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国道16号を走りました。車じゃないよ。(その1)千葉-川越

知っている人は知っていると思いますが、わたしはウルトラマラソンを走る人でもあります。昨年は、コロナ下で大会が激減している中、旧街道マップをみながら、いろんな旧街道を走ってました。そちらもいずれアップしますが、まず、国道16号を全線走り終えた記録と感想を書いていきます。

国道16号は、わたしが住んでいる千葉市を通って、八千代や柏方面に向かっています。たまに、八千代まで走ることがあるのですが、道ばたに、「横浜から164km」という表示があるのです。ずっと気になっていました。走るのに良い感じの距離だなと(ウルトラランナーあるある)。

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そうしたら、FBでつながっている柳瀬博一さんが『国道16号線-「日本」を創った道』(新潮社)という本を出版されました。日本文化を創ったのが国道16号線エリアだという大胆な仮説が展開されていました。古代から人が居住し、武士が行き来し、殖産興業のルートになり、戦後日本の芸能文化を生み出し、“ニュータウン”も大学もショッピングモールも展開する「日本の歴史の中心」エリアが16号線エリアだというのです。これは、走ってみるしかないですね。

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まず、2020年12月5日から6日にかけて千葉から横浜の高島町までのだいたい170km弱を走りました。12月10日には、千葉から富津まで走りました。2021年1月1日に残りの横浜から走水までを走って完走しました。今回は、千葉から川越まで、約95kmです。朝4時ころに家を出て、まずは八千代に向かいます。この日は、雨でした。天気予報は午前中だけ小雨といっていたのですが、一日中降ってました。それも寒い。凍えながら走ります。

地図

国道16号の千葉北西部エリアは、走っていてあまり歴史を感じない部分です。多くの場所で古い里道と16号が斜めに交差しています。沿線にある八千代市の米本神社、柏市の香取神社なども16号に対して斜めに建っています。歴史ある土地の上に斜めに新しく引いた線というイメージです。国道16号が指定されたのは、1962年ですが、千葉北西部エリアの道路ができるのは、1975年ということです。1973年測量の国土地理院地図を見ると、旧道もない田園地帯に、国道16号予定路線が点線で描かれています。やはり、このエリアは、元になる道路がないところに新しくつくったエリアということになります。

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16号千葉エリア脇の神社(左上:米本神社、右上:香取神社、下:安房栖神社

16号開通前

1975年発行(1973年測量)の国土地理院1/25000地図「野田市」

16号開通後

1978年発行(1976年測量)の国土地理院1/25000地図「野田市」

早朝から走っても、大型トラックの通行量が多く、歌を歌いながら走っても迷惑にならないレベルです。走るっていっても、走ったり歩いたりですから、早歩きと同じくらいのペースですけど。うねるようなアップダウンはありますが、丘を登るようなイメージはありません。トンネルは、短い柏隧道が一箇所あっただけです。沿道には、千葉から八千代には中古車販売が多く見られました。八千代には、村上団地、米本団地と、古い“ニュータウン”が沿道にあります。URの分譲住宅で、国道16号の開通とともに入居が始まった古い住宅にはエレベーターもなく、5階に取り残されている高齢者がいると聞きます。

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           柏隧道(横浜ー千葉間で唯一のトンネル)

このあたりの16号は単調で、やや飽きてきます。走っていると、おかしいことに気がつきました。国道16号を表示するおむすび型の標識の「16」の字体が統一されていないのです。あきらかにフォントが違うもの、同じフォントでも「1」と「6」の間が間延びしているものなどいろいろです。千葉エリアだけでもまちまちなので、設置者の違いというわけではなさそうです。

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柳瀬さんの本に、16号には大学が多いということも描かれていますが、野田市に入ると、東京理科大キャンパスがあります。「もりの遊園地」の観覧車も見えてきます。この辺りには、左側に平地林があります。ここは、野田市役所脇の「中央の杜」で、日光東往還の裏側を16号が通っているところです。旧街道と並行しているので、この辺りは少しだけ歴史を感じることができるのかもしれません。

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上:観覧車がみえてきました。 下:中央の杜が左にあります。

野田のあたりから目立つのが大規模な物流センターです。日本生協連の物流センターもありました。早朝から大型トラックが走るわけです。野田を抜けると、金野井大橋をわたりきったところで、埼玉県にようやくはいりました。春日部市です。日光街道を走ったときには、粕壁宿でした。どこかで漢字を変えたんですね。地底体験ミュージアム龍Q館という表示にそそられます。首都圏外郭放水路の「地下神殿」があるところです。今回はパスして進みます。国道4号線との交差路に、歩行者が侵入できないので、少し迂回します。イオンモール春日部があるところです。16号添いには、イオンモールのような大規模ショッピングセンターも目立ちます。柏にはセブンパークアリオ柏がありましたし。

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左上:日本生協連野田物流センター、右上:やっと埼玉、左下:地底体験ミュージアム入口、右下:イオンモール春日部

さいたま市に入って、少し眠くなってきました。沿道にカラオケ屋があったので、仮眠しようと思って入りました。ワンドリンクを待つ間に歌い始めたら、ちょっと止まらなくなって、あまり仮眠できなかったです。入った部屋が、演歌DAMにセットされていて、ちょっと心外でした。昔の曲から最新曲まで内外幅広くカバーしてますが、演歌だけは歌えません。カラオケを出ると横浜まで100kmのポストがありました。暗くなりましたが、川越まで、あと20km移動します。

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東北新幹線をくぐって、国道17号と国道16号の併用区間に入るところから、国道脇の歩道がなくなります。高架バイパス区間は、歩行者は、地図を眺めながらバイパスの下の歩道を進むことになります。鉄道を越える部分などは、階段を上り下りします。とくに、国道17号沿いに入るところは、道を見つけるのが難しかったです。宮前インターチェンジをなんとか抜けて、西大宮を過ぎるとまた高架バイパス区間です。上江橋に上がるところがまた迷路のようでした。

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左上:バイパスの下を登ったり下がったりします。右上:鉄道を越える歩道部分、左下:16号と17号の重複区間、右下:上江橋

上江橋(かみごうばし)は、やけに長かったです。あとで調べたら、一般国道の河川に架かる橋で日本最長(1,609.9m)ということです。上江橋をわたって川越にはいると、本当に「川越」なんだと実感します。

川越に入ったのが、0時を回っていました。カラオケで1時間過ごしたせいです。川越でも16号は旧市街にはいらず迂回するルートになっています。もともとは旧市街にはいっていたようですけど。小江戸大江戸206kmのラストで通過する小仙波交差点をとおって、池袋に向かう川越街道も通過して、市街の南側を迂回しました。ネットカフェに1時ころに到着です。ここで2時間仮眠しました。(つづく)

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