好きな食べ物は何ですか?

と聞かれて、パッと答えられるひとはどれだけいるのだろうか。少なくともわたしは答えられない。

美味しい物が大好きだ。幸いなことにわたしは好き嫌いが少ないので口にしたものは大抵美味しいと感じることができる。不味いと感じることも年に数回くらいしかない。
しかし、逆に言ってしまえばほぼ何でも美味しいということになる。良いことではあるのだが、こうなってくると時折わたしの最も好きな食べ物は何なんだろうか?という気持ちになることがある。別に誰かに責められているわけでもないのだが、自分の中で一番がないという事実は、時折わたしを不安にさせる。自我が強い自覚があるせいか、自我のない自分に危機感を覚えてしまうのだ。
こうして一番を決めよう選手権が勝手に幕を開ける。

一番好きな食べ物選手権(順不同)
1:寿司
2:ハンバーガー
3:焼き鳥
4:からあげ
5:冷麺
6:汁なし担々麺
7:鯖の味噌煮
8:海鮮丼
9:タン
10:レモネード
11:エビカレー

とりあえず11個にまでは絞り込めた。(絞り込めているのか?)他にも大好きな食べ物はいっぱいある(ラーメンとかチーズケーキとか)のだが、その中でもいつでもどこでもどんな気分でも食べたい!と思える食べ物。そんなチョイスだ。ここからさらに自分が体調の悪い時でも、という条件を考慮すると……。

寿司
冷麺

の二つに絞られる。
ここまでくるともう寿司と冷麺のデスマッチなのだが、これは圧倒的に寿司が有利だ。なぜなら、わたしの中で寿司と冷麺には明確な『差』があるから。
その『差』とはなにか?
具体的なイメージがあるか否か、である。寿司というと漠然とお寿司の写真が頭に浮かぶのだが、冷麺と言われると写真の前に味が出てくるのだ。言ってしまえば、(おそらく)冷麺の方が味に対するこだわりが強いのだ。それなら、冷麺の方が好きなのではないか?そういう意見もあるだろう。しかし、わたしはそう思わない。
ここで冒頭に戻るが、わたしは大抵美味しいと感じることができる、いわゆる舌があまり敏感ではない人間だ。そんなわたしでも、年に数回はまずいと感じることがある。まずいものを食べたときの悲しい気持ちと言ったら、考えただけでも悲しくて言葉にできない……。
極論かもしれないが、わたしは寿司はだいたい何でも美味しく頂けてしまう。それこそ、回転寿司やスーパーで売られている量産品のお寿司から職人さんが手ずから作っている回らないお寿司のものまで。一方で冷麺はそうではない。厳然とした味のイメージがあるせいで、美味しいと銘打たれているものでも「あれ?なんか違うな?」と違和感を抱いてしまうことがある。このイメージのずれのせいでわたしは冷麺に対してたまに『不味い』という感覚に陥る。大好きな食べ物なのに?これは冷麺に限らず、寿司以外の10種類の食べ物すべてに通じる。好きなのに不味いと感じてしまう。そんな悲しいことがあっていいのだろうか……。

こだわりというものは良くも悪くも面倒臭い。こだわればこだわるだけ、奥深さを手に入れることができるかもしれないが、その反動がでかすぎるからだ。こだわることに怠慢になったとき、こだわりから外れてしまったとき。その時に抱く感情は得てしてマイナスなものが多い。そのマイナスはわたしにとって悲しいし、何なら悲しいということがわたしは面倒臭いのだ。

(強引だが)結論として、わたしの一番好きな食べ物は寿司なのだと思う。どんなときも最大値で美味しく頂けるから。わたしにとって、あれこれ気構える必要がなく楽して美味しく感じれるのが一番なのだ。う~~ん、自堕落。
この日記をつけていて思ったのだが、わたしは食べ物は好きだけれど、食に対する意識はかなり低いのだろう。食べ物を口に入れる→美味しいという一連にそれ以上の感情もそれ以下の感情もいらない。こうなってくると食べ物は好きだが食べるという行為に愛着の無さすら感じる。
いつかの未来、『食べる』という行為なしに『食べ物』を味わえてしまったら、わたしは『食べる』ことを放棄してしまうかもしれない。

2020.03.20 美少年回転寿司

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