Don't look at Curren
暇だったから。
なにかを始める理由なんてだいたいこれ。あのクソキモトレーナーのことを"お兄ちゃん"なんて呼び出したのもそう。ほんと今は後悔してる。でもいまさら態度変えたら契約切られそうだし、しょうがないじゃん。だって暇なんだから。
「ねー、今週の美少女百花見た?これ載ってるのシチーさんじゃない?!」
名前も知らないクラスの子の話がたまたま聞こえてきた。こういうときウマ娘の耳ってほんといらないって思う。性的消費以外のなにものでもない造形しといて無駄に聴力いいのムカつく。まぁでも人間の耳でも多分聞こえてたと思う。ほら、教室って暇だし。
そういや最近耳にするのゴールドシチーの名前ばっか。あいつ、モデルの仕事やりすぎで単位取れなくて留年してんでしょ?マジウケる。べつになんでもいいけど、ただ、何度も同じ話を聞かされるのってイライラするんだよね。認知症の介護してる人ってすごいと思う。カレンなら絶対無理。無駄すぎて悟りを開いたブッダもムッダに改名するレベル。は?うざ #ルナしね
あ、マヤからLINEきた。
< 屋上きなよ
いこ。なんかマヤを怖がってか屋上誰も来ないし。教室つまんなすぎ。昼休みの時間を使ってまでもどーでもいい話を続けられるスカ脳みそにカレンもなってみたい。
「それな」
屋上のフェンスに凭れ掛かったマヤが呟いた。茫漠とした曇空を見上げながら紙パックのミルクティーを啜ってる。いかにもどーでもいい話されてるみたいな態度。しねよ。
「マヤの周りも最近シチーさんの話題ばっかで飽き飽き。ねえ聞いた?あの人仕事やりすぎて単位取れなくて留年したらしいよ笑」
「知ってる笑 てかマヤのとこもなんだ。なんかムカつくよね。同じ話何回もされんのって」
やっぱあたしたち気合うね♪
そこから先は示し合わせたかのようにゴールドシチーの悪口を二人で言い合った。挙げ句の果てには、そのノリで他の子にもシチーの悪口やあらぬ噂を漫ろに広げていった。
『ゴールドシチーは金髪碧眼のくせに中国語しか喋れない』『あれだけハイブランド至上主義ですみたいな顔しといて韓国コスメしか使ってない』『ゴールドシチーを変換して"金七(キム・チ)"』なんて渾名を付けたときには爆笑して屋上から転げ落ちそうだった。
放課後。マヤは用事あるとか言ってどっか行っちゃった。帰りにスタバでも寄ってこっかな。ウマスタ用に流行りのやつ撮りたい。
あ、やっぱやめ。今はちんペチに釣られてくるオタク多そうだし。あいつらほんと嫌い。ちんすこうみたいにモサっとしてて無理。お似合いの商品提供してくれてよかったね笑
そんなしょうもない理由で全然名前も聞いたことないカフェに入った。味は、うん、あんまよく覚えてない。店員の態度悪かったのが印象的すぎて。あー思い返すとまたイライラする。客も客で水だけ頼んで居座ってるやついたし。ふつーにキモいから。今度この店マヤに紹介してあげよ。
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シチーさんがイジメられているかもしれない。
わたしと喋っているときはいつも通りだから、全然そんなこと気づかなかった。ただ、この前教室を訪ねたとき、シチーさんはキムチでビンタされてた。あれは一体⋯⋯
帰り際。偶然学校の正面玄関でゴールドシチーと鉢合わせたユキノビジンは恐る恐る尋ねてみた。
「シチーさん。なにかあったんです?そこっと教えてください」
「ん、いやマネとちょっと揉めてね」
ゴールドシチーはさりげなく自分の下駄箱を隠すように立ちながらそう言った。
友人に隠し事をすることに少し罪悪感を感じるシチーさん……美しいべ。
はっ、出てはいけない。闇のわだす!!
「その、なにかあったなら相談してほしい⋯⋯です!」
ゴールドシチーは初対面時からユキノビジンにピュアな魅力と底力を感じていた。だから、彼女の態度に一切外連味を感じることはなかった。
「歩きながら話そ」
帰り道。ゴールドシチーイジメの全容を聞いたユキノビジンはさっき下駄箱で香った謎の匂いの正体がキムチであることを確信した。
「やり返しましょうよ。このままじゃあたし、悔しくてえ」
ユキノビジンは顔をくしゃとさせて軽く泣いてみせた。純粋なシチーは、自分事よりも他人事で動くだろうと考えたからだ。
「いいよ。別に気にしてないし。いざとなったら相談するから」
「そうですか……そのときは任せてくださいね!」
結局、問題は何の進展もなく現状維持ということに。
──ならせめて、シチーさんを曇らせた人に罰あれ
沈み行く夕日を前に、ユキノビジンは願った。
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「なにこれ」
キムチハラスメントに対して毅然とした態度を取り続けるゴールドシチーからみんなの関心が離れてきた頃。昼休みに購買でパンを買って戻ってきたカレンチャンが目にしたのは普段とは違う自分の机の有様だった。
乗っている。赤い物体が。
平静を装いながら窓辺の一番後ろにある自分の席の前まで行くと、机の上に置かれているものの正体がわかった。
──キムチだ。
瞬間、カレンチャンはキムチをそそくさと窓際のスペースに置いた。鼓動が少し速くなっているのがわかる。忘れよう。多分なにかの間違いだ。無視しよう。そう思って汲々と椅子に座ると
〝ペチャ〟
??????????
突然の出来事に当惑する中でカレンチャンは周りがクスクスとせせら笑う音を聞いた。
「カレン"ちゃん"ってさ。あれほんとはフルネームらしい。カレン・"チャン"ってね。あいつもやっぱ中国人なんじゃん笑」
名前も知らないクラスの誰かがそう囁くのを聞いた。プっと誰かが吹き出すのを聞いた。自分の心臓がドクドクと音を立てているのを聞いた。だからいらないんだよこんな耳。
最悪最悪最悪
女子中学生なんて生き物は、無批判的に受け継がれてきた単なる習慣にしか従わない。
"みんながやってる"
彼女たちの金科玉条はそれだけだ。当然、そこに生きた道徳が介在する余地はなく、たとえばジイドにとっての真実の豊かな生を生み出す力、サンテグジュペリ、カミュにとっての行動と人間的同胞愛を生み出す力は全く機能していなかった。むしろ、カレンチャンを含めその場を支配していたのは原理的な恐怖だった。
カレンチャンは極力周囲の様子が目に入らないよう前屈みの体勢で机を見つめ続けた。
てかこれ立てないんだけど。嫌だよお尻にキムチ付いた状態で歩くの。そうだ、マヤは?
や、むりむりむりむり。絶対にむり。マヤにだけはこんなとこ見られたくない。きっと神をも見下すような笑顔で手を差し伸べてくるに違いない。
それでももし、本当に助けてくれるとしたら?
そのとき、あの聞き慣れたきゅるんとした声が教室に響いた。
「マヤ知ってる☆パパが言ってたよ。そういうの"バナナ"って言うんだって。見た目は黄色いのに中身は白人気取りだもんね笑」
⋯⋯は、なにそれ。
ウケる。
精一杯の無表情を取り繕って顔を上げると、マヤは頬杖をつきながら、Tik Tokでビリーアイリッシュがタイラー・ザ・クリエイターの『Fish』に合わせて歌ってる動画を見ていた。
まあ、知ってたよ。呉越同舟だったもんね。あたしたち。
カレンチャンは息継ぎをするように綯交ぜだった感情からゆっくりと顔を出した。
くだんない。
そんな世界から逃げるように視線を逸らすと、その向こうには、まるで何事もなかったかのように颯爽と教室を後にするゴールドシチーの姿が見えた。
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