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レヴィ=ストロースについてのメモ4

レヴィ=ストロースとベイトソンを巡って

ベイトソンのいう「精神」の基準である差異と、レヴィ=ストロースのいう音韻論的な差異は、もちろん大きく隔たっているのだろう。
しかし一方で、二人が交錯するところもまたあったようだ。

たとえばレヴィ=ストロースは『構造人類学』において、ベイトソンとマーガレット・ミードの研究『ナヴェン』に言及している。

この方法論上の問題について、構造言語学がわれわれに教えてくれるものは大きい。ベイトソンとミードは、ラドクリフ=ブラウンが示した方向で仕事をした。しかしすでに、その著『ネイヴン』(一九三六)の中で、ベイトソンは、純粋な対関係の水準をこえていた。すなわち、彼は、対関係をいくつかの範疇に分類しようと努め、その結果社会構造の中には、社会関係それ自身以外の、それ以上のものがあることを認めているからである。いったい、社会構造でなくて何が、関係に先だつものとして考えられるというのか?

「民族学における構造の観念」レヴィ=ストロース『構造人類学』p.335

このことは、ベイトソンが論理階型という言葉で表した関係の水準の問題を、レヴィ=ストロースが構造という言葉で記述していたということだと思う。ここについてはもう少し掘り下げていきたい。

『構造人類学』には、ウィーナーなどのサイバネティクス、システム論に関わる議論が時折言及されている。これはつまり社会的なものや、文化的なものをどのように科学として扱うか、ということを主題にする文脈で書かれているように思う。

伝記的にいうと、ベイトソンが参加したアメリカのサイバネティクスという概念が契機となったメイシー会議には、レヴィ=ストロースの盟友であるヤーコブソンも出席している。

 また渡辺公三『闘うレヴィ=ストロース』には、シャノンがレヴィ=ストロースと同じ建物に住んでいたというエピソードが紹介されている。

その意味で、レヴィ=ストロースにとってアメリカの文化人類学や当時のシステム論は、自分の考えをまとめて行く上でのひとつの参照項として機能した可能性はあるのかもしれないと思う。