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Twitterにつかれている

TwitterというSNSの病に疲れているし、憑りつかれているというチラ裏です。

特に何かがあったわけではなく、また、何かがなかったわけでもない。
いつもなら流せるツイートにやけに喰らったり、情報更新の速度に目が回ったり、無数に溢れ返る人の感情に参ってしまったり、そんな自分に嫌気が差したり。いっときTwitterから離れて戻ってきてからの日々はそんな感じだった。
はっきり言って時間の無駄だし、ただ心が疲れていくだけ。
でも、Twitterが嫌いなわけではない。決して好きでもないが。

Twitterを介して知り合えた大切なひとはいっぱいいるし、友だちになれた人だっている。尊敬している人ももちろんいる。そんなひとのツイートを見るのが好きで、楽しくて、時々疲れる。
いつまでもこのインターネット体調不調が続くと、そんな人たちのツイートを煩わしく思うかもしれない。
私が最も危惧しているのはそれだろう。
(そもそもインターネット体調不良なのか?という懸念はさておき)

自衛という言葉は自分を守るために使う言葉だが、自分=加害者から守るためにも使えるのだから、日本語の妙を感じる。

現状における最善の自衛は潔くTwitterを止めることなのだが、先述した通り、大好きなひとたちのツイートが見れなくなることに後ろ髪を引かれてやめる決心がついていない。

きっと、これからも悩みながらTwitterで生きていくだろう。
夜明けは訪れない。そもそも此処が夜なのかも分からない。

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