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風邪をひいたらみかんゼリー

風邪をひいた。
「夏風邪はバカが引く」と言うらしいけれど、もう秋なのでわたしはバカではないことにしよう。
風邪のせいもあって最近は省エネで、できるだけ体力を奪われない生活を心がけ、家にいるあいだは基本的にボーッと、解決するわけでもない考え事を続ける生活をしているよ。

気づけばあと2ヶ月ちょっとで今年が終わり、平成が終わってゆきます。全部終わります。
21年生きてきたわたしは、平成の2/3を生きたことになるのですね、ずいぶん生きたもんだ。

1人で考える内容なんてこんなもので、誰に話すでもない、答えがあるでもない、なんとも言えない考え事を、しかも似たようなテーマが、四六時中頭の中を駆け巡っているのです。

いつも考えるのは「なぜわたしは生きているのか」ということです。
前のnoteにも書いた気がします、きっとわたしはこの世に未練が無くなったら死んでしまうんだろうなと。
生きる気力もわかず、野垂れ死ぬか、死んだように生きるんでしょう。

そうなるであろうわたしが、今、生きている理由はなんなのか。
そう問われてもはっきりとした答えはありません。
わたしはどこから来て、どこへ向かおうとしているのか。今のわたしにはわかりません。

これが解ったら悟り開けそうだな、なんて阿呆みたいな考えをしたりもする。
きっとこれはわたしが死ぬ間際までわからないんでしょうね。

どう思って死んでいくんだろう。どこで死ぬんだろう、明日事故で死ぬかも知れないし、突然余命宣告されるかもしれないし、はたまた長生きして夫と子と孫に囲まれて死ぬかもしれない。
でも、その未来がどうあってもわたしはその直前まで幸せでいたいと思います。

ちょっと変わったこと、「死ぬ時まで幸せでいたい」と思うこと。
それはずっと前から思ってた、でも、その確信は出来てませんでした。でも、最近は出来てきている、気がする。今がすごく幸せなので。

それはやりたいことができていること、大学がちょっと楽しく思えていること、生活が改善されてきたこと、まわりに大切な人たちがいること。
ぜんぶぜんぶのおかげです。

今年から年に一回の習慣だった遺書を書くのを辞めました。
もともと死にたくて書いていたわけではなく、わたしの身に何かあった場合のto doリストのようなものでした。
クローゼットの処分はお姉ちゃんに任せる、とかね。
なんだかんだ中学校くらいからやっていたから9年分の遺書が溜まっていたようで、改めて確認するとまあまあ分厚い紙束になっていて驚いた。
それらも全部細かくちぎって捨てました。

また頭の中身をそのまま書き出しているのでまとまりが全くない。

言えることは、まだ死ねないってことだ。

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