「言外の極意」2022/1/21

言外が原因の、無意識下で行われる成長のような感じ。
目を向けても見えなくて、でも見ようとすることや予測してみたりすると、成長に意識を向けられたりして自己肯定感が上がっちゃったりしちゃったりする。
見ようとしても、結局何が何だか分からなくなるし、本当にそれで得た成長なのか?という疑念も残る。

言外って「げんがい」なんですね。ずっと「ごんがい」だと思ってました。はい。そういうこともあるよね。「ごんがい」の方が、白い髭の師匠が言ってそうだし。「ごんがい」の方がかっこいいしオシャレ。間違えでダメだとしても、これは僕に軍配が上がります。「ごんがい」で良いです。

言外って、「言葉で言うことの外にあるもの」という意味らしい。
体感として、会話のキャッチボールなんかだと、会話で意識的に投げた言葉より案外この「言外」の要素の方が大きい気がする。
会話の端々の仕草(目に見えるやつ以外にも)や、言葉のニュアンスみたいなところの方が、実際に伝えた単語や言葉よりウェイトが重い気がする。
会話のキャッチボールってツルツルの野球のボールを投げてるつもりだったけど、本当は毛が途中で落ちたりするような、もこもこで、丸ですらない不安定なボールなのかもしれない。
でもボールのディティールは「言外さん」が決めることで、投げる僕自身は野球のボールを投げてるつもりくらいが丁度よいのだろう。

今日は、少しだけダイエットしてる人の成を行えた気がする。少しずつ、少しずついこう。

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