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石と血脈、あるいは流れ星と心(『君たちはどう生きるか』ネタバレ感想4)

謎の呈示

この作品で石にまつわる領域は、最も抽象性が高く、かつ扱いの難しいものになっていると思います。なぜ石は敵意を持っているのか。墓の門にはなぜ「ワレヲ学ブモノハ死ス」(付記:「コレヲ」ではなく「ワレヲ」だと教えて下さいました。謹んで訂正します。キタローさんありがとうございます。)と書かれているのか。なぜナツコはあの塔の「産屋」にいかなければならなかったのか。「産屋」に入ることはなぜ禁忌なのか。通路をとおった先にはなぜ、アオサギが「自分もここまで入ったことはない」という領域があるのか。

石にまつわる部分は、この作品の中でも最も触れることが難しく、かつ独特の深みを与えていると思われます。

「石」に仮託されたもの

前々回の感想で石について、鉄や他のエレメントと対比させてその位置付けをみました。ここで改めて確認をしましょう。

ひとつは「産まれないし死なない」ということ。大叔父があの世界で在り続けたように不死であり、同時に不生でもあること。ナツコさんが子どもを産めないまま産屋で苦しんでいるということも、ここに帰着するものでありましょうか。

もうひとつは無時間性ということ。石が放つ雷撃、石が降ってきた時に雷が落ちたようだった、というのは、刹那の閃きと悠久の時間が、あるレベルで両立しうるということを指しているように思われます。塔が可能にする時間を行き来する魔法も、この無時間性によって成立していると考えることができそうです。

さて、いったいこの石は、どのように謎と関係づけられているのでしょうか。まったく手掛かりないままぼやぼやと考え続けておりました。

ノマド

そんななかで、Twitterでやり取りさせてもらっているTaröさんが、こんなツイートをされていました。

"つまり、神聖なる塔のノマド性を大叔父は不遜にも建造物によって毀損した。そこにあるのは諸星大二郎の「闇の客人」のような人間の強引な自己本位性。"

このツイートを読んで自分の中で色々なことがつながりました。私が無時間性と呼んでいる部分をTaröさんは「ノマド性」と位置付け、大叔父の塔を建てる行為はそのノマド性を毀損するものだったと書かれているわけですね。

ちなみにTaröさんはこのノマド性を「サーカス」のイメージと関連づけられたり、芸術家の「垣間見た神秘世界を形にすること」と読み解かれていて、これも非常に興味深いので是非元ツイートをご一読ください。

さて、自分なりにこの指摘を咀嚼致しますと、大叔父の魔法というのは、永遠性・無時間性のある種の「私有」ではないかという可能性が浮かんでまいりました。そこには隕石と大叔父の間の、なんらかの契約がなされているように感じます。

ハウルと大叔父

ここで少し寄り道をして、同じく流れ星と契約をした『ハウルの動く城』のハウルのことを考えてみます。作中の「汝流れ星を捕らえし者、心なき男」の言葉の通り、彼は刹那に煌めく流れ星と契約し、自らの心≒心臓と引き換えに、カルシファーの永い命と魔法の力を身につけます。ここで、「私有の契約」と「代償としての心」が交換されていることが分かります。これもまた児童文学の規則のひとつであると言えましょう。

さて、では大叔父は一体なにを代償にこの星の私有を、時を超える魔法を得たのでしょうか。どうもそれは「血脈」にまつわるものなのではないかと言う気がしてなりません。

隕石と血脈

この想定の根拠のひとつとして挙げられそうに思うのは、隕石の通路を通り抜ける条件が「血の繋がった者であること」です。そして大叔父の血を分けた一族であるヒミ、ナツコ、マヒトのいずれもが、あの塔に招かれている。そしてマヒトは大叔父から、繰り返し跡を継ぐように諭されるのですね。

また墓も産屋も、血脈を維持する上で機能するものだということができます。彼らはそこに存在し続けている。死にながら生き、生きながら死んだ存在として。石に血脈が契約されるとは、閉じた世界が「家系」を中心に回っていて、その際一人一人の人というものは、避け難く犠牲になる、ということなのでしょうか。
漫画版ナウシカでナウシカの見せる、「母は私を愛さなかった」というモノローグを思い出させます。

「大切な家族を犠牲にする外側の世界」と「一人の人を犠牲にする家系という世界」は実は石という領域では繋がって存在しているのです。

苦しむナツコの上で回っている「紙」は、そのようなナツコの家に縛られた境遇として存在し、そこに塗り込められたマヒトへの「大嫌い」は、家系の犠牲になった女性たちの封じられた声ではなかったでしょうか。
大叔父がおそらくは長子ではなく、それゆえに家族を持たなかった?ように見て取れるのも、それと関わっているのかもしれないと想像します。
また漫画版ナウシカの話になりますが、土鬼の皇弟ミラルパが、墓と契約し不死を得ていること、彼が「闇を纏っている」こと、民の為に賢帝であったがその権力ゆえに歪められていったことと、大叔父の最期は似通っているように思われます。

主人公マヒトは、己を傷つけて「血」を流し自分の世界を閉じますが、それは「家系」や血脈にまつわる傷つきが、あるレベルでは「自分の家庭が社会の犠牲の上で成り立っている」と同時に「自分自身の身体が母の犠牲の上で成り立っている」ことへの内向した怒りとして発露しているようにすら思われます。

さて、このようなマヒト自身、そしてナツコを主人公はどのように救いだすことができるのでしょうか。それはまた次回、「友情」についての回で考えられればと思います。