補足:愛憎相半ば(『君たちはどう生きるか』ネタバレ感想6.5)

大叔父のことについて、考えたことがあったのでもう少し。

大叔父の思惑について自分は、その「閉じた世界」の犠牲的な側面について触れてきました。これに関して基本的なところで変更はないのですが、

ツイッターでとある方(ご了承頂いてないので、とりあえず匿名)で、本作の好きなシーンとして、ヒミが落ちていく石たちを見て「大叔父様、ありがとう」というシーンを挙げていらしたのを見ました。

うん、ありました。確かに。この「ありがとう」の意味について、考えないといけないなと思いましたです。

もちろん解放が為されたことについて言っている、という理解は成り立つかもしれません。しかしもう少し、踏み込んでみたいところであります。

自分は家系や血脈について、それを魔法と引き換えにした、と言いましたが、これは見方を変えれば、自分の家系や血脈が、守られるようにした、ということなのでは?

ヒミが居なくなった当時、ヒミ自身がどういう状況だったのかというのは分からないけれど、ナツコが外の世界ではもう生きていけない、という状況であったろうことはわかります。
とするなら、自分の家系を閉じた世界の中に招くということは、片方で檻のようでもあり、もう片方で庇護を与える、ということになりはしないか?とも感じます。

 世界に対して自らを閉じるファンタジーの機能が、あるところでは外界からの秘密の隠れ場であり、ある意味では成長を止めてしまう牢獄にもなり得るということなのでしょうか。

その方がこの世界の、大叔父の両義性に触れているような気がしますね。

梨木香歩『家守綺譚』という小説の中で、主人公の綿貫が、亡くなった友人高堂の行ってしまった世界、「湖底」の世界に誘われる場面があります。帰ろうとする綿貫に、湖底の住人である「カイゼル髭」は語ります。

「ーー此処にいればいいではないですか。此処はまだほんの入り口ですが、奥に行かれますとそれは素晴らしい眺めです。虹の生まれる滝もあれば、雲の沸き立つ山脈もある。金剛石で出来た宮殿もある。そこに住まいする涼やかな精霊たちもいる。心穏やかに、美しい風景だけを眺め、品格の高いものとだけ言葉を交わして暮らして行けます。何も俗世に戻って、卑しい性根の俗物たちと関わり合って自分の気分まで下司に染まっていくような思いをすることはありません。」

梨木香歩『家守綺譚』p.184

こうして、この世界への参入を示す「葡萄」を食べることを勧められ、主人公はそれに対してこのように答えるのです。

「ーー拝聴するところ、確かに非常に心惹かれるものがある。正直に云って、自分でも何故葡萄を採る気にならないのか分からなかった。そこで何故だろうと考えた。日がな一日、憂いなくいられる。それは、理想の生活ではないかと。だが結局、その優雅が私の性分に合わんのです。私は与えられる理想より、刻苦して自力で摑む理想を求めているのだ。こういう生活は、
私は、一瞬躊躇ったが勢いが止まらず、
ーー私の精神を養わない。」

梨木香歩『家守綺譚』p.185-186

このようにして誘いを断り、綿貫は湖底から戻ってくるわけですが、このようなモノローグが続きます。

「私の中の何かが、向こう側に引っかかっている。雨の気配が障子を通して室内を浸してゆく。……そうだ、あのカイゼル髭の泣き顔だ。弱くて優しい人なのだ。それなのに私は随分力任せにあの人をはねつけたような気がする……。」

梨木香歩『家守綺譚』p.186

小説の着地点が気になるかたは、是非小説をお読みいただくことにして、この部分に閉じた世界の庇護性と、その窮屈さがよく現れているように思います。
 そしてそこに住まう人、そのように世界から切り離されることを願う人の「弱く優しい」部分は、大叔父にも見出せるものかもしれませんね。