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【映画】蜜蜂と遠雷【感想】

出来上がりとしては原作よりも面白かったと思う。ただ人物関係などで端折られてしまっている部分があるので、映画だけを見るとどういう関係?みたいに思う場面などがあるかもしれない。

原作は女の夢を詰め込んだ抒情詩だった。音楽表現はほぼ100%抒情詩だったわけだけど、そこは何という音楽の第何楽章を弾いたみたいに明記されているから、イメージ映像を流そうにもBGMでその音楽を使うしかなく、普通にピアノが流れた。

ピアノの上手さの機微までは正直分からないんだけれども、格闘技好きが格闘映画を見に行って、格闘シーンがあまりにもおかしい表現をされていなければ流せるというのと同じに思う。逆に格闘シーンで俳優が上手に動けていたらむしろ感心する。

蜜蜂と遠雷でビックリしたのは超絶技巧見なせえみたいなシーンは手と鍵盤のアップになるけれども、弾いてる真似なのかどうかわからないけれども、俳優がピアノを弾いている。松岡茉優、松坂桃李、森崎ウィン、鈴鹿央士はピアノが弾ける人なのかな。弾けるだけって技能なら持ってても不思議はない。でも音楽として流すのは本職のピアニストが弾いたもののようでCD販売してるみたいだ。

原作だと作者のキャラへの妄想が、銀英伝の田中芳樹の妄想のように感じられて気持ち悪い部分があった。
蜜蜂王子風間塵は屈託も裏表もない天真爛漫な美少年ですギョキャキャキャ。
マサルは高身長で掘りの深いクォーターで少年臭さの抜けかけた真面目で誠実な美青年ですウホホホ。
高島明石は誠実で家庭を大事にする真面目で一途なパーフェクトお父さんな好青年ゲヘヘヘ。
女の夢が詰まってんなあと思って読んだw

映画のキャスティングに関してはほぼ完ぺきだったと思う。

ストーリーのメインテーマとしては少女が大人になったという感じだろう。だから栄伝亜夜が魔性の女にしか見えない。元天才少女ピアニストだったけれど、先生でもある母親の死があり、それを乗り越えられずコンクールを通して少女時代を追体験する。母親がいたときはただピアノをおもちゃとして、世界と音楽をつなぐ媒体として音楽を楽しんだ。

天真爛漫な風間塵と出会い、キャッキャウフフで一緒にピアノを弾くシーン。あんなのどう見てもラブラブカップルだ。一つのピアノに肩がぶつかるほどに座って時々目が会いつつベートーベンの月光を弾いた。月光ってもっと物悲しい音楽のイメージだった。でもあれだと月夜にコッソリイチャつく中高生。しかもしっとりムードにお姉さんの方から持って行ってる。ふと目が会ったとき相手が微笑んでくれるとかドキッとする。そのままフレンチ・キスならするんじゃね?って距離感。
栄伝亜夜にピアノを弾く面白さを思い出させ始める。

↓オレの中での月光


幼馴染だけども外国に行って疎遠になってしまっていたマサル。マサルの方が年下なので栄伝亜夜の方がお姉さん。マサルが弾けなくて悩んでいるときにマサルの前に現れて、その曲なら弾けるよと言って、弾けないところを一緒に弾く。ほら弾けたみたいに優しく微笑む栄伝亜夜。今度は少し年下の男を教え導いて魅了する。

でも自分が大人になりきれず悶々とする栄伝亜夜。明石には涙を見せる。年上の男にたいしてはガッツリ弱みを見せる。

最後は立ち直った栄伝亜夜が指揮者であり、気難しい紳士の鹿賀丈史を満足させる。

原作には多少含まれていたけれども、映画自体に恋愛の要素はないはずなのに、ある種のエロチシズムを感じさせていてよくできていると思うと同時に、栄伝亜夜の魔性が怖かった。コンクール期間中という割と短いスパンなのに男を変えていくもしくは同時進行。しかもそれが華美でない服装のいわゆる清楚系の女性。ふと清楚系AV女優という言葉が頭をよぎる。実に魔性だw
音楽とセックスをセットで語るロッカーはいるけど、クラシックもそうなんだって思った。

天才が苦悩するということのアクセントに、苦悩しない天才風間塵、努力型の天才マサル、努力しても壁を越えられなかった凡人高島明石がいる。
作品の裏テーマ、裏主人公は凡人高島明石。チャンピオンになれなかった格闘家が格闘技とどう接していくのかということと、テーマ性としては非常にリンクしていて、掘り下げるならこっちの方が個人的には良かった。でも多くの人はチャンピオンが見たいので、高島明石がスパイスなのは仕方なし。



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