大人になってからの方がゲームって偉大

東京オリンピックの開会式。入場曲がゲーム音楽だったのに賛否があるのは分かるけど、私個人の感情としてはとても揺さぶられた。

小学生の頃にはNintendo DSが流行っていて、いや、あの頃はもうLiteだったかな。まぁ子供の頃からゲームは身近な存在だった。Wiiも通ったし、3DS、PSP、PS4。小学生から中学生にかけて一通りやってきた。マリカやスマブラ。モンハン、ドラクエ、ポケモン。どうぶつの森とかもやったなあ。少年のようにこういったゲームに励んできた。

小学生の頃はどんな遊びをしていても、純粋に楽しめた。体格の差が無かったからだ。ドッジボールをしても、本気でボールを投げてもらえたし、私も同じくらいの速さの球を投げられた。遠慮されることもなく、こっちも劣等感とか諦めとか感じることなく純粋に楽しんでた。

中学生になると急に男子が大きくなりだして、体育も男女で一緒にやらなくなり、たまに体育の時間にクラス全員でドッジボールをすることもあったけど、男子は本気で投げてくれなくなった。彼らなりの優しさなのは分かるけど、寂しかったし、どれだけ仲良くなっても男女に違いないのかという諦めが生まれた。

高校生の頃はゲームから少し離れていた。新しいゲームなんて買わなくなったし、友達にもゲームをやる子がいなかった。一般的とは言いがたいけど、それなりに女子高生だったと思う。休みはクラスメイトと海に行ったり花火したり、カラオケしたりして。家に帰ってから友達とゲームの通信をすることもなく、みんなで電話したり。すっかりゲームのことを忘れていた。男女仲のいいクラスだったからよくみんなで遊びに行ったけど、結局女の子として一線は引かれていた。高校生になると体格差も大きくなって、お互いに精神年齢も上がり、なんとなく女性として扱われてるんだなと感じることも多くなった。そういうもんなんだと、なんとなく割り切っていた。

大学生になり、しばらくして運動部のマネージャーになった。男の子の中での圧倒的マイノリティ。最初にコミュ障発揮して大人しくしてた私が悪いけど、めちゃくちゃ女子扱いされた。しっかり一線引かれた。まぁどうしても男女だもんな、フラットな友人関係は難しいかなって諦めてた。向こうはホモソーシャルに属すスポーツマン。どうしても女子は庇護すべき対象っていう考え方で育ってきたんだろうな。まぁ偏見だけど。別に彼らが悪いわけじゃない。寂しかったけど対等な友人関係は諦めた。

そうこうして部活に入り半年ほどたった頃、モンハンの新作が発売された。入学とともにコロナでの休校やオンライン授業で時間が余っていた私は、再びゲームに興じていて、クリア済みのドラクエを1から夜通しやったりしていた。モンハンも、もちろん買った。それからすぐに部員のうちの数名がモンハンをしていると発覚して、オンラインで夜中までプレイするようになった。通話をつなぎながら夜中までだらだらゲームをするのは中学生以来だった。人狼とかなら高校生の頃もやったけど、そうじゃなくてしっかりゲーム。めちゃくちゃ楽しかった。なにより私が一番うれしかったのは、ゲームの中では対等だということだ。男女の体格差もない。そりゃプレイスキルが高いやつもいて、私は別に上手でもないけど過去作もやってることもあるし、劣等感とか疎外感も無く一緒にプレイできるのがうれしかった。

ゲームって男の子の遊びっていう考えがやっぱり未だに大きいとは思うんだけど、子供の頃にみんなで公園に行って遊ぶ感覚に近い気がする。特に、最近はフレンドがオンラインかオフラインかが分かるようになってて、公園に行ったら約束して無くても誰かいるだろうって感じだったあの頃を思い出す。女の子だってそれは一緒じゃ無かったかな。

むしろ性別の壁をなくせるのがゲームだと思ってる。たしかに、未だにモンハンとかストツーやってるって言うと、女の子なのに?みたいな驚かれ方したりするけど。プロレスごっこしてる男子を馬鹿ねーみたいに眺めてた学生の頃、その視線には本当に冷ややかに見ているのが半分と、何をどうしても女の子は入れてもらえないその馬鹿の世界へのちょっとした羨ましさみたいなものが混じってて。多分、女の子だって昇竜拳を出したいし、波動拳を出したかったんだ。それがゲームでなら叶う。逆も然りだと思う。

今日もそんなわけで俺より強いやつに会いに行くべく、ストツーに励みます。サガット強い~~~


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