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天の配剤を素直に受け取る方便

何年かぶりにプロ野球を見にいった。見たいと思ったら、チケットが売りに出た。申し込んだら、すぐに手に入った。当日は雨予報。が、降ることなく、程よい曇天。会ったことはないのに、連絡を取っているスポーツライターの方に、久しぶりのプロ野球観戦を報告。すぐに返事をもらう。ありがたい。夕暮れ時、風が涼しくなる中、ひいきのチームは大勝。なんと申し分のない日だろうか。見えない何者かが、自分を楽しませようと、一生懸命、動いていてくれているようではないか。それを素直に受け取る。これからのこと、健康、家族、介護、生きている不安が、間断なく気持ちを覆い尽くそうとする。それには目を向けず、天の配剤をそのまま受け取る。今この時に喜びを感じるようにする。そうしないと、こんなに汗をかいてくれた見えない何者かに申し訳ない。回りくどい言い方だけれど、楽しければ素直に楽しめばいいのだけれど。でも、不安や不満が頭の周りにまとわりついて、ほっておくとすぐ暗い顔になってしまう自分には、これくらい言い聞かせないと、こういうふうに感じるようにしないと、恵まれた自分を認識できない。見えない何者かに感謝。天の配剤に感謝。今日一日に感謝。

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