「飲む森」に出会った話

私の近くにいる愛煙家で、「緩慢な死に向かう行為」としてアメスピを吸う習慣を大事にしている人がいます。最近そんな彼も仕事のできる同僚に説得され、無煙タバコに切り替えるという変化がありました。人間何が起こるかわからないものです。

アルコールも似ている効果を求めるようなところがあるなと思います。正直、ITのような動きが速く、ストレスも溜まりやすい産業では、通常の人生に対して悩み・煩悶のサイクルが早く回ってくる点がある気がするものです。先日、インターネット老人会の有名人と、ITの世界でちょっと長い人は団塊の世代の人たちより老成してますよね、という意見で盛り上がったことがありました。情報伝達がなめらかな社会は、本来人間や摩擦がバッファとなってくれていたストレスを直撃する観点もあるので、呑みすぎな人も確かに多い気がします。

私も証券会社の一年目の時は、千葉県の寮で金曜の深夜に何人かで集まって、ありったけの小銭をビールの自販機に突っ込んで今日こそ倒してやるとかやっていたのですが、結局、倒せなくてストレスを逆に溜めたりしていたので、荒れてたなと思います。これはどうでもいい話。

さて、下記の記事は、ひょっとすると2年前であれば、あまりすっと読めなかったかもしれません。

私も妻の妊娠をきっかけに少しお酒との距離感が変わったのですよね。そのときに知った世界で、ノンアルコールのペアリングというのがあります。

その中でも衝撃的だったのが、外苑前のフロリレージュさんになります。

もちろんお料理もすばらしいのですが、妻の手元にかっこいいカクテルが沢山届けられるわけです。

一輪挿しのようなドリンクとか

他にもきれいなカクテル調のドリンクが沢山。よく考えたらバーとかでそうそう何杯もカクテル飲まないじゃないですか。途中から、子ども心にうらやましくなってくるわけです。僕もあっちにすればよかった。。。みたく。

で、挙句の果てには「飲む森」みたいな袋が渡されたりと、もうすごい。


飲む森(正式名称は森の中のモヒート)

この森に出会ったことで、どこかでコペルニクス的な何かがありました。体に良い悪いではなくて、飲み物の中にある体験が主役だったんだよね、という本来当たり前の理解から、自分はずっと遠ざかっていたんだな、という発見。

「ノンアルコール」は、運転とか、身体の事情に起因するような、反作用を生みやすい言葉のようにも思えます。そうではないし、上記みたいな、アルコールよりもリッチな体験ができるノンアルコールがあるべきだと思うし、もっと言えば身体に悪いノンアルコールというジャンルもあってもいいのではと思いました。

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