒もタバコもしない。なんて人間には到底なれない。

私のことを可愛いと褒めてくれるあなた達は、Twitterを見ているあなた達は、私がお酒に弱いこともタバコを吸うことも知っているだろう。

人は見た目が100%とはよく言ったものだ。
全くその通りである。

まとめ方がわからなくなってきたが、なんと言えばいいのだろうか。

私の外見と中身に驚いた人もいるかもしれない。
イメージを壊していたら申し訳ない。
しかしながらそれは私の知ったことではないのだ。

「私のイメージ通りの私」になることすら難しいのに
「誰かのイメージ通りの私」になるなんてどれほど骨が折れるのだろう。

つまりは「私に過度な期待をしないでほしい」のだ。
きっと私はそれに応えられないし、期待する側も疲れるだけである。

私はこれからも私で居続ける。
Twitterがまた荒れることもあるだろう。

イメージを壊したくなければそっとTwitterのフォローを外してほしい。
FacebookもInstagramもやっている。

どれも色は違えど、書いていることは本心である。
イメージもそういうものだと思うのだ。

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