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書くという行為。

もう15年以上前の、まだブログとかあんまりメジャーじゃなかった頃からブログを書いたり、ホームページを作ったりしていた。
ホームページにいたっては、ただの学生の私が独学でHTMLタグを使って作っていた。

もっと若い頃は、ノートにびっしり想いを綴ったり、小説を書いたりしていた。

本は昔から好きでよく読んでいたし、10代で哲学の本を読んだり。
音大に通っていたのにフランス文学を取っていて、発表で先生に褒められたり。

書くこと
発信すること

が好きなんだと思う。

そして、発信方法として文章が私に合ってるんだと思う。

それが、子供を産んだ10年前頃から日々の生活に追われて、書く時間がなくなって書かなくなった。というより他のことを優先してきた。

でもこの10年こそが私にとって濃密で、喜びもどん底も経験して、発信したいことがつまっている。

そして何より、書くことでデトックスすべきだった。

大変だからこそ、時間がないからこそ、今までにない経験で右往左往しているからこそ、 書く という行為をしたらよかった。

その時々の気持ちは、どんなに忘れないだろうと思うほど強いものでも、少しずつ薄れたり曖昧になり、さらさらと流れていく。
良いことでもあり、少しもったいない。

今でも遅くないのかな、と10年のこと、少しずつ書いてみようと思う。
久しぶりの書く行為は、とんでもなく下手くそになっていて、伝えたいことがまとめられないし、人に見せるには恥ずかしい文章だ。

それでも毎日書いてリハビリしながら、誰か1人にでも想いが届いて、少し背中をおしたり、背中を撫でたり、心を温かくできたらと思っている。

noteにはたくさん素敵な記事があって、まだまだ人間て捨てたもんじゃないよね、と思わされる。

今は発信する場所がたくさんあるけど、やっぱりそれぞれの媒体に色があって、住みやすさがある。

noteの中で私の居場所を作って穏やかに暮らしていけたらなあと思います。

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