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『黒の過程』あるいはメランコリーの技法としてのレヴィ=ストロース

レヴィ=ストロースの講演録『モンテーニュからモンテーニュへ』を読んで、レヴィ=ストロースの他文化への眼差しのなかに、ルソー、そしてモンテーニュという基準点があることを知りました。

宗教改革とルネサンスという価値観が大きく揺らぎ、混沌とした時代を経て生まれたルソーとモンテーニュという人たちの思索が、第二次世界大戦とホロコーストという混沌に直面しつつ構造人類学を立ち上げたレヴィ=ストロースの参照枠であった、ということに惹かれるものがあります。

モンテーニュの己自身への懐疑、そして生を享受するという姿勢は、デカルトとはまた違った生きる技法を感じさせますが、ここでもうひとつ思い出す本がありました。マルグリット・ユルスナールの『黒の過程』。ゼノと呼ばれる遍歴の学者の人生を描き、それを錬金術の作業であるニグレド、『黒の過程』と重ね合わせた長編小説の傑作です。

モンテーニュについて言及したレヴィ=ストロースを読んだからでしょうか。レヴィ=ストロースの人類学の旅、そして亡命も、ある意味では西洋社会の混沌や喪失に向かいあった「黒の過程」のようなものであったのではないかと思われてなりません。

ルネサンスと構造主義人類学には、もうひとつ補助線が引けます。レヴィ=ストロースの弟子であるデスコラは、師の構造主義を存在論的に拡張し、西洋の学問をナチュラリズムとして特徴づけ、トーテミスム、アニミズム、アナロジズムと対置させています。さらに哲学者のミシェル・セールは、このデスコラの四つの分類が、いかに西洋社会の中にも内在された思考なのかを描き出しているのです。セールが『作家、学者、哲学者は世界を旅する』の自伝的な記述から、彼の出生である南仏の村落において、いかに彼が生き生きとアニミズムのなかを出入りしていたかが示されます。南仏、そう、タロットの地マルセイユも南仏でしたね。
ナチュラリズムである近代科学の誕生の背後に、魔術的な、野生の思考としてのルネサンスがあったのではないか、そんなことを考えながらルネサンスの本を読みたくもなりました。