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# 37 悩める人間

今回は想像力について考えてみた。これは知っているつもりでも知らない自分に気づかせてくれる。

愛執(あいしゅう):欲望にとらわれて心が離れないこと。愛着(あいじゃく)とも言う。
理性的な魂は個々にとらわれずに、バランスを重んじるので、愛執を抱く事は無い。
だが、一見は何かしら鈍感で、ザックリで、いい加減な性格にも映る。
日本では「いい加減」と言う言葉は「おざなり。無責任」とされ、日の目を見ない。しかしながら、世界標準で考えると、理性の本質に迫る意外性のある言葉なのかもしれない。前にも言及したのだが、理性の発する言葉は感性や知性からとは違い、受け入れ難いものも多い、まるで外国語の様なものだ。

NYで研究生活をしていた際に、ある高校生がカリキュラムの一環である課外活動で我々のラボに参加してきた。高校生で、すでに大学レベルの数学をこなして、米国の高校生のイメージとはかけ離れていた。彼は、数ヶ月後にハーバードに合格したのだが、私の目の前で、入学を電話で、断った。結局、彼は医学部の6年カリキュラムのある、ブラウン大学を選んだ。2年短縮して医師国家試験を受けることを重要視したのである。
彼と話すと、老成した少年であること、バランス感覚に優れていること、他人に愛執の念を抱くこともないし、自分がそうされることも好まないと言う冷めた人物であった。彼の資質は米国人にも特異に映った様で、ラボの教授も彼の選択に驚いていた。
彼が理性的である事は衆目の一致する所だ。バランスを保ちながら一歩一歩前進する姿は理解できる。しかし、若さを感じさせてくれる想像力に乏しい点が気になった。
私が彼なら、ハーバードを選択したはずだ。 夢を持って、「少年よ大志を抱け」と言いたくなったのだ。

想像は心の動きを増幅させたり、縮小させたりしながら、愛執を露わなものにする。感性への粘着性を強めたり、弱めたりしながら。
劣等感を克服できない程に深めてしまうし、優越感を鼻持ちならないほどにしてしまう。

このように想像力をネガティブに捉えることもあるのだが、一方で、教育の現場では想像力の豊かな子を育てる、などと素晴らしいことのように表現される。。

実際、想像力は諸刃の剣であると私は感じている。これは人間の複雑さ、難しさ、弱さ、強さを象徴している。

想像力の豊かな人物が、今では事業拡大に成功して、資産を積み上げているのを目の当たりにしている。若かりし頃、「広大な土地を買い、自宅に飛行場を作るのだ。」と言っていたが、後に、それは法律上、問題があるので、諦めた様だ。現在、多くの医療、介護施設を手広く経営している。

想像力と理性的であることは両立するのは難しいかもしれない。しかし、想像力は人間臭さがあるし、人を惹きつける。これは人間の持つ素晴らしい良薬であり特効薬でもある。人間が理性的になるより容易に、イデアの世界を実現できる不思議を秘めている。
だが、毒薬ともなり得るのだから、そこには要注意。
慎重に、上手く付き合って行きたいものだ。

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