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細田昌志「力道山未亡人」(20240605小学館)

ホテルニュージャパンの地下がニューラテンクオーターだったのだ。赤坂三丁目のコパカバーナに根本七保子がいた頃。

東京スポーツは兒玉誉士夫が親米反共をプロレスを利用してプロパガンダするために創刊したのだ。

力道山が運ばれた頃の山王病院は「妖しい病院」という評価だったのだ。

30年後に掛かってきた「医療ミス」をたれ込む怪電話。

暴対法前夜。何でもありの1960年代……


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