なぜ、旅をするのか
今、ミュンヘンにいる。
一昨日、ミュンヘン行きのICE(高速列車)に乗る際に、いろいろあり、一駅の間、立っていた(ちなみに、私以外は、みんな座っていた)。
私の旅は、キツい。見るものがありすぎる。男性のひとり旅とは、異なるから、安全面も考える。となると時間が限られる。
この土地に次に来るのが、いつなのかわからない。自分に与えられた時間に限りがあることを思い知る時が、私の旅だ。
そして、大げさでなく、自分の人生の時間に限りがあることをも、思い知る旅でもある。この時を逃すと、二度と見ることが出来ないかもしれない。そんな気持ちになる。
ただし、「見た」ことは、短い時間でも、必ず自分の細胞の中に残っていると信じている。それが蓄積されて、何かになると思っている。
それは、研究者としての「センス」かもしれない。論文のテーマかもしれない。絶対に無駄にならない。そう信じている。
だから、キツいひとり旅をする。
そう、私にとって「ひとり旅」は、楽じゃない。
そして、私にとって「美術を巡る旅」は、「美術鑑賞の旅」とは、違う。研究者の私にとっては、「勝負の時間」だ。
ただし、旅の間は、美術に対する自分の感情を許す。好きな作品は、スキ。それだけは、許す。
と思っても、やはり無理だ。根っからの研究者なんだと思う。私の考える美術史家は、やはり科学者なのだ。
私がいた研究環境は、ニューアートヒストリーが「あたりまえ」だった。
方法論は、美術史家にとって避けられない問題ではないけれども、「方法論の歴史」が専門でもないし、「主観的な鑑賞は行わないという」姿勢は、英国の私が所属していた研究所では、当然だった(ただし、欧米の学界では、「宗教的な」ベールが、彼らの視点にかかっていることが多々あることに、気づくことも出来ない研究者が多く存在する)。
パノフスキーやエリアーデの文献を、自分の主張をサポートする註に使用することは、今の欧米の学界では、アウトだ(日本の学界に関しては、ノーコメント)。
でも、それは、つまらない。やはり、彼らの「象徴」や「イコノロジー」に関する根底にある考え方は、嫌いになれない。
学部時代、(シカゴ大学へ行きたいくらい)エリアーデの考えが好きだった私も「エリアーデ=変人」と考える、英国の周囲の研究者たちに影響された。象徴やら「証明が出来ないこと」は、今の美術史の世界では、研究することすら難しい。
だから、英国では、ヴァールブルク研究所の図書館が私の安全な居場所だった。
「エリアーデ=変人」の考えに反発して、英国で博士論文を書き上げたけど、「ニューアートヒストリー」に関する書籍が翻訳もされていない日本の学界では、「私の英国での戦い」を伝えることも出来ない状況だ。
そんな研究者として日本で行き詰まった中で、はじめた「美を巡る旅(ひとり弾丸旅行)」だった。
当初、これらの弾丸旅行をはじめたとき、いろいろなガイドブックに世話になったけれども、より美術的な情報が必要だった
例えば、美術史的に重要だけれども、平地にぽつんとあるような教会へ安全にひとりで行き着くためには、どうするか。教会の見学時間の有無など、現地でしかわからない「正確な情報」をどうするか。見逃すべきでない「作品」は、どこにあるのか。などなど。
これらの情報は、全てネットで調べた。(情報提供者の方には失礼だが)これらの情報が本当かどうか確認するのは、私だった。
実際のところ、冒険だった。ひとりでする冒険は、キツいし、怖いし、楽しくはないけれども、その達成感は、論文を書き上げるのと同じくらいだった。
そして、これらの私が現地で得た情報と経験が、自分と同じように美術に興味がある方のためのガイドブックになるといいなと思った。少なくとも、人の人生にとって、必須ではない「芸術」を研究している私が、生きる意味を見いだせる気がした。
そして、ある編集者に「美術の旅のためのガイドブック」をつくりたいと企画を話した。
その編集者は、「ガイドブック?」という感じだった。私の場合は、学術書とか「西洋美術史を親しんでもらう」という内容とか、「あるいは、「研究者としての再生物語」がいいんじゃないかとも言われた。「とにかく日本で出版できるように考えろ」と言われた。
私が思うことと、違うような気がした。
そんな時、noteの存在を知った。noteをはじめた時もキツい時だったので、続くかなと思ってきた。noteに対しては、いろいろと思うことは、あるけれども、生活の一部になりつつなってきている。
さて、話をミュンヘンのICEの中に戻そう。一駅の間、立つことくらい、何のことは、ない。車から外を見ていると、あるメールがあった。それは、noteからだった。
onodera yuichi/ARCHITECTさんが、あなたを 共同運営マガジンの運営メンバーに招待しました!。
onodera yuichi/ARCHITECT氏も共同運営メンバーの方々も存じ上げない。そのマガジンは、「#建築 記事まとめ」。
美術史は、もちろん、建築を扱う。私の場合、礼拝空間の象徴表現も専門だ。例えば、教会の中の動線を考える時、美術品(この場合宗教的な機能を持つ)の象徴や教会内の位置の関係は、典礼の内容と関わってくる。目に見えない象徴を視覚化するのが、教会の空間なのだ。
まず、私でいいのかなと思った。
そして、共同運営メンバーの方々のnoteは、とても面白かった。
noteで「共同運営」やら「マガジン」やら調べた(自分のマガジンすら、うまく作れていないのだ)。でも、わからない。どうしよう。
実は、この旅でいろいろ考えていた。
まあ、いろいろな弾丸旅行をしてきた。これからも続けたい(出来ることに感謝)。でも、研究者として「見なきゃならない」という想いだけで、動いている旅に疲れ始めていた。私が素直に「見たい」と思う作品ってあるのかな。
しかし、ミュンヘンで、私が唯一素直に好きと言えるのが「建築」だったことに気づいたのだ。
上記のnoteには、最後にこう記してあった。
参加される場合は以下のURLから承諾してください。
確認してみようかなと思ってそのURLをクリックしただけで「承諾」になった。
続きは、また後日。
スージーの一口メモ:画像は、ミュンヘン工科大学の前にあるBenko Cafeの中から撮影した。目の前にあるのが、同大学の建物だ。窓が美しい。この緑の窓枠は、英国でもない、イタリアでもない、「ドイツ」だ。
Benko Cafe
Luisenstraße 41, 80333 München