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「遊び」は圧倒的自然が引き出してくれるのかもしれない

シェアビレッジ、半田さんが開いたオンラインの学びの場に参加しました!

4回シリーズで今日はその最終回。
半田さんは僕にとってキッカケを作った人であり、秋田にわたしを再び呼び寄せた人だと思っています。

半田さんは妖精ーわたしと秋田

思い返せば、秋田に初めて行ったのは大学2年の夏のことでした。大学生の肝心要、いちばん大事な時は履修を組むときだとわたしは勝手に思っているのですが、毎回この作業はとても骨の折れるものでした。シラバスを左手に、履修情報誌(*1)を右手に持ち、にらめっこします。そんな時に、ふと見た夏季の短期集中講座のプリント。そのプリントには、

「開催場所:秋田県 日数:5日 単位:2」

の文字が。なんかおもしろいのないかなーと探しに探していたわたしの目に止まった、「秋田5日間2単位」というワード。「えっめっちゃ楽じゃん?5日で単位くるならお得じゃん。。。」そういう、よこしまな気持ちが最初のきっかけでした笑

友人に、「コレ見てよ。秋田5日間2単位どう?いかない?」という激安ツアーみたいなノリで誘ったことを覚えています。けれどよくよく調べてみると、大学入学前に課題図書として読んで気になっていた「社会起業」という言葉や、授業で習ったNPO、NGOのこと、Sustainabilityのことなど興味のある言葉がシラバスには詰まっていました(当時のあんた、ふわっとしてんなぁというツッコミは甘んじて受けいれます)。そしてシラバスの最後には動画のURLがついていて、それが秋田県五城目町を舞台に撮影された "True North, Akita. #1". (*2) この動画をみて、即履修を決め、申し込みをしました。もう界隈の人からすれば、「うんうん知ってる知ってる」という作品かもしれませんが、わたしはこの作品の持つ力が本当にすごいと改めて言いたい。映像と、青谷明日香さんの音楽、そして詞に感動しました。

そんなよこしまな気持ちと、この動画のところに行ってみたい!という気持ちで訪れた秋田。たしか初めての夜行バスにグロッキーになり、授業は全部英語、事前課題でもあったDesign Thinkingの話に追いつくのに必死でもういっぱいいっぱいでした。秋田県五城目町を舞台にしたフィールドワーク、疲れ切ったわたしたちを迎え入れてくれたのが、5日間滞在することになる「シェアビレッジ 町村」の家守 半田さんだったのです。

当時のフィールドワークの話もなかなか「密」でとっても書きたいところではありますが、それは今度書くこととします。授業では最終的なアウトプットとして、「フォトブックをつくること」というのがありました。そこでわたしが悩んでいたのは、「ですます調がいいか、である調がいいか」そんなことだったと思います。家守の半田さんになんとなく投げてみると、居間の小さな本棚から一冊の雑誌を見せてくれました。「こんな書き方もあるよ」と差し出された雑誌が、「のんびり」だったのです。この時に受けた衝撃をどう言い表したら伝わるかわからないのですが、とにかく巻頭の言葉を読んで、「これは今までに出会ったことのない雑誌だ」とビビビッときました。

それからも秋田のことは気になっていて、時たま訪れたり、別の入口でまた五城目とつながったりしていました。半田さんが迷えるわたしに差し出してくれた雑誌「のんびり」のこともやはり気になっていて、編集長の藤本智士という人も頭の片隅でなんとなーく気になる人物でした。

転機というものは、思いも寄らない時に、思いも寄らないところにあるもので、今ではわたしは藤本さんと、そして雑誌「のんびり」を作っていたみなさんと仕事をすることになったのです。わたしの今のしごとや、編集者藤本さんとの出会いはこれまた別の機会に話すこととしましょう。半田さんは、わたしと秋田をつないで、そして、秋田に(呼ばずして)呼んでくれたそんなわたしにとってちょっぴり特別な、不思議な力を持った人なのです。講座の中で半田さんは自分のことを「妖精」のような存在と言っていましたが、うん、なかなかしっくりきます。そんな半田さんの5年間をともに振り返り、どっぷりとつかり、そして次を見据えるというのがこの講座だったなぁ、そんな風に思います。

遊び尽くすー野人になる

前置きが長くなってしまうのがわたし。今日はそんな講座を4回終えて、今すーっと浮かんできたことを書き留めて置きたかったのです。終えたいま、すーっと上がってきているのは、シェアビレッジ町村という場所をつくったハバタクという会社が掲げるモットーでもあり、半田さんが講座の中で話していたことでもある「遊ぶこと」。ここ数日の自分を振り返ってみて、今日の対談でも登場した「遊び尽くす」という言葉が頭に残っています。

あるプロトタイプツアーで「野人キャンプ」というのに参加したことがあります。秋田県鹿角で開かれたこのツアーのゴールは、「野人になること」。わたしはこのツアーがとっても記憶に残っていて、この時に"playful"ということを改めて考え直して、なんとなく身体で理解するきっかけになったと、いま振り返って思います。キャンプの内容は、
・見たこともない吹雪の中、宿に向かう(これは意図せずだけど、なんと夏タイヤで)
・絶景の中、7歳くらいの参加者と大学生と20代とおっちゃんで露天風呂に入る
・おもいっきり雪遊びをする(野人がゴールなので、野人を意識します)
・風変わりなシェフが突然登場(しかもシェフは道中スリップしてJAF呼んでたりする)。絶品の名産を活かした料理を食べる(料理の手伝いもみんなでしたね)
・オンドルという場所を初めて見る
・雪の上でランチする
というようなものでした。たしか最後のワークショップで、わたしは持ち帰りたいことに「遊び続けること」みたいなことを言った気がします。

遊びモードに切り替わる時

ここ最近で、今日、丑田さんや小原さんが話していた「子どもの遊びは、言語性や目的性が低く、なんのためにとか、理由なんてものは言い表せない」「時間を忘れて没頭している時の状態が伸びる。気づいたら学んでいた」という感覚をすごく感じています。というのも、しごとがいよいよ本格的にスタートして、なんとなく縮こまっていた自分がいました。「これってしていいのかな」「あーでもこうしたら、まずいかな」とかそういう枠組みで考えていて、どっと疲れてたんです。それがこの間、先輩であるさきさんと、まさに、目的など考えずにひたすらいろんな話をしていたら、自分の中からこんこんと湧き上がるplayfulさを感じられました。「これやったらおもしろくない?」というアイデアが浮かんだ時、その時、そのアイデアは「なんとなくおもしろそう」に(まだ)過ぎません。しかしそれは利益や目的を設定してから考え始めたのでは絶対に浮かんでこないワクワクするいい考えなのです。

なかなかこのモードになるのって大変なのですが、こういう「うわーやりたい!おもしろい!」って状態に入ると、今までの自分とは打って変わって、こうしてみよう・こんなのもいいとアイデアは加速し、それに伴って、行動も加速します。

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こういうモード変換って何をトリガーに起こるんだろうと思ったのですが、そういえばこれがトリガーになり得るかもしれないと思ったことがありました。というのは、先日、しごと終わりに思い立っていつも曲がるところを曲がらずに、ただひたすら山をまっすぐにドライブしてみました。くねくねした山道を登ると、バァーっと開けるスポットがあって、ここからの景色が本当にきれいなのです。山から見下ろす田んぼには水が張っていて、そこに夕日が反射している。その向こうには日本海が果てしなく広がっていました。そしてさらにぐんぐん登っていくと、今度は高原になって、さっきよりさらに高いところから絶景が見れます。このときの高揚感とかってすごくて、車降りて「うおおおおおおお」とか言っちゃうのです。景色がきれいすぎて、運動不足のわたしが先に広がる景色が見たくて駆け出したりするのです。けどこれって別に誰かに「走れ」なんて言われた訳でもないし、もちろん無理やりテンションを上げて演じてるわけでもない。内発的に湧き上がってきたものなんですね。それで、上記の「野人キャンプ」と、仁賀保高原で声を出しながら走り出すわたしのことを考えてみると一つの仮説が浮かんできたのです。それは、もしかして、plyafulであるためには、圧倒的自然が必要なんじゃない?ってこと。圧倒的と書いたのは、凝り固まった遊べない頭に衝撃を与えるのには、そのへんの緑なんかじゃ足りないのです。見渡す限りの地平線、天高くそびえる山、透き通った水、肌で感じるまっさらな空気。そういう圧倒的な自然こそが、僕らのプレイフルを引き出してくれるのかもしれない、そんな風に今日の講座を終えて考えました。どえらいでかい山と美しい海を見た時に、へその下から湧き上がってくるこの感覚こそ、わたしたちが「忘れかけていた、恋しい景色」なのかもしれません。

*1 履修情報誌:各大学に独自のものがあったりする。学生による、学生のための授業口コミ雑誌。有志の学生がアンケートを取って、編集して、販売している。出席を取る取らないとか、テストがあるとかないとか、授業がおもしろいかつまらないかなど書いてあったりする。この文化、すき。

*2 True North, Akita. #1


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